ホームラン王争いは大混戦
1984年のシーズン前半、セ・リーグのホームラン王争いは大混戦でした。オールスター直前(7月19日時点)のホームラン数上位の選手は次の通りです。
25本 掛布雅之(阪神)
24本 ウォーレン・クロマティ(巨人)
23本 ランディ・バース(阪神)
20本 衣笠祥雄(広島)
20本 谷沢健一(中日)
20本 大島康徳(中日)
20本 ケン・モッカ(中日)
18本 山本浩二(広島)
18本 宇野勝(中日)
前々年にタイトルを獲得した掛布が25本でトップ。1本ずつの差で、クロマティ、バースと続きます。目立つのは、中日の20本トリオ。谷沢、大島、モッカが20本ずつで、前半戦首位のチームを象徴するような成績です。そして、最終的にホームラン王を獲得する(はずの)宇野は、この時点ではまだ18本。掛布とは7本差で、チーム内でも20本トリオに続く4番目の成績です。ここからどのように巻き返すのでしょうか。
8月で宇野がトップに
後半戦の8月に入ると、宇野が驚異的なペースでホームランを打ち出します。
まず、8月2日〜8日の1週間で、なんと5ホームラン。そして、8月12日の阪神戦では、掛布の目の前で2ホームランを放ち、27号で掛布と並びます。この時点で、1位のクロマティと1本差です。
そしてついに、8月14日の大洋戦で28号を放ち、クロマティと1位タイに。8月22日の阪神戦で再び2ホームランを放ち、30号で単独トップに立ちます。
結局、8月は15本のホームランを放ち、月間MVPを受賞。2位の掛布、クロマティに3本差をつける独走状態となりました。
8月終了時点でのホームラン数上位の選手は次の通りです。
34本 宇野勝(中日)
31本 掛布雅之(阪神)
31本 ウォーレン・クロマティ(巨人)
27本 ケン・モッカ(中日)
27本 山本浩二(広島)
27本 中畑清(巨人)
26本 ランディ・バース(阪神)
宇野の初タイトルが現実味を帯びてきました。
掛布と宇野の争い
ところが、9月に入ると、宇野のホームラン数が伸び悩みます。最終的に、9月に打ったホームランは3本。最後に打った37号が9月22日の広島戦で、以後はシーズン終了までホームランを打つことはありませんでした。
一方の掛布は、9月20日終了時点ではまだ33本でしたが、9月22日から26日にかけて、4試合連続ホームランを放ち37号。ついに、トップの宇野と並びました。
9月終了時点での上位3人の記録は次の通りです。
37本 掛布雅之(阪神)
37本 宇野勝(中日)
35本 ウォーレン・クロマティ(巨人)
掛布、宇野は残り2試合。クロマティは残り3試合。実質、掛布と宇野の一騎打ちとなりました。しかも、彼らの残る2試合は、阪神、中日の直接対決です。となると、何が起こるのか・・・!?
阪神対中日の2連戦
以下は、当時、阪神の監督だった安藤統男氏の述懐です。
掛布のYouTubeチャンネルでも、当時の裏事情や自身の苦労を赤裸々に話しています。
1984年の掛布vs宇野のHR王争い「10連続四球」を当事者語る|NEWSポストセブン
この話の通り、両チームにとって1984年シーズンの最終2試合(129、130試合目)となった、阪神-中日戦は、掛布、宇野への敬遠合戦となりました。各試合5回ずつの敬遠で、掛布も宇野も前代未聞の10連続敬遠。記録では、敬遠扱いになっていないフォアボールがありますが、事実上の敬遠です。
その徹底ぶりが如実に現れたのが、129試合目の7回裏中日の攻撃。2アウト満塁で迎えたバッターが宇野でした。それでも、阪神ベンチは一貫して敬遠の指示。結局、宇野を歩かせ、"故意押し出し" で中日に1点を献上しました。
因みに、130試合目に先発したのが、その年の新人の池田。宇野は歩かせても好投を続け、勝ち投手の権利を持ったまま降板します。しかし、後続が打たれ、その年の新人王と二桁勝利は夢に終わりました。
最終的には、掛布と宇野の2人がホームラン王のタイトルを獲得。そして、山内監督の言葉通り、宇野にとって唯一のタイトルとなりました。