第59代・阪神4番「セシル・フィルダー」 場外HRと小指骨折が代名詞です!その後メジャーでは二冠王を獲得しました!
セシル・フィルダー。1989年の1シーズンだけ阪神タイガースに在籍。開幕前は三振の山を築きますが、開幕後は打ちまくった外国人助っ人。例によって「バースの再来」と言われましたね!
阪神タイガース史上、最強の一番打者と言われる【真弓明信】の全て!!
1980年代から1990年代の猛虎打線の核弾頭として、驚異のバッティングを見せつけた真弓明信。先頭打者として塁にも出、クリーンナップのような長距離を放つ、この一番打者はどんな選手だったのでか。 真弓明信の現役時代から今までをご紹介いたします。
阪神優勝に道頓堀川と言えばダイブ!優勝できないのは「カーネルサンダースの呪い」とも言われていましたね。
1985年の阪神タイガース優勝時に、多くの人々が飛び込んだのが始まりとされる道頓堀川への飛び込み行為。最初に飛び込んだ人や水質についても触れます!
ヘルメット小さいんじゃない?って感じが懐かしいオマリーの阪神・ヤクルト時代は打撃センスを爆発させていました。そんなトーマス・オマリーの野球人生を振り返り、ご紹介しましょう。
江川事件に巻き込まれ悲劇のヒーローとして語り継がれる小林繁。どうしても悲劇の主人公として見られてしまいますが、沢村賞を2度受賞し、細身の体で気迫の投球をする姿から”細腕繁盛記”と呼ばれた小林繁を振り返ります。
日本の最速投手の一人として名を挙げられる伊良部秀輝。トラブルが絶えなかったことから悪童と呼ばれていた。日米通算106勝は平凡な成績ではあるが、強烈な印象を残し、自殺という最期を遂げた伊良部を振り返ります。
オールスター9者連続三振や、江夏の21球など、数々の伝説を作ってきた男、江夏豊。プロ野球の5球団を渡り歩き、獲った三振の数は2987奪三振と三振の山を築きました。先発でも活躍し、抑えても大活躍の投手はなかなかいないでしょう。人間としても魅力的な江夏豊の今と昔を振り返ります。
爆発力満載の阪急打線に、あのブルーサンダー打線を引っ張ってきた石嶺和彦。関西の大砲は指名打者で大活躍した選手でした。ファミスタでも、石嶺禁止だったほどです。そんな石嶺和彦の現役時代と今を振り返ります。
【掛布雅之】田淵幸一の後を継いだ、笑顔が魅力のミスタータイガース
「王、田淵にチャレンジしよう!」がキャッチコピーの任天堂のウルトラマシーン。その田淵が引退後の新しいキャッチコピーが「王、掛布にチャレンジしよう!」であった。厳しいプロ野球界の癒し系、いつも笑顔のミスタータイガース掛布雅之。