高松宮杯 中京芝2000m 6月26日
燃え尽きるまで
高松宮杯を制したハギノカムイオーは、療養後、オープン戦(東京芝 1800m 11月12日)に復帰します。しかし、ここで信じられない光景を目にすることになります。8頭立ての7着。平場のレースでいきなり惨敗をするのです。何が起きているのかわからないまま、ファンたちは次のレースを迎えることになります。
ジャパンカップ 東京芝2400m 11月27日
有馬記念 中山芝2500m 12月25日
ジャパンカップの悪夢から約1か月後、ハギノカムイオーは1983年のグランプリの舞台にいました。ファン投票第3位。あれだけのレースをしながらも、根強い人気がありました。
ハギノカムイオー引退
有馬記念の後、陣営はカムイオーの引退を決断。
伊藤調教師の「これ以上ファンの夢を壊したくありませんので」のコメントに、涙した人も多かったのではないでしょうか。
こうして、勝つか着外かの激しいレースをしたハギノカムイオーの競走馬人生はエンディングを迎え、ターフを後にし、種牡馬として第2の人生を歩むことになるのでした。
ありがとう、カムイオー
北海道・中村畜産で種牡馬生活をスタートしたハギノカムイオーですが、高額な(200万)種付け料の割には、産駒に恵まれませんでした。目立った成績を残す子供を輩出できないまま、2000年以降、種牡馬から功労馬へと隠居していきます。
そして、余生を送っていた本桐牧場で、2013年4月10日午前8時10分、34歳の生涯を閉じるのでした。
燦燦たる成績を残しながらも、引退後はたいしてマスコミに取り上げられることもなく、人間のエゴ社会から様々な洗礼を受け、揶揄されながらも、ただただ、懸命に走ることに生涯を掛けた、悲運の名馬ハギノカムイオー。お疲れさまでした。そして、感動をありがとう。
本桐牧場 馬房