松井章圭  華麗な技と不屈と精神を併せ持った天才空手家

松井章圭 華麗な技と不屈と精神を併せ持った天才空手家

「一撃必殺」 数ある格闘技・武道団体の中でも超硬派に最強を追求し続ける極真空手。 独特の厳しい稽古により数々の猛者が排出されたが、中でも松井章圭は異色の存在。 突き(パンチ)と下段回し蹴り(ローキック)だけでなく、上段回し蹴り、中段回し蹴り、後ろ回し蹴りを多用する華麗な組手。 無表情な中にも、内に秘めた激情。 黒澤浩樹など科学的なトレーニングによるアスリート型の空手家が台頭していく中で、武道的、武術的な空手の強さを追求し体現した。 最年少黒帯。 最年少全日本大会出場。 全日本大会連覇。 100人組手完遂。 世界大会優勝。


黒帯になった松井章圭に対し、母親は高校受験のために半年間、極真空手の稽古をやめさせた。
しかし空手ができないことで逆に勉強に集中できず成績は落ちた。
志望校のランクを下げて受験するも不合格。
2次募集で東京の東洋大学京北高等学校へ進学し、在学中、成績は5番以内をキープした。
自分から極真空手の黒帯だということを話すことはなかったが、下級生をイジメていた上級生も松井章圭の前ではおとなしくなった。
進学校でありながらスポーツにも力を入れていた京北高校は、進学志望、スポーツ、ワルが混在していたが、
「まだ親に養われて自立もできていない奴が親に心配かけちゃいけない」
「靴の踵を踏んではいけない」
「制服の襟のボタンを外してはいけない」
「いいかげんな生活態度だと空手も強くなれない」
そんなことを平気でいい、すべての分野でトップクラスの松井章圭はいいまとめ役だった。
受験に成功し道場に復帰した松井章圭は、自分の修行を行いながら、道場に3人しかいない黒帯の1人として大人を含めた門下生の指導も行った。
いつもポーカーフェイスで、わかりやすく技を説明し模範を示す松井章圭だったが、ツッパリや不良が入門してくると組手で痛めつけた。
ただ同じツッパリや不良でも1人で大勢と戦うような人間は受け容れたが、ハッタリだけで威嚇するタイプの人間は容赦しなかった。
またたるんだ練習を行う人間にも厳しかった。
1978年10月、入門時160㎝60㎏だった体が174㎝80㎏になった松井章圭は初めての試合、第1回東北大会へ出場した。
極真空手の試合では、技のダメージで相手の動きを3秒止めると「1本」、一瞬でも止めると「技あり」、技あり2つで「1本」が宣告される。
また本戦で決着がつかなかった場合、2分間の延長戦が2回まで行われる。
これでも決着がつかない場合、体重差が10㎏以上ある場合は、軽いほうが勝ちとなる。
体重差がない場合、事前に行われる杉板の試し割りの枚数が多いほうが勝ちとなる。
1回戦、過度の興奮と緊張で、下段回し蹴りと合わせ技しか出せないまま、なんとか判定勝ち。
しかし右足の親指を骨折していた。
2回戦も何とか勝ったが、3回戦で後ろ蹴りを腹にもらって負けた。
骨折した箇所をかばいながら乗り込んだ帰りの電車は込んでいて、上野駅まで4時間、立ったままだった。

最強の中村誠

松井章圭は、加藤重夫の指示で、週2回、総本部で行われる黒帯研究会、通称「帯研」へ出稽古することになった。
帯研は、金曜日の夜と日曜日の昼に黒帯が集まる合同稽古で、指導は大山倍達が行った。
2年前、逃げるように帰った総本部の門を再びくぐった。
松井章圭を含めて支部からきていた黒帯は6名いたが
大山倍達は彼らに
「支部からきた黒帯は3ヵ月間は茶帯研究会の方で稽古するように」
と命じた。
松井章圭は、茶帯研究会の練習にはついていけた。
しかし総本部の茶帯の筋肉質な肉体には驚かされた。
また彼らは、たとえ組手で劣勢でも、決して弱気になることはなく戦い続けた。
3ヵ月後、帯研へ参加が許されたとき、6名いた支部から出稽古に来ていた黒帯は、松井章圭を含め2名になっていた。
このときの帯研は、第2回世界大会へ向けての強化合宿も兼ね、日本代表の選手が参加していた。
その中でも、全日本大会で優勝したばかりの中村誠の強さは群を抜いていた。
大山倍達は、中村誠に100人組手を命じた。
そして8月26日13時、中村誠は100人組手に挑戦。
松井章圭も、その相手となったが、中村誠は35人目で断念した。
しかし世界大会では中村誠は「重戦車」のような強さで優勝した。
100人組手の凄まじさを目の当たりにした松井章圭は、毎日やっていた自宅でのトレーニングを、ウエイトトレーニング器具を購入し、ベンチプレスを30㎏×1000回、腹筋×500回、背筋×500回にボリュームアップさせた。
また道場へは稽古開始1時間前を目標に行き、相手を見つけて組手を行った。
総本部の強さの理由の1つが「稽古量」にあると悟ったからである。
そして前年3回戦で負けた東北大会で5位に入賞した。

vs 緑健児

第1回千葉県大会で、松井章圭は、1、2回戦を判定で、3、4回戦を1本で勝った。
そして続く準決勝で、城南支部の緑健児と対戦した。
緑健児は、165㎝55㎏と体は小さかったが、その足技はパワフルでダイナミックだった。
試合は、蹴りが得意なもの同士、ハイレベルな足技の攻防となったが、松井章圭のハイキックに緑健児が前蹴りを合わせたとき、バランスを崩しクルっと1回転してしまった松井章圭は体勢を崩したままパンチを放った。
これが緑健児の顔面を直撃した。
この一撃にキレた緑健児は、冷静さを失いケンカ腰で前に出続けた。
そして松井章圭に前蹴りをボディに入れられ、苦しくて動けないところを容赦なく攻められサンドバッグ状態になった。
試合は松井章圭の判定勝ちだった。
決勝戦で松井章圭は、加藤重夫の道場の先輩で、プロのキックボクシングの試合にも出場していた五十嵐裕己に敗れた。
加藤重夫は手紙で、大山倍達に、高校3年生の松井章圭を全日本大会に出場させてほしいと頼んだ。
大山倍達は加藤重夫を呼び出した。
「高校生を出させてケガでもしたらどうするんだ」
しかし加藤茂夫は一歩も引かず、2時間の押し問答の末、大山倍達が折れた。
この手紙は大山倍達の死後も机の中にしまってあった。
そんな経緯を知らない松井章圭は、全日本大会出場を喜び、スタミナ不足という弱点を克服するため、毎日、3㎏のウエイトベルトをつけて5㎞を走り始めた。

最年少(17歳)全日本大会初出場 4位

1980年11月、第12回全日本大会に、松井章圭は最年少で出場した。
1回戦、右上段回し蹴りで1本勝ち。
2回戦、判定勝ち。
3回戦、跳び後ろ回し蹴りで技ありを奪って勝った。
4回戦、前年の全日本大会6位の三好一男に2回の延長戦の末、勝利。
準々決勝戦も2回の延長戦の末、判定勝ち。

準決勝は、第2回世界大会2位の三瓶啓二の下段回し蹴りの連打の前に本戦で判定負け。
3位決定戦でも集中的に下段回し蹴りで攻められ負けた。
しかし従来の突きと下段回し蹴り主体の空手ではなく、上段、中段蹴りで攻撃する松井章圭の組手スタイルは強烈なインパクトがあった。
大山倍達は
「あれが極真空手の目指す華麗な空手である」
と称えた。
全日本大会優勝を目標に松井章圭は計画を立てた。
(大学に進学したら東京でアパートを借りて総本部へ移籍する)
そして中央大学商学部経営学科への入学を決めた。
結局、松井章圭は13歳から18歳まで加藤重夫の指導を受け、18歳から総本部道場へ移り大山倍達の指導を受けた。

大学進学、総本部移籍

1981年の春、大学に進学した松井章圭は、西池袋に古い木造2階建てのアパートに引っ越した。
若獅子寮に住む内弟子と朝稽古と朝食を共にした後、大学に通い、授業のない日は昼間も稽古に励んだ。
1食で3人前を食う松井章圭の胃袋は、月10万円の仕送りをすぐに消化した。
お金があるときは、安いラーメン屋に通い、お金が減ってくると、そのラーメン屋でどんぶり飯だけ注文し塩コショウをかけた。
さらにお金が無くなってくると、インスタントラーメン。
たまに若獅子寮でご飯を盗み食いした。
「400㏄献血すると1万円もらえる」
といわれ採血され待っていると、慢性的なオーバーワークのため肝機能障害という検査結果が出たため、現金ではなく牛乳を1パックもらって帰ったこともあった。
着るものは、総本部に武道具メーカーやスポーツメーカーが持ち込んだ試供品で間に合わせ、冬はミズノのジャージ、夏はTシャツに道衣のズボンにサンダルでどこへでも出かけた。

在日であることを隠さず

松井章圭は、高校を卒業した後、大学へ進学と同時に極真会館の総本部に移籍したが、このときから「松井章圭」という通名(外国籍の者が日本国内で使用する通称名)ではなく「文章圭」という本名で大学へ通い出した。
黒帯の名前も「松井章圭」から「文章圭」にした。
偏見はびこる日本社会で、自らの出自を公にしたのだ。
また在日本韓国学生同盟に加盟し、同年代の同胞を交流を深めた。
中国に属国とされ、日本に植民地とされた歴史、中国の漢字を拒否しハングル文字をつくった誇り高き母国の文化、そして韓国語を学び始めた。

しかし大山倍達は、松井章圭に日本への国籍変更を求めた。
「どうして自分で自分の民族を否定するようなことをしなければならないんですか」
「そう深刻に考えることじゃないんだ。
日本に住んでいる以上、便宜上、日本の国籍を取得するだけなんだよ」
「便宜上であればなおさら日本の国籍を取得する必要はありません」
「君は将来、私の片腕となって働かなければならない。
そのときに韓国籍ではどうしても困るんだ」
その後もたびたび大山倍達は松井章圭に国籍変更を迫った。
松井章圭は、
「総裁は自分の国に生まれて自分の国の言葉を知っていて民族の習慣や歴史やすべてを身をもってご存知です。
総裁は中身の詰まった韓国人なんです。
ですから日本の国籍に変更するというのは、おっしゃる通り日本人の衣を着るということだけなのかもしれません。
けれども私は日本で生まれ日本の教育を受けて日本の名前で今まで生きてきたんです。
その私から国籍というものを除いたら一体何が残るんですか。
民族を証明する根拠そのものがなくなってしまいます」
松井章圭は、日本に住み日本で活躍する「在日」という生き方にこだわりと誇りを持っていた。
力道山は、プロレス界の英雄なのに朝鮮人であることを隠し続けた。
一方、張本勲は、韓国人2世であることを隠さずプロ野球で第一人者となり、日本でも韓国でも英雄になった。
松井章圭の理想は後者だった。

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