大西鐡之祐 むかし²ラグビーの神様は、知と理を縦糸に、情熱と愛を横糸に、真っ赤な桜のジャージを織り上げました。

大西鐡之祐 むかし²ラグビーの神様は、知と理を縦糸に、情熱と愛を横糸に、真っ赤な桜のジャージを織り上げました。

「どんな人でも夢を持たない人間はいない。 夢は人間を前進させ、幸福にする。 唯、夢がその人を幸福にするかしないかは、その人の夢の実現に対する永続的な努力と情熱にかかっている。」


「1番熱い青春時代を一言では言い尽くせないほど最高に燃えさせていただいた人です。
日本代表のときは10年近く、共にやらせていただきましたが、目に見えない方法で自分たちの気持ちを試合に集中させてくれました。
昭和46年の対イングランド戦は、6対3で負けはしましたが、水杯を交わし、「日本ラグビーの新しい創造者たれ」といって送り出してくれた時の事は今でも忘れません。
また「信じることは力を生み出す」ということもラグビーを通して教えられました。
私は他の誰よりも多くのことを教えていただいたように思います。
私自身が指導者になってからも、ラグビーのみならず教育について壁にぶつかることが多々ありました。
その時も電話したりご自宅に伺ったりして相談に乗っていただきました。
私が腕力を使わずに生徒を指導したということの基本は、やはり体の小さい日本人がラグビーをどう戦うか、という先生の理論から生まれたように思います。
厳しくできる人は懐の深い方です。
常に選手を100%信頼して選手に向き合っていました。
自分自身受け継いでいかなければならないことが多いと思っています。」
((山口良治、伏見工業高校ラグビー部総監督、ドラマ「スクールウォーズ」のモデル)

早稲田大学高等学院ラグビー部、ヘッドコーチ

早稲田大学高等学院ラグビー部は国学院久我山ラグビー部を破り、花園初出場を果たした。

昭和52年、大西鐡之祐は、早稲田大学高等学院ラグビー部のヘッドコーチに就任。
あらゆる条件で劣る中、東京都予選決勝で、集中力とタックルだけで、常勝:国学院久我山に9対6の勝利を収めた。
このとき早大高等学院の寺林努は、高校、大学と2度にわたってキャプテンとして大西の指導を受けて、後に自身も早大学院高の監督となった。
「大西先生の言葉で思い出すのは、「コーチとは片想いの愛や」と言っていたことかな。
高校の頃は、正直、どれだけすごい人なのかわからなかったけど、緻密な感じはした。
春は久我山に負けているんだ。
24-40とかで。
その後、大西先生を交えて夏合宿をどうするか話し合ったときに、ロックだった安田をフルバックにしようって言う。
ビックリしたよ。
安田はチームで1番背が高いし、フルバックにはもっとうまいのがいたしね。
でも大西先生には見えていた。
ハイパントを上げられて、競り合いになったり、ゴール前のスクラムからサイドを突かれたときに当たり負けしないフルバックが必要だとね。」

日本ラグビーは世界から評価され、尊敬さえされた

昭和54年11月、ジム・グリーンウッドが、日本ラグビーフットボール協会機関誌『ラグビー』に、「日本ラグビー見たまま」と題した寄稿をした。
ジム・グリーンウッドは、スコットランド代表として20キャップ、昭和30年の全英代表ブリテッシュライオンズの南アフリカ遠征ではキャプテンをつとめた偉大な選手で、その後、イングランドやスコットランドなどの代表チームのコーチを歴任し、昭和54年に筑波大学の客員教授として来日し、同大学のラグビー部を指導していた。
グリーンウッドは「日本ラグビー見たまま」の中で、日本ラグビーの問題点をこう指摘する。
「それにしても不思議なのは、産業界においてこれだけ優秀な問題解決能力を誇る日本が、なぜラグビー界ではそういかないのかということである。
1918(大正7)年に輸入した練習法を、60年後の今日でもなお変えることなく使い続けているのである。
日本ラグビーの問題点はコーチングのシステムにあるのだということに気がつくまで、あと何年間諸外国に負け続けなければならないんだろう?」
グリーンウッドは、そう嘆いてみせて、1人の異質な日本人コーチを紹介している。
「当時の日本代表チームを見て、私は大西鐡之祐という人は何と偉大なコーチだろうと思った。
彼は、日本ラグビーの特長を生かすラグビーを作り出した。
気迫と才能と知性をつなぎ合わせ、適切な戦法の中で巧みに15人を動かした。
この時こそ、まさに日本ラグビーは世界中から評価され、尊敬さえされたのである。
しかし今思うと、その後なぜ大西氏のラグビーが日本で立ち消えになってしまったのかを理解するのは難しくない。
日本ラグビー界全体の傾向が、大西氏の方向とは反するからである。
この国には、ナショナル・レベルのコーチング案というものが存在しない。
個人的に言わせていただければ、それなしには、いかなる改革も不可能である。
さらにその改革を全国的に広める手段がないうちは、いくら外国人コーチを呼んだところで金と時間のムダである。」

3度目の早稲田大学ラグビー部監督 「ワシが倒れたらポケットのニトログリセリンを飲ませるんだぞ」

昭和55年12月、早稲田大学ラグビー部は大学選手権へ出場できなかった。
OBは大西鐡之祐に頼んだ。
「監督を監督する役をお願いします。」
「何言ってもええのか。」
「構いません。」
昭和56年1月、しかし年が明けると話が変わった。
「先生、どうしても監督の受け手がいません。
何とか今年1年だけお願いします。」
「監督なんてやったらすぐ倒れるよ。」
大西は心臓を患っていた。
毎日薬を飲み、ニトログリセリンの小瓶を手放せない身だった。
「ワシが倒れたらポケットのニトログリセリンを飲ませるんだぞ!」
昭和56年3月、こうして大西鐡之祐は17年ぶり、3度目の早稲田大学ラグビー部監督となった。
どうやってチームを再建するか。
大西とOBの間で議論が続いた。
共通して指摘されたのはフォワード。
フォワードを徹底的に鍛えるということだった。
スクラムで押されると早稲田得意のバックス攻撃が不発に終わる。
バックスはフォワードに比べて選手はいいが決定力が不足していた。
個々の選手というより、チームとして、ゴール前から、どうやってトライを獲るかという戦法を持っていなかった。
相手ディフェンスを突破する集中攻撃をしなければならない。

大西鐡之祐は、部員全員に対して、サーキットトレーニングとウエイトトレーニングの義務づけ1日の日課に組み込んだ。
そして1週間に2時間、ラグビーの基本理論、練習計画、なぜこんな練習をするのか、どのような理論に基づきどのような戦法で攻めていけばいいのか、そのためには1人1人がどのような技術を身につけ、チームとしてどう動けばいいかなどティーチングに取り組んだ。
部員も徹底的に疑問を出して勉強した。
「大学4年の春、元旦から練習して、しばらく休んで
「2月の何日頃から始めましょうか?」
って聞いたら、
「遅すぎる。
練習の計画は日数じゃなく時間で計算しろ。
早明戦からキチっと逆算するんだ。」
と言われた。
その年はとにかくいろいろなことをやった。
寮では、起床後に本格的な筋力トレーニングを毎日続けた。
それまでは半分寝ながら体操やってただけだから、特に1年生はキツかっただろう。
鍛える重点は首の筋力だった。
フォワードは体重を増やすために「食うのも仕事」と言われ、春の間は毎晩チャンコ鍋を食った。
練習は地域ごとに何をやるというパターンを繰り返しやった。
練習が休みの月曜日には大学の教室でティーチング。
過去、早稲田ラグビーが創り上げてきたノウハウを全部おさらいしたようなものだった。
それまで春は散々だった。
特に1本目は明治、日体大、慶応に惨敗した。
おまけに大西先生は腰を痛めて入院してしまった。
俺と卓(佐々木卓副キャプテン)は病院に呼ばれ
「どうなっとるんや」
と聞かれたんだけど、何が何だかよくわからなかったんだ。
自分でもあの頃が1番キツかった。
先生はあのとき、「理論的な進め方がどうもうまくいっていないから夏合宿では方向を修正しよう」って思ったようだ。」
(寺林努)

「全部兵隊に教えるように一律に教えていくと、あるレベルまではいくけれど、それ以上は上がらない。
そのレベルよりちょっと上がれば勝つわけです。
レベルが上がるということは、15人なら15人のうち何人かを個性的に仕込んでいくということができるかということになります。
これは本人の才能だから、その才能を見る目のあるコーチが育てる以外しようがないでしょうね。
見る目のないコーチだったらみんな一様に兵隊教育してしまうことでしょう。」
菅平の夏合宿では、とにかく走って走って体力の限界の挑戦し、秋からのシーズンを乗り切る体力と気力を養った。
「菅平では、体力の限界に挑戦することと、チームに1本の芯を通すことに目標を置いた。
合宿中日のキャンプファイアーでは、禁酒禁煙を誓って炎の中にタバコを投げ込んだりした。」
(寺林努)
9月、アイルランドの名門ダブリン大学とAll早稲田と対戦した。
ダブリンは来日してここまで、27-16でAll明治を、44-10でAll慶応に勝っていた。
All早稲田はOBと現役の混合チームだったが、鋭いタックル、緻密なサインプレーで終始圧倒し、終了直前には平均体重差12kgを跳ね返し、スクラムトライを奪い、27対9でダブリンに勝った。
ダブリンはノートライだった。
この試合でチームに、
「大西監督についていけば勝てるかも・・・」
という雰囲気が出てきた。
「チームの中には大西先生が何を考えているのか理解できない奴もいたと思う。
それは一気に変わったのは、先生の作戦がものの見事に当たってダブリン大に完勝してからだ。
あれで先生に対する信頼度がグッと高まった。」
(寺林努)
そしてシーズンインしてから、早稲田大学ラグビー部は一戦一戦ハッキリと強くなっていった。
こうしてシーズンが深まるにつれてチームは強化され、慶応にも勝って7戦全勝した。

中学のとき相撲で全国2位、2浪のして早稲田大学に入り、未経験のラグビー部入部。
4年生の時にレギュラーを勝ち取った。

渡邊隆 通称「ドス」

「ある先輩がいっていたんだけど、「お前らが4年のとき、7番を誰にするかコンピューターではじき出したら、間違いなく謙太郎だろうと。
でも結果的にはドス
(渡辺隆、中学では相撲で全国で2位、高校では陸上競技をやり、2浪のハンディとラグビー未経験の2重苦を不屈の精神力で克服、飛びかかるような果敢なタックルでフランカーの要職を務め上げた。
愛称の「ドス」は相撲のドスコイを略したもの。)
を使って成功した。
大西先生にはホントにかなわないよ」と。
ドスは器用じゃなかったけど、明治なんかに絶対負けないという凄みというか迫力があった。
先生はそこを見抜いて3年のときクラブをやめようとまで思っていたあいつを生き返らせたんだ。
あの年は新しい戦法もいろいろ試している。
本城をスクラムのすぐ後ろに立たせてダイレクトでタッチキックを蹴る2ハーフのシステム。
6人ラインアウトでハーフの位置にドスを立たせてピールオフでつないでいくプレー。
スクラムを3・3・2で組んでサイドアタックするバリエーションもいくつか持っていた。
センターなんかは1対1で抜く練習をしろとよく言われていたんじゃないか。
とにかくやれることだけのことはやったという感じだった。
ケガ人も多く出て決して万全とはいえなかったけど、早明戦の前日は不思議とのんびりしていた。
もちろんミーティングルームでジャージをもらうところまでは緊張しているけど、食堂に戻ったら先生が
「差し入れの煎餅があったな。
みんなで食べようか。」
って言うんだ。
お茶を飲んで煎餅をかじりながら
「早明戦まであと300何日」
から始めた日めくりが、あと1日になっているのを見て
「ああ、ここまで来たか。」
とスッキリした気持ちだった。」
(寺林努)

「この試合は勝てる。 もう作戦や理屈じゃない。 頑張れ。 頑張れ。」

昭和56年12月6日、国立競技場、早稲田 vs 明治。.
今シーズン、互いに全勝同士の対戦。
しかし明治は早稲田に前年まで4連勝中で、このゲームに勝てば5連勝。
対して早稲田は早明戦勝利を経験した選手が1人もいない。
この年も下馬評は圧倒的に明治有利だった。
試合前、明治の北島監督がOB達と談笑をしているとき、大西鐡之祐は最後まで寺林主将にいろいろと指示を与えていた。
そして大西監督は選手に向かって檄を飛ばした。
「マスコミを信じるのか?
それとも俺を信じるのか?
俺を信じれば勝てる。」
フォワードの平均体重は明治が87.6kg、早稲田は79.0kg。
しかし大西は勝てると思った。
「あれだけ大きなフォワードが80分間走り続けれられるだろうか。
相手より速くフォローすれば必ずチャンスはある。」
ゲームは、明治FWの優勢かと思いきや、早稲田のタックルが鋭く、たびたび明治No8河瀬がゲインを見せるが得点には至らない。
スクラムは、明治が圧倒的優勢で、早稲田はズルズル後退してしまう。
しかし早稲田は明治からのプレッシャーが強くなる前にボールをバックスに渡してしまった。
初トライは早稲田。
前半35分、右オープンでCTB吉野が相手DFをかいくぐる走りを見せ、右隅にトライ。
前半を9対3で早稲田リードで終わった。
早稲田は反則が多く、明治はPKのチャンスが何度もあったが、キッカーが不調でほとんど決まらなかった。
ハーフタイムに大西はグラウンドに降り後半への指示を与えた。
「この試合は勝てる。
もう作戦や理屈じゃない。
頑張れ。
頑張れ。」
涙ぐんだ大西はそう叫んで選手を激励した。
選手は監督のこんなに大きな声を聞いたのは初めてだった。
後半早々、早稲田陣ゴール前でのスクラムが数回続いた。
ゴール前ギリギリのスクラムで、早稲田は最前列の3人以外はゴールエリアに入ってしまっている状態でボールを投入。
ひたすら耐える早稲田だったがペナルティーを繰り返し、7回組み直した後、明治に認定トライを取られた。
こんどは早稲田の反撃。
モールの状態でロック杉崎が相手ボールを奪い取り本城-佐々木薫-吉野-野本と渡りトライ。
押す明治vs耐える早稲田。
ガンガン前に進んで行く明治vsひたすら耐えてここぞという時に展開する早稲田。
後半35分、明治はPKを決め、15対15。
後半36分、明治陣内でのスクラムから出たボールを明治がパントで上げた。
そこに早稲田センターがチャージ。
こぼれたボールは走りこんだ吉野の胸に吸い込まれそのままトライ。
ゴールも決まって21対15。
そしてノーサイドの笛が鳴った。
大西鐡之祐はコーチ陣とガッチリ握手した。
OBたちと記者たちが大西を取り囲もうとした。
大西はとにかく選手に会いたかった。
「みんなのところへ行かせてくれ。」
ロッカールームは歓喜が爆発していた。
4年間公式戦に出ずに卒業していく4年生と1年生が、喜びを共にしていた。
「早明戦の最中のことはあまり覚えていないけど、ハーフタイムのとき先生が泣いていた。
「この試合は勝てる。
もう作戦や理屈じゃyない。
頑張れ。
頑張れ。」
大きな声でそう言われてハッとした。
そうだ。
後40分間攻めるんだって。
今思うと先生は1人1人をよく見ているし、よく憶えていた。
最後は純粋にプレーヤーのことしか考えていなかったんだと思う。
早明戦に勝った翌朝、俺と卓(佐々木卓副キャプテン)が先生の家でTBSのインタビューを受けたんだけど、普通だったらそんな取材は受けないだろう。
あれはTBSに入社する卓に対する優しさだったんじゃないかな。」
(寺林努)

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