松井章圭 極真の継承者

松井章圭 極真の継承者

世界大会でアンディ・フグに勝って優勝した後、選手を引退。 やがて大山倍達とケンカ別れして極真を飛び出した。 ‘‘イトマン事件‘‘を起こした許永中、``政界最後のフィクサー``と呼ばれた福本邦雄のもとで働き、3年後、復帰。 大山倍達の死後、極真会館の2代目館長に指名されるも、先輩や後輩である支部長たちと内紛が起こり、極真は分裂した。 一見、クールだが1番ガンコな松井章圭館長は、自らの信じる方向に進み、道を拓いていった。



遺族側が疑念を抱いたのは、その内容と作成過程だった。
遺言書は大山倍達が死去する一週間前、5人の証人立ち会いで大山倍達が口述し、極真会館相談役で弁護士の米津稜威雄氏が筆記したものである。
遺言書の最後に、5人の証人の署名捺印があるが、大山倍達本人の署名捺印はない。
証人の中の1人、黒澤明が元黒澤組組長だったため、騒動の裏に暴力団関係者が暗躍してるという疑いもあった。
また遺族は調査によって、遺言書の中にも出てくる「財団法人極真奨学会」が、昨年、大山倍達自身の手によって消滅させられていたことがわかったという。
極真奨学会とは、全日本大会などの入賞者に賞金を出したり、本部道場に住み込みで空手の修行をする内弟子の育成に関する業務を行なうために設立された財団法人。
「毎年何万円かを役所に払えばいいだけなのに、どういうわけか父はその支払いを3年ほど前から行なっていなかったんです。
支払いの命令書が何度も来ていて父も知っていたはずなんですが、なぜかそれをずっと無視していたんです。
それで去年、とうとう財団法人極真奨学会は消滅してしまったんです。
これは松井さんはもちろん、極真奨学会の理事長をしていた梅田先生も知らなかったことです。
というよりも極真会館の中でこのことを知っていたのは、おそらく父本人だけだったんじゃないでしょうか」
(恵喜)
大山倍達自身の手によって消滅させられた財団法人極真奨学会が、大山倍達自身の口述のもとに筆記されたという遺言書に出ているのはおかしいというのである。
遺言書では、智弥子未亡人、長女の留壱琴、二女の恵喜、三女の喜久子に対し、毎月それぞれ100万円支払われる。
石神井の自宅、御宿の土地、湯河原の別荘など不動産も未亡人と娘たちが相続。
極真会館へ寄贈が指示されてる本部道場の土地と建物は相続税を考慮すれば、遺族にとって不利とはいえない。
「文面の通りにお金をいただけるんなら、こんなありがたい遺言書はない。
母はともかく、私たちは働く事が出来ます。
本部道場の建物と土地にしても、確かに遺言書通り極真会館に寄付した方が、金銭的に有利な事もわかってる。
不満なのは、お金のことではない。
遺言書がインチキで、作成に関わった人と、それに動いてる人たちが許せないといってるんです。
とにかく松井さんたちとは一緒にやっていくつもりはありません。
遺言書の偽造を一日も早く証明して、あの人たちには本部道場から出ていってもらいたいんです。
建物の相続税がかかるならば、石神井の家を売ってでもそれを払って、父が建てたあの建物を守りたいと思っています。
とにかく、あの人たちに父が残したものをこれ以上好きにされるのは、絶対に許せないんです」
(恵喜)

1994年6月23日、松井章圭は出席しなかったが極真会館側が記者会見を行い、新体制の発表と遺族の記者会見に対する見解を述べた。
「組織としては松井新体制で固まり、分裂する事はあり得ない。
記者会見を行なった娘さんたちに関しては、故人が死去した時、アメリカ在住だった事もあって、コミュニケーションが十分に取れず、その為に誤解が生じてるが、我々が誠意を尽くして理解して貰うしかない。
遺言状については現在家裁で審査中であり、有効か無効かは裁判所が決める事である。
我々は大山家と対立する意思は全くなく、天皇家のような存在として、ずっと大事にしていきたいと考えてる。
ただし、今回の件、遺族を焚きつけた一部の支部長がおり、その人間に対し厳重処分を考えてる」
1994年6月26日、大山倍達が死んで2ヵ月が過ぎ、青山葬儀所で本葬が行われ、雨に打たれながら6000人の弔問客が訪れた。
その中には新日本プロレスの坂口征二社長、リングスの前田日明、シュートボクシングのシーザー武志、USA大山カラテの大山茂と泰彦兄弟、正道塾の中村忠、佐藤塾の佐藤勝昭、大道塾の東孝、正道会館の石井和義などもいた。
松井章圭は弔辞のとき「館長」ではなく
「葬儀委員長、松井章圭本部師範」
と呼ばれた。
遺影の中の大山倍達は、空手着を着て10段を示す10本の線が入った黒帯を握りしめていた。
しかしその遺骨は三女の喜久子が葬儀の途中で持ち出したため祭壇にはなかった。
その頃、大山倍達の次女の恵喜と三女の喜久子は、記者会見でマスコミに配布したビラを参列者にも配っていた。
大山倍達の遺骨は、恵喜の肩にかけられていた。
そして2人を100名以上の屈強な門下生が取り囲んだ。
マスコミとの接触を封じ、弔問客から隠すのが目的だったかもしれないが、よりショッキングなシーンとなってスポーツ紙に報道された。
日を追うごとに遺族の松井章圭に対する不信は深まり、21歳になったばかりの三女の喜久子はいった。
「最近、毎晩のように夢をみるんですよ。
松井さんたちを絞め殺す夢を。
こんなに人のことを憎んだのは、生まれて初めてです」

西田幸夫

葬儀の夜、世界支部長会議が開かれ、まず松井章圭の2代目就任が確認され、相談役の黒澤明は起立して松井章圭への敬意を表し、全員がそれに続いた。
しかしその後、支部長会議議長の西田幸夫は、まるで新館長を無視するように議事を進行した。
そして何らかの理由で新館長に反抗的な支部長たちは、
「異議なし」
と松井章圭が意見を挟む間もなく次々に議決していった。
まるで新館長を象徴的なものに祭り上げて実権は自分たちが握りたがっているようだった。
「ちょっと待ってください。
30分もたったころ松井章圭が発言した。
「私は館長でありながら、この席に座っているばかりというわけにはいきません。
なぜならここで決定されたことの結果責任はすべて最高責任者である館長がとらなければならないからです。
これからは館長の責務としてこの議事進行は私が担当します」
反松井派は押し黙り最後まで口を開くことはなかった。
逆に郷田勇三、盧山初雄、浜井識安、山田雅捻など松井支持派の支部長たちは同調した。
こうして極真会館は、松井支持派、反松井派、そしてどちらでもない派に分かれた。


松井章圭館長は、三平啓二と緑健児らと共に、3週間、アフリカ各国の支部で指導と講演の旅に出かけた。
到着した南アフリカのホテルでは、松井章圭がスイート、三瓶啓二と緑健児にはツインルームが用意されていた。
「押忍」
朝、松井章圭がホテルのロビーに出ていくと南アフリカ支部の支部長と門下生は立ち上がって十字を切った。
「押忍」
松井章圭は同じ挨拶を返した。
このときロビーにいた三瓶啓二はソファーに腰を下ろしたままだった。
南アフリカの支部長がドアを開けてくれた部屋へも、車にも、新館長よりも先に入り乗った。
会議では
「おいおい、それはそうじゃなくてこうしろ」
と松井章圭の発言を肩を突いて遮った。
困った松井章圭は
「おとなしく座っていてください」
「いま会議中ですからご意見は後程伺います」
といってなだめた。
(これが師範と呼ばれる人のすることなのか)
三平啓二の不快な行動は南アフリカ滞在中ずっと続いた。
「ちょっと話があるんですけど・・」
帰国3日前、松井章圭は同行者全員を部屋に呼んだ。
「館長という立場上、三瓶先輩に対しては僭越といえるような言動があったと思います。
まずそのことを謝りたいと思います。
失礼しました」
「いや、それは・・・」
「この点に関しては謝りますが、自分にもいいたいことがあります」
松井章圭は三瓶啓二の数々の問題行動を挙げた。
「これらの行為が極真会館の将来を本当に思っておられる先輩のとる態度ですか。
自分は遊びで来ているんじゃない。
極真会館の公職としてこういう立場に立っているんです。
そのような場においては先輩後輩という立場を超えた立場というものがあってしかるべきじゃないですか。
このことを理解して、まずお互いが尊重し合うという関係に立てないですか」
そしておだやかなやりとりが2時間ほど続いた後、三瓶啓二はいった。
「わかったよ。
これからはお前を立てるよ。
まあ、がんばれよ」
「やっとわかってくれた。
ここでのやりとりは他言無用にしよう」
と松井章圭が決めた後、
「それでも・・・・」
三瓶啓二が再び話を戻そうとした。
すると松井章圭がキレた。
「先輩、2時間もかけて話し合って、そこまでいうんでしたら話にならない。
表へ出ましょう。
後輩が先輩に対してここまでのことをいうからには胎をくくっているんですよ
どうするんですか。
やりましょうよ」
「いや、悪かったよ」
(折れてきたのならこれ以上追及することはない)
「わかりました。
先輩ですから」

松井章圭の当面の課題は、6月の第11回全日本ウエイト制大会と10月の第26回全日本大会、そして翌年に行われる第6回世界大会の開催だった。
大会には巨額の費用が必要だったが、
「極真は君たち門下生全員のものなんだよ。
もしも私が死んだ後に金が遺してあったら、私の墓に来て唾を吐きなさい」
と生前、大山倍達がいっていたように、総本部の金庫は空同然だった。
門下生数1200万人というのは、累積入門者数で、現時点での実質的な道場生数は、1/10以下になるる。
極真会館の主な収入源は、道場生の入会費、月謝、昇級・昇段の認可料、大会の入場料などがある。
それらを合わせても総本部に集まってくる金は多くて年間に2~3億円。
そこから職員や指導員の人件費、会館の運営費まで出していかなければならない。
松井章圭は、全国を飛び回って、資金援助をしてくれる企業や後援者を訪ね歩いた。
そして何とか開催にこぎつけた第11回全日本ウエイト制大会と第26回全日本大会は、お家騒動のおかげもあって大観衆が詰めかけた。
(いつまでも他人様の米びつで飯は食えない。
やはり日々の組織活動の中から活動資金を捻出できなければいけない)
松井章圭は、総本部による門下生の一元管理システムを導入しようとした。
大山倍達時代、総本部と支部長の関係は、上納金として年間に一定額を支払えば、支部の活動は自由で、総本部が口をはさむことがなかった。
当然、支部長からは反対された。
(支部長たちは門下生を自分だけの弟子と考えているが、門下生は等しく極真の会員で、大山倍達総裁の弟子である)

1994年9月21日、全国支部長会議で、遺族を煽動したという理由で、高木薫(北海道支部長)ら5名に対しての破門・除名処分が決まった。
高木薫は、東京地裁に松井章圭の館長としての職務停止仮処分の申し立てを行った。
(12月26日、東京地裁はそれを却下)

1995年1月17日、阪神大震災が起きた。
兵庫県支部長の中村誠も、自宅や本部道場、分支部道場など甚大な被害を被った。
対応に追われ
「後継者どころじゃなかった」
という中村誠に、反松井派からひっきりなしに電話やファックスによる多数派工作が続いた。
しかし松井章圭は現地へ訪ねていき、大先輩に対して心からのねぎらいの言葉をかけただけで帰っていった。
「反松井派の連中は自分のことしか考えず、電話で一方的に言いっぱなしなのに、館長はそんなゴタゴタなんかなあーんもいわずに、ただお見舞いときた。
よし、俺はこの男を、なにがなんでも守りたてちゃろうと思った」

1995年2月15日、高木薫は、記者会見を開き、大山智弥子未亡人が2代目館長に就任したと発表した。
1995年3月9日、支部長会議長の西田幸夫の呼びかけで、松井章圭不在の緊急全国支部長会議が開かれた。
そして松井章圭の弾劾裁判が行われたが
「館長不在の支部長会議は認めない」
という郷田勇三の抗議を受けて、翌10日、改めて松井章圭主席で会議が開かれた。
1995年3月31日、大山倍達の遺族の遺言書の無効と執行差し止め請求に対して、東京家庭裁判所は

1 証人の梅田嘉明が株式会社グレートマウンテンの代表取締役になっていて利害関係があること
2 遺言書で娘の名前が間違って表記されていること
3 智弥子夫人を遺言書作成から排除し」、死後数日たってから知らせたこと

という点から遺言書の無効を認めた。
(松井章圭は、異議が申し立て抗告)


1995年4月5日、東京八重洲口の国際観光ホテルにおいて三瓶啓二の呼びかけで再び全国支部長協議会が開かれた。
協議会は支部長全員ではなく各地域の代表が集まる会議である。
この会議の開催は、直前まで、松井章圭と彼を支持する支部長たちには知らされなかった。
出席していた支部長は全48支部中35名だった。
松井章圭が会場に入ると西田幸夫が聞いてきた。
「館長よろしいですか」
そして会議は始まった。
支部長協議会が議決権のある支部長会議にすり変わっていた。
「これから全国支部長会議を開催します。
動議のある方は挙手してください」
すかさず三瓶啓二が発言した。
「議長。
館長解任動議を提出いたします」
「ただいま館長解任動議が提出されました。
これに賛成の方はご起立願います」
30名の支部長が立ち上がった。
「これをもって、この動議は承認されました
この場で館長は解任されました」
「これはどういうことなんだ」
郷田雄三に問いに西田幸夫はいった。
「何も話すことはありません。
これが現実なんです」
すぐに賛成した支部長たちは会場から退出していった。
事前に行っていたリハーサル通りに・・・
柳渡聖人(岐阜支部長)は、松井章圭にいった。
「俺たちはお前の話し方も歩き方も嫌いなんだよ」
その後、反松井派は記者会見を開き、「館長解任の宣言文」を読み上げた。
そこでは
・「極真会館」の個人名義による登録商標など、松井章圭の組織の私物化
・松井章圭の独断専行
・不透明な会計処理
が挙げ、それに対する明確な回答を求めた。
松井章圭と松井支持の支部長たちは反松井派の記者会見をみずに総本部に戻っていたが、そこに反松井派の30名が押しかけてきた。
「決議に従って退去」
「館長を降りろ」
を迫り、極真の猛者たちはにらみ合った。
多勢に無勢だったが、やがて反松井派はぞろぞろ帰っていった。


1995年4月6日、メトロポリタンホテルで、松井章圭、郷田勇三、盧山初雄、浜井識安、山田雅捻らが記者会見を開いた。
松井章圭は、前日、反松井派が発表した「館長解任の宣言文」についてコメントを求められると、以下のように答えた。
私物化については
「極真会館という商標は極真のトレードマークですよね。
あの商標権が全て私の個人名で登録されているという部分で支部長たちが不信感をおっしゃったようですけれども、実際、私の個人名による登記となっております。
とはいえ個人のものではありませんから、将来は(大山倍達が希望していた)公益法人ができれば速やかにそこに移します」
独断専行に関しては
「私が館長に就任してから10ヵ月間、私個人も仕事に100%間違いがなかったとは、断言できないかもしれません。
実際反省すべき点もあると思います。
ただ日々の組織運営上、全国の点在する支部長たちに逐一報告と承認を得ることが物理的に不可能であったことは歪めなかった。
このことは理解の範疇内であると思っています」
不明瞭な会計処理については
「極真会館がこれまできちんとした形で法人化されてこなかったために運営資金が会館の業務として使われていた分、また大山倍達個人の分、という形で預金が分けられていなかったりですね、いろんな形で重なっていた部分があったものですから、それは極真会館側も遺族側も当然困った部分ではあったんです。
けれどもそれに対して極真会館が活動する上での当座に必要な運営資金が足りない部分があったことを知った上での批判ではなかったのではないかといいたい」
またこの記者会見では「統括本部」というセクションが設けられたことが発表された。
統括本部長は、山田雅捻、副本部長は、浜井識安だった。
また震災によって、松井支持派、反松井派か、いずれに所属するか明らかではなかった中村誠が松井章圭支持を発表した。
世界大会2連覇、キング・オブ・キョクシンを敵に回すことになった反松井派の支部長は動揺した。
4月7日、再び反松井派が記者会見を開き、松井章圭の館長解任の正当性をアピールした。
前日の松井章圭の明確な回答に対して三瓶啓二は、
「要は信頼関係が失われたということ」
と述べた。
この時点で、松井支持派は12名、反松井派は35名。
分裂は海外にも波及し、世界各地で支部の取り合い、選手の引き抜きも行われた。
全日本大会、ウェイト制大会が松井支持派と反松井派で開催されるようになった。

ランチェスター作戦

統括本部長となった山田雅捻は、数で勝る反松井派への対策戦略として「ランチェスター理論」を説明した。
「第2次世界大戦のときにイギリス空軍がドイツ空軍と戦うときに編み出したのがランチェスター理論なんだけど、これが極真を出ていった連中との戦いに有効だと思う。
イギリスが20機でドイツ機10機と戦ったとすると、敵機を全滅させたときの損害は5機で済むという計画が成り立つという理論なんだ。
もし10機対10機で戦ったとすると戦闘機の性能やパイロットの技術に差があったとしても双方が全滅ということになりかねないというんだ。
つまり相手が1支部に5つの道場を持っているなら、極真会館は10の道場を、若い指導員を道場主に指名して開設するという戦略でいけば、反松井派の道場は脅威でなくなる」
以後、極真会館は、元支部長のテリトリー内に次々と道場を開設し若い指導者を送り込んだ。
「ランチェスター理論」は、イギリスの航空工学者F.W.ランチェスターが提唱した戦闘の法則だが、経済問題にもでも応用されている。
1970年代前半にオイルショックが起こり、日本はそれまでの高度経済成長期から一転して不況となった。
そのときそれまでのスピード勝負、体力勝負ではなく、科学的・論理的な経営戦略・営業戦略が求められた。
そして多くの企業は、ランチェスター理論を取り入れ、不況を乗りこえた。
今日でもランチェスター理論は、競争戦略・販売戦略のバイブルといわれている。

一方、反松井派は、松井支持か反松井かをハッキリさせない支部長を勧誘し、多数派工作を図った。
当初、反松井派は、松井章圭が会議を開かずに1人で決めていったことがあったり、公にすべきことをしなかったことで不信が募り、解任に手を挙げた。
「別に松井君に極真から去れ、と言っているのではないのです。
もう一度、支部長からやり直してこれまでのことを精算してほしいのです。」
(三瓶啓二)
「松井先輩、もう一度支部長からやり直しましょう!」
(緑健児)
「全国で半分以上の支部長たちが辞めてくれといっているんです。
だから松井先輩は辞めるべきです」
(増田章)
「いろんな意味で松井君は急ぎましたね。
松井君は館長に就任するなり5人の支部長を事実関係もあいまいなままいとも簡単に除名にしました。
大山総裁も、生前は何人かの支部長を破門、除名にしましたが、その際も何回も支部長会議を開き、除名にするのを最後の最後までためらったものですよ」
(松島良一(群馬支部長))
しかし
「許永中から数億円の援助金が出ている」
「(大山倍達が有名なヤクザである柳川次郎と義兄弟であったため)山口組がバックについている」
「(統一教会の代表者の姓が松井章圭の本名の同じ「文」だったため)統一教会が極真を乗っ取ろうとしている」
などというデマや
「日本人だけで極真やろうぜ」
などひどい言葉もあった。
また人事や既得権を巡って争いが起こったり、松井章圭が行い、反対していた「門下生を一元管理する会員システム」を導入するなど組織は混迷した。
「いっていることが支離滅裂で何を信じていいのかわからない」
「いっていることとやってることが全然違う」
「彼らは単に松井嫌いで固まっているだけ」
など反松井派を見切って、松井章圭の極真会館に戻る支部長も出てきた。
しかし松井章圭から勧誘を行うことはなかった。
「自分はどうしたらいいでしょうか」
と相談されても
「君の考えた通りにすればいい」
と答えた。
(大義はこちらにある。
甘い言葉や復帰の条件などで釣っても裏切る人間はまた裏切る。
去る者は追わず、戻ってくる者は拒まずという方針は崩さない)

1995年5月、全ヨーロッパ大会の会場が開かれた。
三瓶啓二や緑健児、増田章、七戸康博、西田幸夫など反松井派はビラをまいたり支部長たちと会合を行った。
大会翌日に行われた全ヨーロッパ支部長会議に参加を要請された松井章圭は
「まずはヨーロッパの支部長同士で態度を決めるべき」
と参加を保留。
国際委員会ヨーロッパ委員のルック・ホランダーは
「まず松井館長が日本の状況を説明すべき」
と会議の開催前に松井章圭に発言を場を設けた。
松井章圭の説明を聞いた多くの支部長が支持を表明し、ルック・ホランダーは
「我々は松井館長を支持していくことにしたい」
といって会議をスタートさせた。
松井章圭が退場すると、反松井派が会場に入っていった。
しかしルック・ホランダーは
「あなたたちの参加は認めない」
と追い返した。

一見、複雑な、あるいは醜い、極真の分裂騒動だが、郷田勇三のいうように、その原因はシンプルなのかもしれない。
「分裂は俺が2代目を継いだとしても避けられない事態だった。
それは大山総裁の代わりは絶対にいないからだ。
だから分裂は松井館長に2代目としての器量がなかったからじゃない。
誰が継いでもこうなったんだ」

第6回世界大会

1995年6月、有明コロシアムで第12回全日本ウエイト制大会が開催された。
軽量級は成嶋竜、中量級は瀬戸口雅昭、重量級は岩崎達也が優勝した。
岩崎達也は、師匠である廣重毅(城南支部長)は反松井派にいたが自らの意志で出場した。
それまで分裂騒動に対して、具体的な行動をとった選手はいなかった。
盲目的な服従というより、日々のハードなトレーニングと稽古で手一杯というところだろう。
しかしこの岩崎達也の勇気ある行動が、第6回世界大会を変えた。

1995年9月、第6回世界大会の2ヵ月前、分裂騒動を理由にテレビ朝日が世界大会のテレビ放映中止を決める。
反松井派は記者会見を開き声明を発表した。
「世界大会は有名無実である」
実際、国内の支部の大半が反松井派で、選手の数も層も反松井派の方が上回っていた。
しかしK-1を放映し、格闘技ブームを牽引していたフジテレビが急遽、世界大会の放映を決めた。


またブラジル支部の磯部清次師範は松井章圭の2代目を認め極真会館に残った。
これにより弟子であり世界最強の呼び声が高いフランシスコ・フィリョ、そしてその弟弟子であるグラウべ・フェイトーザも第6回世界大会に出場することになっていた。
岩崎達也同様、廣重毅の弟子だった八巻建志と数見肇は
「フィリョと戦いたい」
と第6回世界大会の出場を希望した。
広重殻は謝罪し、極真会館への復帰が認められた。
緑健児も広重殻の弟子だったが極真会館には戻らなかった。
三和純、岡本徹、吾孫子功二、入来武久、塚本徳臣、川原奈穂樹など城南支部の有力選手も反松井派に残った。
こうして城南支部は真っ二つになった。

第6回世界大会では、
「極真」
と書道家:野呂雅峰が書いた20畳の大きさの布が東京体育館の天井に吊り下げられた。
松井章圭は、氷柱を裏拳で割る演武を行った。
数見肇は、準々決勝でグラウべ・フェイトーザ、準決勝でフランシスコ・フィリョに勝った。
優勝は数見肇に勝った八巻建志だった。

黒澤浩樹との口論

「黒澤、お前、品川に道場出せ。
品川はお前の実家だろ」
「いいんですか?」
「もう関係ないから道場出せ。
いいよな、館長?」
「いや、もうどんどん出したらいいんですよ」
松井章圭と師匠であり、ランチェスター作戦を進める統括本部長でもある山田雅捻(城西支部長)のアドバイスもあって、黒澤浩樹は実家の駐車場に道場を建てる計画を持った。
を両親は快諾した。
その土地は道路建設のために都に売却する予定だったが、父親は息子が道場を出すために数千万の税金を払って土地を確保した。
しかし廣重殻が復帰したことで
「もう道場は出せない」
と告げられる。
松井支持派の中で廣重殻は「A級戦犯」といわれていた。
それがペナルティなしどころか役職つきで復帰したと思えば、そのせいで道場が出せないという。
納得できない黒澤浩樹に山田雅稔は
「黒澤、品川もいいけど名古屋で道場やらないか」
松井章圭は
「ぼくは知らない」
といった。
このとき松井章圭は胎をくくっていた。
「一貫して松井支持で踏ん張り続けた支部長たちの憤懣やるかたない思いを察しつつも一言居士(いちげんこじ、自分の意見をいわないと気のすまない人)が群雄割拠する極真会館をまとめあげるためには自分が清濁を併せ呑むしかない」
しかし黒澤浩樹は、大山倍達がいなくなった後、さまざまな面で極真は変わったと感じていた。
以後、松井章圭と黒澤浩樹は、何度か激しい口論をした。
「廣重師範は許せない」
「僕も個人的には許せないが、館長としては許さないといけない」
そして黒澤浩樹は極真会館を辞めた。
極真は黒澤浩樹にとって青春のすべてだった。
自分のすべてを賭けた。
「俺は極真だ」
極真を辞めてもその気持ちは変わらなかった。

極真開国

1996年7月、松井章圭、石井和義、フジテレビで会合が持たれた。
極真会館は、アンディ・フグの引き抜きに怒った大山倍達が絶縁して以来、正道会館との接触はなかった.
松井章圭は
「極真会館は、過去に行われた除名、破門、絶縁処分を解除する」
と宣言。
そして石井和義のオファーを受けて、フランシスコ・フィリョがK-1に参戦。
デビュー戦で、再びアンディ・フグを失神させた。
その後も連続KO劇を起こし「一撃」ブームを巻き起こした。

遺言書 無効

1996年10月16日、東京高等裁判所は、松井章圭の抗告を棄却。
遺言書は無効とした。
(松井章圭は抗告棄却審判に対して異議が申し立て特別抗告)
1997年3月17日、最高裁判所が特別抗告を棄却する。
遺言所の無効が確定。

1997年9月27日、6億円の保釈金を支払い保釈を受けた許永中は、妻の実家の法要を理由に裁判所の旅行許可を得て韓国に出国。
宿泊先のソウル新羅ホテルで倒れ、同市内の延世大付属セブランス病院心臓内科に入院した後に逃亡。
保釈を取り消されて6億円の保釈金は没取された。

世界各地で指導、育成、組織運営、新しい試み

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山下泰裕が持っていた全日本選手権最年少優勝記録を破り、井上康生、鈴木桂治、棟田康幸とのライバルに競り勝って北京オリンピックに出場し、金メダル獲得。「屁のツッパリにもなりません」「すごい純粋さが伝わってきました。そして腹黒くないからこそ、政治家として人気が出ない」


【1964年生まれ】2024年で60歳だった・・・若くして亡くなった著名人を偲ぶ

【1964年生まれ】2024年で60歳だった・・・若くして亡くなった著名人を偲ぶ

2024年は、1964年生まれの人がちょうど60歳を迎える年です。1964年生まれの中には、若くして亡くなった著名人が多く、生きていれば2024年で還暦のはずでした。しかもその多くが、誰もが知る有名人で30代で帰らぬ人に。亡くなって20年以上が経った今、若くして亡くなった著名人を偲びます。


日本が舞台だったベスト・キッド2のあらすじと出演者たちの現在は?

日本が舞台だったベスト・キッド2のあらすじと出演者たちの現在は?

不良グループからイジメを受けているひ弱な少年が、空手の達人の日系人から空手を習い成長していく姿を描いた映画「ベスト・キッド」は大ヒットしました。そして日本を舞台にした続編「ベスト・キッド2」が製作され1986年に公開されています。そんなベスト・キッド2とは、どんな映画だったのでしょうか?今回は「ベスト・キッド2」のあらすじや出演者の現在についてもご紹介します。


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『頭文字D』の世界が千葉に!名車モチーフの雑貨が揃うポップアップストアが期間限定オープン

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人気漫画『頭文字D』のポップアップストアが、グランサックス イオンモール千葉ニュータウン店に登場。伝説のハチロク(AE86)を再現したウェットティッシュケースや、RX-7型の無線マウス、366日分のバースデーキーチェーンなど、ファン垂涎の公式ライセンスグッズが勢ぞろい。日常を彩る名車アイテムの魅力を紹介します。


昭和の大横綱「千代の富士」の肉体がスーツから甦る。NY発OVERCOATが挑む究極のパターンメイキング

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ニューヨーク発のブランド「OVERCOAT」が、昭和の名横綱・千代の富士との異色のコラボレーションを発表。生前愛用したテーラードスーツから身体寸法を逆算し、伝説の肉体をパターン(型紙)として再現。特別展示や限定アイテムの販売を行うポップアップイベントを、2026年3月より東京・ニューヨークで順次開催します。


伝説の「プロレスリング・マスター」武藤敬司、その足跡を網羅。『Gスピリッツ選集』第3巻が待望の発売!

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辰巳出版は2026年3月6日、プロレス専門誌『Gスピリッツ』の証言集第3弾『Gスピリッツ選集 第三巻 武藤敬司篇』を発売しました。平成の新日本プロレス黄金期を支え、日米を股にかけて活躍した武藤敬司のキャリアを、本人や関係者の貴重なインタビューで振り返る一冊。新録インタビューも追加された、全プロレスファン必携の保存版アンソロジーです。


没後30年、俳優・渥美清の軌跡を辿る。神保町シアターで「寅さん」から知られざる名作まで12本を特集上映

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東京・神保町の名画座「神保町シアター」にて、2026年3月14日より特集上映『没後30年 俳優・渥美清』が開催されます。国民的映画『男はつらいよ』シリーズの人気作をはじめ、主演を務めた貴重なラブコメディや社会派人間ドラマなど、全12作品をフィルムで上映。日本映画界に多大な足跡を残した稀代の名優、渥美清の多才な魅力を再発見する貴重な機会です。


『ドラゴンボール』亀仙人の「カメハウス」が超精巧フィギュア化!内装まで再現した豪華セットが登場

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バンダイスピリッツより、ドラゴンボールの聖地「カメハウス」を立体化した『ワールドコレクタブルフィギュア PREMIUM-カメハウスセット-』が登場。全高約22cmのハウス本体は室内まで作り込まれ、悟空や亀仙人など7体のフィギュアが付属。日常シーンから名場面まで自由に再現可能なファン垂涎のアイテムです。