松井章圭  華麗な技と不屈と精神を併せ持った天才空手家

松井章圭 華麗な技と不屈と精神を併せ持った天才空手家

「一撃必殺」 数ある格闘技・武道団体の中でも超硬派に最強を追求し続ける極真空手。 独特の厳しい稽古により数々の猛者が排出されたが、中でも松井章圭は異色の存在。 突き(パンチ)と下段回し蹴り(ローキック)だけでなく、上段回し蹴り、中段回し蹴り、後ろ回し蹴りを多用する華麗な組手。 無表情な中にも、内に秘めた激情。 黒澤浩樹など科学的なトレーニングによるアスリート型の空手家が台頭していく中で、武道的、武術的な空手の強さを追求し体現した。 最年少黒帯。 最年少全日本大会出場。 全日本大会連覇。 100人組手完遂。 世界大会優勝。


準決勝で増田章と対戦。
松井章圭の予想通り、増田章は突きの連打と左右の蹴りで直線的に攻め込んだ。
松井章圭は、前回の試合でカウンターをとった後ろ回し蹴りを放った。
しかし増田章の突進は止まらず、突きと下段回し蹴りでラッシュした。
本戦、延長戦、2度目の延長戦と引き分けたが3度目の延長戦の後の判定で松井章圭が勝った。
「負けなかった」
そうつぶやきながら松井章圭は、大きくうなずいた。
増田章の相手をねじ伏せて勝つ空手に対して、松井章圭は、それを受け返しする、負けない空手だった。
そして松井章圭は、一瞬でも隙があれば、上段への鋭い蹴りを放った。
これが判定ではポイントとなった。

決勝戦は、松井章圭 vs 黒澤浩樹となった。
松井章圭は
(黒澤の下段では自分は倒れない)
そう自分に言い聞かせ小走りで試合開始線に向かった。
試合が始まると、黒澤浩樹は左右の下段回し蹴りが松井章圭の急所に蹴り込まれた。
松井章圭は必死に返した。
黒澤浩樹の突進力がすごすぎるのか、そのプレッシャーに松井章圭が崩れたのか、試合中、2度も松井章圭の左の突きが黒澤浩樹の顔面に入ってしまう。
黒澤浩樹は口から血を流しながら下段回し蹴りの連続攻撃を仕掛ける
松井章圭は必死にそれを返すが、たびたび下段回し蹴りをもらい膝を内側に曲げられてしまう。
その下段回し蹴りの威力に何度も腰を落とした松井章圭だったが、すぐに体勢を立て直し反撃した。
合わせ技で黒澤浩樹のバランスを崩してから上段、中段へ蹴りを放った。
本戦は引き分けとなり、柔と剛の戦いは延長戦に入った。
延長戦も、黒澤浩樹は前進して下段回し蹴り、松井章圭は、合わせ技から大技へつなげるという展開だったが、やがて両者共にダメージと疲れで失速していった。
「ラスト20秒!」
セコンドの声で、まるでなにかにとりつかれたように松井章圭は身体をよじらせて左右の突きから左右の下段回し蹴りを連続で放った。
この連続攻撃に黒澤浩樹は下をみてしまった。
そして延長戦が終わり、1人の主審と4人の副審による判定が行われた。
そのとき
「赤ぁー」
という声が上がった。
そして赤い旗が5本上がり、5-0の判定で松井章圭が勝った。
声の主は、婚約者の韓幸吟だった。
(自分のこれまでの人生はこのときのためにあったんだ)
15歳から公式戦デビューし、17歳で(第12回、1980年)全日本大会出場し、21歳で念願の全日本大会で初優勝した松井章圭は、涙を流しながら大山倍達のもとへいき、礼をした後、差し出された右手を両手で握った。
しかしこの試合は、松井章圭は、2回、反則を犯した上、受けたダメージも明らかに上だった。
黒澤浩樹はほぼノーダメージのまま負けた。
だから後に
「黒澤浩樹は、試合に負けてケンカに勝った」
といわれた。
しかし一方で、圧倒的な強さを誇る格闘マシンに強い精神力で戦い、そして勝った松井章圭は
「Mr.極真」
と称賛された。
「黒澤にあれだけ下段を蹴られて、なぜ倒れなかったんだ?」
試合後、聞かれ、松井章圭は答えた。
「自分は60万在日同胞のプライドを背負って闘っているつもりですから」

1985年、加藤重夫は、極真会館の千葉北支部の師範代の任を辞し、埼玉県新座市に「藤ジム」というキックボクシングのジムを設立した。
後に魔裟斗を輩出した。
加藤重夫は、空手では松井章圭を、キックボクシングでは魔裟斗を育てたのである。

100人組手

全日本チャンピオンになった松井章圭の次の目標は、

・第18回全日本優勝、(全日本大会2連覇)
・第4回世界大会優勝、(世界チャンピオン)

だった。
また大学卒業後は、正式に総本部の指導員として就職することを決めた。

1986年2月、松井章圭は大山倍達に呼ばれ、いきなりいわれた。
「君、ところでいつやるんだね」
「なにをでしょうか」
「君、なにいってるのかね。
100人組手だよ」
「押忍、わかりました」
即座に答えた松井章圭だったが、1つだけ要求した。。
「3ヵ月だけ時間をください」
あの中村誠をはじめ自分が参加した過去3階の100人組手はいずれも真夏に行われていた。
猛暑も失敗の理由だと考えられたため、夏を避けたかったのである。
1986年5月18日、松井章圭の100人組手は、極真のドキュメンタリー映画の一部として使われるため、東映大泉撮影所のスタジオ内に総本部道場そっくりのセットが組まれ行われた。
巨大なスタジオの中にできた道場を、5台のカメラと撮影スタッフが囲んでいた。
スタジオは外部の音を遮断するために締め切られた。
空調も音がするという理由で切られた。
数百個のライトと200名近い人間の発する熱でスタジオ内はサウナ状態となり、松井章圭の計画は崩れた。

相手を務める100名の門下生が並んで正座し、松井章圭は最前列の右端に座った。
極真会館の昇段審査は、初段が1人2分ずつ10名と戦い、その半数以上に1本勝ちを収めなければならない。
2段なら20人、3段なら30人である。
100人組手は、それを100人行う。
過去に100人組手を完遂したのは2人。
ハワード・コリンズと三浦美幸だけだった。
近年では、世界大会2連覇の中村誠が35人で、全日本大会3連覇の三瓶啓二が49人で失敗していた。
極真の頂点を極めた者でも100人組手の壁は高く険しかった。
(2018年時点での100人組手の達成者は9名。
ハワード・コリンズ(1972年)
三浦美幸(1973年)
松井章圭(1986年)
アデミール・ダ・コスタ(1987年)
三瓶啓二(1990年)
増田 章(1991年)
八巻建志(1995年)
フランシスコ・フィリォ(1995年)
数見 肇(1999年)
アルトゥール・ホヴァニシアン(2009年)
タリエル・ニコラシビリ(2014年))

「ドン!」
開始の太鼓が打たれ
「はじめ!」
審判の声が響き渡った。
1人目は、後ろ回し蹴りで1本勝ち。
2人目は、上段回し蹴り、1本勝ち。
3人目、突きと下段回し蹴りで技あり2つをとって合わせて1本勝ち。
4人目、後ろ回し蹴り、1本勝ち。
5人目、足払いと中段回し蹴りで技あり2つ、1本勝ち。
次々かかってくる相手を松井章圭は華麗に退けていった。
しかし15人目の相手に、下段回し蹴りを合わされ、松井章圭は膝をついた。
「よし来い、コラ」
怒った松井は気合を入れて左右の突きの連打から上段回し蹴りで倒した。
16人目、後ろ回し蹴りで1本勝ち。
17人目、上段回し蹴り、1本勝ち。
スタジオ内の温度は40度を超え、松井章圭は肩が上下させて息をし、バケツの水をかぶったように汗をかいた。
21人目で初めて判例負け。
(まだ1/5なのに・・・)
松井章圭が30人目に判定勝ちすると、いったん中断され、冷房が入れられた。
松井章圭は、道衣を着換えた。
再開後、34人目に2度目の判定負け。
(まだ1/3なのに・・・)
46人目に金的に蹴りをもらい中断された後、右下段回し蹴りで技ありを奪った。
50人を超えると、相手の技が皮膚に触れるだけで全身が痛み、体はフラフラ、思考も途切れ途切れになった。
(もうダメかもしれない)
松井章圭は視線を落とした。
その瞬間、盧山初雄の怒声が響いた。
「松井、途中で止められると思うなよ」
59人目に判定勝ちし、開始線に戻った松井章圭は嗚咽を上げた。
75人目、左上段回し蹴りを出した松井章圭が腰から崩れ落ちた。
80人目、夢遊病者のようにフラつきはじめた。
85人目、上段後ろ回し蹴りを出すも崩れ落ちる。
90人目、腕は上げられず足も動かなかった。
意識は朦朧としている。
92人目に中段回し蹴りをもらった松井章圭はキレた。
「よしこい」
突きの連打で突進し頭突きをかました。
下がる相手をなおも追い回した。
もはや組手ではなかった。
相手を門下生たちが座っている中に突き倒し、倒れた相手にさらに攻撃を加えようとした。
主審が松井章圭の襟首をつかんで試合場の中央に投げ飛ばした。
松井章圭のうつろな目には狂気が宿っていた。
95人目、右上段回し蹴りで1本勝ち。
これが最後の1本勝ちとなった。
96人目から100人目まで、松井章圭は、格下の門下生に、ただ殴られ蹴られ、顔を歪めた。
(やっと終わった)
総時間、4時間、組手時間、2時間24分、75勝12敗13分、3人目の100人組手完遂だった。
松井章圭は救急車で病院に運ばれる途中、担架で嘔吐し、そのまま入院した。
拳、肘、つま先、足甲、脛、膝は、ドス黒くパンパンに腫れていた。
(やっぱり空手は肘から下、膝から下を徹底的に鍛えることが基本だな)
そう悟る空手バカだった。

全日本大会2連覇

1986年11月2~3日、第18回全日本が行われた。
黒澤浩樹は「打倒!松井」を目標に1年稽古を積んで出場していたが、2回戦で軽量級選手に跳び膝蹴りでKOされ大会1日目で姿を消した。
パワーアップし殺傷能力を増した格闘マシンの1番の敵は油断だった。

松井章圭は、1回戦を1本勝ち、2回戦を膝蹴りで技ありをとって勝ち、初日を終えた。
大会2日目、松井章圭は、4回戦を判定勝ち、準決勝は後に全日本大会で2度優勝、100人組手達成、世界大会でも優勝する八巻建志だったが、このときは5-0で松井章圭が判定勝ちした。

決勝戦は、松井章圭 vs 増田章、3度目の対決となった
増田章は突進し突きと蹴りで攻めた。
松井章圭は前蹴りで距離をとろうとしたがの突進を防げなかった。
延長戦に入り、一瞬のスキをついて上段回し蹴りが増田章の首に入った。
一瞬、意識を飛ばしたが、増田章は突進をやめなかった。
松井章圭は左上段回し蹴り、左上段後ろ回し蹴りを連発。
蹴り足ごと押されて倒されたものの、これで流れが変わった。
増田章の攻撃と突進の力が弱まり、松井章圭は攻め続けた。
そして判定で勝ち、全日本大会2連覇を果たした。

第4回世界大会 アンディ・フグの踵落としを破って優勝

1987年8月、恒例の夏の合宿が、かつて大山倍達が牛と格闘した千葉県館山市で行われた。
今回は第4回世界大会に向けて強化合宿でもあった。
第1回世界大会は佐藤勝昭、第2回、第3回は中村誠が優勝。
空手母国の威信を守られた。
しかし今回は
「日本にエース不在」
「極真王座流出、最大の危機」
とマスコミは書きたてた。
第1回世界大会前
「日本が負けたら私は腹を切る」
第2回、第3回では
「君たち、負けたら腹を切る覚悟で臨みなさい」
といい、今回の強化合宿でも指導を行った大山倍達は
「君たち、死ぬ気で戦え」
「こんなことじゃ外国人には勝てないよ。
君たちの頭が海外勢にスイカのようにグシャッと潰されるのが浮かんでくるよ」
「とにかくだ。
勝負の世界で負けるということは死を意味することだから、負けたら死ぬ、必ず死ぬんだ。
殺らなければ殺られるという覚悟で精進しなさい」
といった。
合宿最後の夜、日本選手代表は「固めの飲み会」を行った。
選手同士一気飲み勝負を行い、負けた選手は別の選手を指名し、勝つまでこれを続けた。
それが一周すると、次はバケツに日本酒、ウィスキー、ビールなどをチャンポンして回し飲み。
主将の松井章圭も酔っ払い、
「自分たち今回の日本代表選手は、一生の付き合いをしよう」
と叫び、肩を組んで全員一丸となって
「日本の王座死守」
をがなりたてた。
しかし8年後、この日本代表15名も巻き込んだ分裂騒動が起こる。

夏合宿の後、松井章圭は1ヵ月間、アメリカに出稽古にいった。
最初はニューヨーク道場で、大山茂の竹刀に叩かれながら追い込む稽古を行った。
ニューヨーク道場には2週間滞在したが、最初の1週間で体重が8㎏落ちた。
「いいか!
右腕を折られたら左腕で倒せ。
両腕を折られたら脚で倒せ。
両手両足が利かなくなったら噛みついてでも倒せ。
それで殺されたなら化けて出ろ。
男として生まれたからには倒れるときはただ1度、死ぬときだけだという精神で行け」
後半の2週間は、アラバマ支部で大山泰彦の指導を受けた。
大山泰彦が掲げたテーマは、体力や技術的なものではなく「相手の気を読む」だった。
その稽古の中で、大山泰彦は松井章圭に対し、このような感想も持った。
「もう1つ上の殺気というか、この男の気合は実に深い位置から発してくる。
無表情な中にも相手が発散させてくる殺気に容易く乗ることなく、常に己の内に秘めた鉄をも溶かす殺気がある」

帰国した松井章圭は、御徒町の「サンプレイトレーニングセンター」で、宮畑豊からトレーニングしながら故障個所を治す「操体法」の指導を受けた。
操体法は、痛めた個所の周辺の筋肉を効果的に鍛え、故障個所そのものを筋肉のギブスで強化するというもので、松井章圭は、数ヵ月で腰痛を回復させた。
腰痛が癒えた後は、宮畑豊の指導でウエイトトレーニングに取り組んだ。
これまで松井章圭は、永田一彦から「低重量×高回数」のウエイトトレーニング、城西支部で「高重量×低回数」のウエイトトレーニングを経験したが、宮畑豊のトレーニングは「高重量×高回数」だった。
3ヵ月後、ベンチプレスが140㎏→170㎏、スクワットが180㎏→230㎏と松井章圭の肉体はパワーアップした。

世界大会まで2ヵ月を切ったある日、宮畑豊の紹介で、松井章圭は大相撲の高砂部屋、九重部屋へ出稽古を行った。
四股、てっぽう、すり足、ぶつかり稽古など相撲の基本稽古を力士相手に行った。
九重部屋では、稽古終了後、千代の富士と一緒に1番風呂に入った。
大会2週間前、最後のウエイトトレーニングが終わり、宮畑豊と一緒に食事にいった松井章圭は、1㎏のステーキ、シャブシャブ8人前、超大盛焼きそばと焼うどんを一気に平らげた。

1987年11月6~8日、3日間にわたり、第4回世界大会が日本武道館で行われた。
松井章圭は1回戦は、不戦勝で第1日目を終了した。
大会前、イギリス支部長のスティーブ・アニールは
「極真会館2代目就任への賛同と新体制設立の趣意書」
を海外の支部長らに送付していた。
そこにはスティーブ・アニール自身が極真会館の2代目になることも盛り込まれていたが、ヨーロッパを中心に多くの支部長から賛同を得ていた。
そして世界大会終了翌日に開かれる全世界支部長会議で
「大山倍達の総裁解任とスティーブ・アニールの2代目就任」
を議決する計画だった。
反大山倍達派は、日本の関係者と行き交うとき挨拶さえ交わさず、日本人 vs 外国人の試合で日本人選手が判定で勝つと、外国人からヤジ、ブーイング、指笛など抗議のデモンストレーションを起こした。
大山倍達は、このクーデター計画を承知していたが
「試合の判定が日本人びいきであるといわれるような大会であっては断じていけない。
ハッキリと決着をつけるようにしなさい」
と指示し、レフリーは『疑わしきは引き分け』にしていった。
日本代表の控室は殺気と緊張で静まり返っていた。
15名の日本代表は試合に勝っても負けても笑顔はなかった。
『空手母国の王座死守』の重圧によるものだった。
「こんなときは誰か1人負けてくれると気が楽になるんだけどなあ」
盧山初雄の一言でやっと笑いが起こった。
そして全員が1回戦を突破した。

松井章圭は、2回戦を左上段回し蹴りで1本勝ち、3回戦を、3-0の判定勝ちし2日目を終えた。
この日、小笠原和彦がアンディ・フグに技ありを2つ奪われ1本負け。
日本代表は14名になった。
大会3日目、生き残った32人が潰し合いを始めた。
Aブロックを制したのは、ジェラルド・ゴルドーと七戸康博を判定で下した増田章。
八巻建志、ブラジルで100人組み手を達成したアデミール・ダ・コスタ、「ヨーロッパ最強の男」と呼ばれたミッシェル・ウェーデルが集う激戦区、Bブロックを制したのはアンディ・フグ。
黒澤浩樹は、3回戦でピーター・シュミットとのケンカファイトを演じ、判定勝ちしたもののケガで棄権。
黒澤浩樹の棄権によって準々決勝を不戦勝で勝ったマイケル・トンプソンがCブロックを制した。
松井章圭は、5回戦を外館慎一に体重判定、準々決勝はニコラス・ダ・コスタに5-0で判定勝ちしDブロックを制した。
ベスト4は、増田章、アンディ・フグ、マイケル・トンプソン、松井章圭となった。

準決勝戦第1試合は、増田章 vs アンディ・フグ。
前回の世界大会で松井章圭に敗れたアンディ・フグは、その夜、滞在していた池袋のメトロポリタンホテルのドアを蹴破るほど悔しがった。
そして帰国後、猛練習を開始。
「踵落とし」というオリジナル技まで編み出した。
この大会まで「踵落とし」は、まったく未知の技だった。
まともな受け技もなく、対戦相手は崩され、倒されていった。
増田章も、踵落としに崩され、3度の延長戦の末、判定で敗れた。

準決勝第2試合は、マイケル・トンプソン vs 松井章圭。
マイケル・トンプソンは、軽快なステップから大きな蹴りを繰り出し「黒豹」と呼ばれていた。
特に長身で柔軟な体から高速で繰り出される後ろ回し蹴りは脅威だった。
(脚を殺せばフットワークも死ぬ)
松井章圭は下段回し蹴りで攻めた。
一進一退の攻防は5度目の延長戦まで続いた。
消耗と下段回し蹴りの連続攻撃を受け、ガードが下がっていたマイケル・トンプソンに、松井章圭は下段回し蹴りのフェイントから右上段回し蹴りをマイケル・トンプソンに放ち1本勝ちした。

決勝戦は、アンディ・フグ vs 松井章圭。
松井章圭は、アンディ・フグの踵落としをこう分析していた。
(あの技は、1で軸足を踏ん張って蹴り足を頂点まで振り上げ、2で相手に踵を振り落とす。
つまり1のタイミングでアンディ・フグの軸足を払ってしまえばいい)
試合開始早々、松井章圭は下段回し蹴り。
するとアンディ・フグは、左の踵落とし。
それは松井章圭の鼻先数㎝から帯の結び目をかすめてマットに落ちた。
意を決して間合いを詰める松井章圭にアンディ・フグは、2度目の踵落とし。
松井章圭はかまわず踏み込んでアンディ・フグの軸足を蹴った。
本戦は引き分けとなり、延長戦へ。
アンディ・フグは、フットワークで大きく回りながら、3度目の踵落とし。
その踵は松井章圭は右耳をかすめ肩に落ちた。
松井章圭は、そのまま前進し、軸足立ちになったアンディ・フグを押し倒した。
跳ね起きたアンディ・フグが右後ろ回し蹴り。
松井章圭は後ろに体を反らせてよけ、左下段回し蹴り。
華麗な足技の応酬の末、1回目の延長戦は引き分けになった。
2度目の延長戦に入り、アンディ・フグが4度目の踵落とし。
それに対し、松井章圭は、アンディ・フグの軸足に後ろ回し蹴りを合わせた。
4度も踵落としを潰されたアンディ・フグは、パンチによって勝機を見出そうとした。
しかし左の突きが松井章圭の顔面に入り、主審に反則に
「減点1」
を言い渡され、両手で顔を覆い天を仰いだ。
そして試合は判定で松井章圭が勝った。
松井章圭が優勝したことで、スティーブ・アニール派は勢いを削がれ、世界支部長会議で「大山倍達の総裁解任とスティーブ・アニールの2代目就任」が議題となることはなかった。
「もう試合はしません」
第4回世界大会の後、しばらくして松井章圭は大山倍達に「選手引退」を申し出た。

松井章圭の主な記録

公式戦56戦50勝6敗
100人組手達成
全日本大会2連覇
第4回全世界大会優勝

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