佐竹雅昭は、1992年1月25日、ジェラルド・ゴルドーに反則勝ち。
1992年3月5日、フレッド・オーストロンにKO勝ち。
1992年4月3日、ヘルマン・レンティングにKO勝ち。
1992年5月16日、バート・コップスJrにKO勝ち。
1992年6月25日、ウィリー・ピータースに時間切れ引き分け。
1992年7月16日、ピーター・ウラにKO勝ち。
1992年8月21日、ロブ・カーマンと時間切れ引き分け。
そして1992年10月29日、長井満也をKOしたが、長井満也が「拳で殴った(反則)」とアピール。
スロービデオでは佐竹の掌底が長井のテンプルを完全にとらえダウンを奪っている。
しかしよくみると、その前に1発だけ拳による打撃が当たっていた。
佐竹雅昭は、この試合を最後にリングスを去った。
K-1 1993年に始まる
石井館長は、K-1を立ち上げた。
手技による顔面攻撃が禁止される空手ルールと違い、グローブをつけ顔面を殴るキックボクシングへの挑戦が始まった。
しかし最初はなにをすればいいのかまったくわからなかった。
特にスパーリングパートナーがいないのは問題だった。
スーパーヘビー級が集うK-1のリングでは185㎝100㎏の佐竹雅昭は小型だった。
佐竹雅昭は海外へ修行に出た。
オランダでは1人でホテルに泊まり、バスに乗ってジムに通った。
ピーター・アーツのいるチャクリキジム、アーネスト・ホースとのいるボスジムやロブ・カーマンのいるメジロジムで、スパーリングをガンガンやった。
クリス・ドールマンのジムやジェラルド・ゴルドーのジムでも練習した。
1993年4月30日、K-1グランプリ 10万ドル争奪格闘技世界最強トーナメント1回戦で、トド"ハリウッド"ヘイズを2R 0:45、右ローキックでKO。
1993年6月25日、K-1グランプリ 10万ドル争奪格闘技世界最強トーナメントの2回戦で、佐竹雅昭和は、ブランコ・シカティックと対戦し、その鉄拳に沈んだ。
ピーター・アーツに負けるまで8年間無敗だったモーリス・スミスも、アーネスト・ホーストに壮絶なKO負けをした。
決勝戦は、ブランコ・シカティックのパンチがアーネスト・ホーストの顔面を打ち抜き、KO。
初代K-1チャンピオンとなった。
ベストバウト:スタン・ザ・マン戦
1993年9月4日、WKAスーパーヘビー級チャンピオン、キックボクシング界のマイク・タイソンと呼ばれたスタン・ザ・マンと対戦した。
佐竹雅昭和は、ボクシングの元世界チャンピオン:平仲明信からボクシングを学び、飛躍的にパンチの技術を伸ばした。
そしてスタン・ザ・マンと堂々とパンチで打ち合い、右のローキックで脚を破壊し、判定で勝った。
空手でアンディ・フグに勝つ