3回戦も合わせ技で相手をひっくり返した。
(勝ったな)
油断した瞬間、相手の中段後ろ蹴りが脇腹にめり込んでだ。
判定で勝ったものの右の肋骨2本を折られた。
勝たなければベスト8に入れず、世界大会には出られない4回戦。
相手は、185㎝100㎏、その攻撃の破壊力は怪物と恐れられた七戸康博だった。
巨体が松井章圭を圧する。
(気持ちだ)
松井章圭は踏みとどまって下段回し蹴りを連打した。
下段回し蹴りをもらい続け後退した七戸康博にとどめの右下段回し蹴りで「技あり」をとった。
直後に本戦が終了し、松井章圭は勝った。
しかし5回戦は棄権した。
1984年1月20~22日、第3回世界大会が、92ヵ国、207名の選手が集い開催された。
大会前、松井章圭は、大山倍達に懇願した。
「大韓民国代表として出場させてください」
(プロ野球の張本勲のように、自分の民族を明らかにした上でチャンピオンになれたら、在日の人や日本人にとって本当の意味で有益な人間になれる)
しかし大山倍達はそういって許さなかった。
「いずれわかるときがくる」
松井章圭は世界大会の出場申込書に
本名「文章圭」
本籍「大韓民国」
と記し提出した。
しかし大会パンフレットとには
「松井章圭」
「東京」
と印刷された。
(自分が日本代表として責務を果たさなければ申し訳ない。)
20歳の松井章圭は、複雑な思いを誰にも打ち明けず世界大会に出場した。
大会初日、1回戦を左中段突きで1本勝ち。
大会2日目、2回戦を判定勝ち。
3回戦、反則勝ち。
4回戦、左下段回し蹴りで1本勝ち。
大会3日目の最終日、ベスト16に残った日本人は、中村誠、三瓶啓二、田原敬三、大西靖人、増田章、そして松井章圭の6名だった。
松井章圭は、5回戦でアンディ・フグと対戦し下段回し蹴りを連発し圧勝した。
準々決勝の相手は、大西靖人。
松井章圭が肋骨を折って棄権した前回の全日本大会の優勝者だった。
「魔王」「魔人」などといわれた大西靖人は、183㎝、89㎏、ベンチプレス186㎏、スクワット290㎏を挙げ、5回戦で肋骨を5本折られていたが、笑いながら試合場に上がった。
その下段回し蹴りを受けて、松井章圭は骨を潰されるような衝撃を感じた。
さらに大西靖人は、膝蹴りを連打、さらに間合いが詰まるとボディへのフックを打ち込んだ。
蹴りを返され倒された松井章圭は、立ち上がり、大西靖人をにらんだ。
大西靖人の右下段回し蹴りから左のボディフックで松井章圭の体はくの字に曲がり宙に浮いた。
本戦は、大西靖人の猛攻を松井章圭が必死に耐えて引き分け。
延長戦に入ると大西靖人は失速。
松井章圭もダメージが大きく攻められない。
再延長戦になると大西靖人の動きはさらに衰え、松井章圭の技にも力がなかった。
「オッシャー」
3度目の延長戦に入り、大西靖人は気合を入れ攻撃を開始。
しかしそれも10秒だけだった。
それ以降は松井章圭の攻撃を受け続けた。
こうして松井章圭は判定で勝った。
準決勝の相手は、2戦2敗の三瓶啓二だった。
試合は三瓶得意の相撲空手になったが、松井章圭は真正面から打ち合った。
本戦、延長戦は引き分け。
「オラァ」
再延長戦で松井章圭は気合を入れた、判定で負けた。
その後、3位決定戦でアデミール・ダ・コスタに判定勝ちし3位になった。
結局、松井章圭は試合で三瓶啓二に勝つことはできなかったが、極真会館の2代目館長になった後、再び対峙することになる。
vs 黒澤浩樹
1984年11月3~4日に行われた第16回全日本大会に、松井章圭はケガで出場できなかった。
そしてこの大会では、黒澤浩樹という新ヒーローが誕生した。
全日本大会初出場の黒澤浩樹は、一撃必殺の下段回し蹴りで初優勝を果たした。
マスコミは、無表情のまま次々と相手を倒していく黒澤浩樹を「格闘マシン」と名づけた。
黒澤浩樹を最強の敵と認めた松井章圭は、その対策を始めた。
まずパワーアップだった。
松井章圭と黒澤浩樹は、同年齢で、体格もほぼ同じ(174cm、80㎏)だった。
しかし黒澤浩樹は、ベンチプレス189㎏、スクワット280㎏を挙げるのに対し、松井章圭は、ベンチプレス130㎏、スクワット175㎏だった。
これまで低負荷×高回数で行っていたウエイトトレーニングを、高負荷×低回数に変えた。
(前者はフォーム習得や筋肥大に、後者はパワーアップに有効なやり方といわれる)
また技術的には、黒澤浩樹の攻撃のリズムが単調であることに注目した。
「あの下段回し蹴りは脅威だがまともにもらわなければいい」
と黒澤浩樹が蹴りを繰り出すタイミング、角度などを研究し、それに技を合わせていく合わせ技を練習した。
また精神的な面でも、大西靖人、増田章、黒澤浩樹は、みんな山田雅稔の指導を受ける城西支部の所属だが、
「彼らの弱点は自己肯定的性格、自己評価の高さにある」
とみていた。
「彼らは自信家であるが故に、相手を尊重せず、自分本位の試合展開のみに終始してしまうという罠に陥る危険性がある」
と考えていた。
1985年11月3日、第17回全日本大会が開催された。
前年度チャンピオンの黒澤浩樹は、さらにパワーアップしていた。
1回戦、1分17秒で1本勝ち。
2回戦、1分19秒で1本勝ち。
3回戦、本戦で判定勝ち。
4回戦、2分25秒で1本勝ち。
準々決勝、1分16秒で1本勝ち。
準決勝、1分11秒で1本勝ち。
決勝まで、6戦中1本勝ちが5つ、すべての試合を本戦で決め、延長戦はなかった。
対する松井章圭は、1回戦を本戦で判定勝ち、2回戦、本戦で判定勝ち、3回戦、本戦で判定勝ち。
4回戦で自分より小柄な堺貞夫と対戦。
楽勝かと思われたが大苦戦。
「なぜ攻めている松井の勝ちじゃないんだ?」
と大山倍達が審判を入れ替えるハプニングもあり、2度目の延長戦で判定勝ちした。
もし体重判定にもつれこめば負けていた。
