『まちぶせ』ヒット前の石川ひとみ

石川ひとみ
高校2年時、フジテレビ系オーディション番組『君こそスターだ!』でチャンピオンとなる。
1978年5月25日、キャニオンレコードのNAVレーベルより「右向け右」でデビュー。
アイドルとしてグラビアなどに引っ張りだこで、NHKの人形劇「プリンプリン物語」では声優として人気を博していた。
しかし、歌はシングル10枚を発売して、オリコンでの最高位はシングル2枚目「くるみ割り人形」の42位、3枚は100位以内へのランキング入りすらしなかった。
『まちぶせ』が石川ひとみのシングル曲に選ばれた理由
ディレクターの長岡和弘は、ヒットはしなかったものの前作『夢番地一丁目』でのノスタルジックなサウンドの完成度に自信を持ち、同じ路線上にある『懐かしきリフレイン』を次のシングルとして制作していた。
ところが、完成したトラックはシングル曲としてのインパクトが弱く感じられ、採用を躊躇してしまう。
そこで挙がったのがユーミンこと松任谷由実(当時・荒井由実)の作詞作曲の『まちぶせ』。
この曲は1976年に同じ事務所のアイドル歌手だった三木聖子が歌い小ヒット(7万枚)していた。
きっかけは石川の所属する事務所で有線放送の課長が雑談していた際に、「いまだに三木聖子が歌った『まちぶせ』のリクエストがあるんだよ。いい曲だから、ひとみちゃんなんかが歌ったらもう一度売れるんじゃないかな」と語った何気ない言葉だったという。
石川は愛知県の高校1年生だった当時、ラジオから流れてくる三木聖子の「まちぶせ」を聴いいて「いい歌だな」と思い、レコードを購入していた。
仮歌を録音時に「この歌大好きだったんですよー、これシングルになりませんかねぇ」と、いつになく積極的な石川の発言に自信を深めた長岡は、シングル発売を本格的に進めた。
過去に小ヒットに終わった楽曲のカバーについて、社内の制作会議など周囲から多くの反対意見を受けたものの、各方面への度重なる説得を経て、石川ひとみの『まちぶせ』は発売にこぎつけた。
18歳で上京しデビューしたとき「最低4年は頑張ろう」と考えたその4年目であった石川は、「この歌だったら、これが私の歌手生活のピリオドになっても悔いはないな」と思ったという。
「この曲で歌手としては一区切りつけるつもりだった」とテレビで発言している。
『まちぶせ』は発売後2ヶ月以上経ってから異例のロングヒットに
『まちぶせ』のランキングが上がり出したのは、発売後2ヶ月以上経ってからのことだった。
じわじわとランキングが上昇し、8月3日付けでようやくオリコントップテン入り(9位)を果たす。
その間、7月21日には本曲をタイトル曲としたアルバム『まちぶせ』が発売され、石川のオリジナル・アルバムでは最大のセールスを記録している。
シングルはその後、最高位6位を記録し、11月過ぎまでランクインが続いており、3〜4ヶ月おきにシングルカットする当時のアイドルの曲としては異例のロングヒットとなり40万枚を記録した。
『まちぶせ』がロングヒットしたため、次のシングル曲として予定されていた『にわか雨』の発売見通しが立たず、にわか雨の時期を過ぎてしまったということもあって発売見送りとなった。

石川ひとみ『まちぶせ』
念願の『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす
冷静に読むとストーカーっぽい歌詞の『まちぶせ』
石川ひとみの綺麗な歌声と切なげな表情、愛らしいルックスから『片想いをしているけなげな女の子』の純愛の歌であると思われがちだが、荒井由実による歌詞自体には好きな男性を振り向かせるためにあらゆる打算を使いまくる強かな女の子が描かれている。
松任谷正隆も『まちぶせ』の歌詞について、「ストーカーの歌ですよね(笑)。メロディはともかく、詞は彼女でなければ書けない世界」と語っている。
ユーミンによるセルフカバーの『まちぶせ』
石川ひとみ以降も『まちぶせ』は國府田マリ子、徳永英明など多くのアーティストにカバーされている。
作詞作曲を行ったユーミン自身も1996年に荒井由実名義でシングルとして発売している。
今も変わらぬ美声で『まちぶせ』を歌う石川ひとみ
2009年、テレビに出演し『まちぶせ』を披露した石川ひとみ。
50歳頃とは思えない美貌と、当時と変わらない伸びやかな歌声で話題になった。