「ハギノカムイオー」。史上最高額(当時)で落札された超スターホースを振り返る!

「ハギノカムイオー」。史上最高額(当時)で落札された超スターホースを振り返る!

「高額馬」「黄金の馬」「華麗なる一族」と呼ばれ、人間のさまざまな思いとともに、ターフを駆け抜けた「ハギノカムイオー」。そのレースは、華やかなものばかりではなかったのです。 人間社会に鮮烈なデビューをした、サラブレッドの一生を振り返って見ましょう。


カムイオー生誕

1979年(昭和54年)4月1日。北海道の牧場に1頭のサラブレッドが誕生します。
幼名は「カムイオー(神威王)」。

母は「イットー」(重賞2勝、最優秀3歳牝馬・同5歳以上牝馬に選出された悲運の名馬)。父は「テスコボーイ」(イギリスでレース引退後、アイルランドに一旦移籍し、1967年に日本に輸入される。テスコガビー・キタノカチドキ・トウショウボーイ等々一流馬を次々と輩出した1970年代の代表的種牡馬)という良血の血統のもとに生まれ、関係者の間では大注目となりました。

「黄金の馬」ハギノカムイオー誕生

1979年10月23日、北海道静内町にて「カムイオー」はセリに出され、とんでもない金額が提示されました。
セリの初値は8000万円!それまでの最高落札価格が5000万円(馬名:ランドギフト)でしたので、初値の時点でこれを上回る史上空前のセリが始まったのでした。

日本中から集まった1000人以上の馬主・調教師の前で、カムイオーの値段はどんどん跳ね上がり1億5000万円をつけました。この時点でカムイオーの姉のハギノトップレディの所有者、日隈広告側と静内青年部の競り合いとなったのです。そして、1億8500万円を提示した日隈広告側が競り勝ち、落札となりました。
この後、途中でセリを断念した中村和夫氏が、日隈広告側に申し入れ、話し合いの末、共同馬主となったのです。

こうして、これまでの最高落札額の4倍近い超高額馬「黄金の馬」が誕生したのです。
史上空前の金額に新聞・テレビ・雑誌、あらゆるマスコミが大騒ぎしたのは、言うまでもありません。人々の期待を背負わされ、ハギノカムイオーの競走馬としてのステージが準備されたのでした。
ちなみに、当時のサラリーマンの平均年収は約280万円。1億8500万円の超高額馬のニュースを見た人たちには、様々な感情が生じたようです。

いざ、華麗なるデビューへ

落札から約1年半の時を経て、1981年4月、北海道から姉の「ハギノトップレディ」が所属する、栗東トレセン(滋賀県)の伊藤修司厩舎に入厩します。いよいよ、競走馬としての準備段階に入り、デビューは8月の函館に決まりました。しかし、函館に入厩した7月、左前脚の亀裂(ヒビ)が判明し、出走断念、デビューは白紙となります。
波乱のレース人生の幕開けとなりました。
そして、仕切り直しのデビュー戦は、翌1982年(昭和57年)1月の京都となったのです。

デビュー戦 新馬戦 京都芝1600m 1月31日

注目の的となったレースは、伊藤清章(ハギノトップレディの主戦騎手)とのコンビ。
スタートダッシュ良くトップに躍り出ると、そのままレースを引っ張り続け、みごと1着でゴール。スピードもさることながら、2着馬との差が7馬身(約17m)もの大差をつけての
大勝利でした。
このレースは、東京競馬場などでも音声放送(当時はオーロラビジョンによる中継放映のシステムなどなかった)によって、終始中継されました。関西の新馬戦のレース模様を、関東の競馬場で音声中継をすることはなかったので、ハギノカムイオーへの関心の高さを再認識させられた出来事でした。

第2戦 桜草特別(400万下) 中山芝2000m 3月14日

鮮烈なデビューをして臨んだ第2戦は、千葉・中山競馬場に舞台を移します。
圧倒的な支持率の1番人気に応え、みごと1着でゴールします。2着馬と3馬身もの差をつけ、あらためて強さを見せつけたのでした。
なお、このレースは条件戦(400万下)でしたが、メインレースに変更された前代未聞のレースでした。

波乱の幕開け

皐月賞トライアル

順調に勝ち進んだハギノカムイオーは、初の重賞にチャレンジします。しかし、ここで予想だにしない事件が勃発します。「サルノキング事件」です。
1番人気の「サルノキング」と2番人気の「ハギノカムイオー」が同じオーナーだったために起こった騒動でした。
競馬関係者やファンに、様々な憶測や、大きな疑念を抱かせてしまったレースですが、人間の勝手な思いで、ハギノカムイオーにはこの後、悪いイメージがつきまとってしまいます。

第3戦 スプリングステークス 中山芝1800m 3月28日

前2戦と同じようにトップに立ち、スローペースのレース展開をし、そのまま逃げ切りの1着でみごとゴールイン。皐月賞への切符を手中にしました。

レースではサルノキングが出走馬11頭中の最後方、しかも10番手の馬から更に20馬身ほど離れた後方の位置からレースを進めた。逃げるハギノカムイオーにとって理想的なスローペースとなったため、そのまま楽々と逃げ切って優勝した。一方、サルノキングは向こう正面からロングスパートを仕掛けたが、レース中に骨折した影響もあってか、先頭には追いつけず4着に敗れた。 当時、日隅広吉とともにハギノカムイオーを共有していた中村和夫はサルノキングを共有する馬主でもあり、本賞金の足りないハギノカムイオーに皐月賞の出走権を確保させるため、サルノキングを故意に後方からレースを進ませ負けさせた、という疑念がマスコミやファン、関東の調教師から巻き起こることとなった[1]。 サルノキングに騎乗していた田原成貴は「これは決して八百長ではない」という弁明に終始した。実際、関西圏におけるサルノキングのレーススタイルは後方待機策であり、関東圏に進出した共同通信杯と弥生賞では引っ掛かって先行する競馬をしていた。そのため、関東圏の競馬ファンはサルノキングは「先行馬」という印象を強くした。当時の競馬メディアの情報網は現代とは違い、ターフビジョンなどで関東と関西の両レースを間近で見ることができないなど、東西の情報が競馬ファンの間で錯綜することは日常茶飯事で、関東圏のファンが持つサルノキングの印象と関西圏のファンが持つサルノキングの印象が違うのは当然といえば当然であった。 一方で、スプリングステークスの数日前にハギノカムイオーの伊藤修司厩舎へ取材に赴いたある作家が「オーナーの命令でサルノキングを後方にさげるレースをする」という会話がそこでなされているのを偶然聞いてしまったという話も伝わっている[2]。また、作家の安部譲二は、自著『馬主だけに儲けさせるな』[3]の中で、このレースで3着に終わった中島啓之騎乗のアズマハンターが四角手前で捲ってきた際、田原がサルノキングの馬体をアズマハンターの横腹に当てて外に膨れさせた(ように見えた)ことを挙げ、馬主が同じだったハギノカムイオーに勝たせるため、敢えてあのような騎乗をしたと論じている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E4%BA%8B%E4%BB%B6

サルノキング事件 - Wikipedia

試練のクラシック戦線

皐月賞(GⅠ)  中山芝2000m 4月18日

無傷の3連勝で迎えた皐月賞。ここでもハギノカムイオーに新たな試練が起こります。
無謀ともいえるゲイルスポート(鞍上;加賀武見)の壮絶な逃げ、追随するハギノカムイオーは超ハイペースの先行争いに巻き込まれます。3コーナー付近でいったん先頭に立ちますが、4コーナーを回って直線に向いた時には、もう残された力はありませんでした。
結果は16着。惨敗でした。

NHK杯(ダービートライアル) 東京芝2000m 5月9日

皐月賞の惨敗後も、陣営の照準は日本ダービー(東京優駿)でした。
NHK杯に望みを託したのです。が、ここでもあのゲイルスポートが逃げに参戦し、皐月賞とまったく同じような展開となり、ハギノカムイオーは馬群に沈んでいきます。
結果は12着。またしても惨敗でした。そして、陣営はダービー出走を断念したのです。
この後、ハギノカムイオーは休養に入り、過熱したカムイオー人気も下火になっていきました。

秋のクラシック戦線へ

NHK杯から約5か月の時を経て、ハギノカムイオーがターフに戻ってきます。
照準は秋の菊花賞。GⅠ初制覇へ向けた戦いが始まりました。

神戸新聞杯 阪神芝2000m 10月3日

4歳秋の初戦は、神戸新聞杯。単勝3番人気。
やはり、春の時のような人気はありませんでした。
しかし、このレースには、日本ダービーの優勝馬、バンブーアトラスが出走しています。負けるわけにはいきません。
スタートから順調に逃げたハギノカムイオーは、他馬の追随を許さず、そのまま1着でゴールし、復活をアピールしたのでした。

京都新聞杯(菊花賞トライアル) 京都芝2000m 10月24日

このレースで、初めての走りをファンに披露します。
スタートから逃げ切るレースを重ねてきたハギノカムイオーが、なんと2番手に抑えたレースを展開します。そして、そのまま4コーナーをまわり、直線抜け出して見事1着でゴールしたのでした。菊花賞に向け、強さと成長を示したレースとなりました。

菊花賞(GⅠ) 京都芝3000m 11月14日

春以来の本命、1番人気を背負ったハギノカムイオーは、大胆なレースを展開します。前半1000mを59秒5、1週目のスタンド前では後続馬を15馬身以上引き離す、暴走とも言える超ハイペースの大逃げを仕掛けたのでした。しかし、3コーナー付近から追いつかれ、最終的に15着と撃沈したのです。
またも、GⅠでの惨敗となりました。
このレースによって、ハギノカムイオーは「落ちた偶像」等のレッテルを貼られつつ、休養することになります。

ハギノカムイオー復活!

年が明けて1983年(昭和58年)、福島県の温泉で療養したハギノカムイオーは5歳になり、GⅠ初制覇に向け始動します。初戦はスワンステークス。

スワンステークス 京都芝1600m 5月15日

菊花賞でファンの期待を裏切り、散々な結果を残したまま再登場したハギノカムイオーを待っていたのは、意外にも、1番人気の本命という人気の高さでした。しかも、単枠指定のおまけつき。ハギノカムイオーはこれに見事応え、本来のスタイルである逃げ切りで1着ゴールインしたのです。このレースで、やはりスピード競馬には強いという印象を残したのでした。
このレースは母「イットー」も制しており、母子制覇の達成となりました。

宝塚記念 阪神芝2200m 6月5日

前走で強さを見せたハギノカムイオーは、ダントツで単勝1番人気となります。そして、横綱相撲を見せるのでした。
スタートから終始先頭を走るも、4コーナー付近で後続の「カズシゲ」に急接近されます。ファンの脳裏には悪夢がよみがえったことでしょう。が、今回のハギノカムイオーは強かった。直線に入ると、猛追した「カズシゲ」を引き離し、なんと5馬身差をつけて優勝。圧巻の走りを見せつけました。
晴れて、念願のGⅠを制した、記念すべきレースとなりました。
そして、このレースで獲得賞金が1億9000万円超えとなり、自身の1億8500万円を上回ったのでした。

高松宮杯 中京芝2000m 6月26日

「単勝1倍」という圧倒的な支持を受けて臨んだレース、ハギノカムイオーにライバルたちが襲いかかります。
まず、「タカラテンリュウ」が2コーナー過ぎの直線で並びかけます。しかし、これを振り切ります。
すると、次は3コーナーで「カズシゲ」が並んできます。それでもトップを譲りません。
そして、最後の刺客「イーストボーイ」が早めにまくりに出ました。
しかし、ハギノカムイオーは強かった。「イーストボーイ」を最後の直線で振り切り、入れ代わり立ち代わり襲いかかるライバルたちを見事蹴散らして、逃げ切りのトップでゴール。
圧巻のレースでした。
母「イットー」姉「ハギノトップレディ」とともに、母子・姉弟で制した宮杯。関係者・ファンにとって、万感の思いとなるレースになりました。
のちに、このレースは「ハギノカムイオーへの3本の矢」と称されることになります。

燃え尽きるまで

高松宮杯を制したハギノカムイオーは、療養後、オープン戦(東京芝 1800m 11月12日)に復帰します。しかし、ここで信じられない光景を目にすることになります。8頭立ての7着。平場のレースでいきなり惨敗をするのです。何が起きているのかわからないまま、ファンたちは次のレースを迎えることになります。

ジャパンカップ 東京芝2400m 11月27日

有馬記念 中山芝2500m 12月25日

ジャパンカップの悪夢から約1か月後、ハギノカムイオーは1983年のグランプリの舞台にいました。ファン投票第3位。あれだけのレースをしながらも、根強い人気がありました。

先頭に立って逃げるハギノカムイオーからは、力強さが伝わってきませんでした。3コーナーから4コーナーで馬群に沈み、そのままゴールへ。
16頭立ての16着。ファンの期待に応えられず、最下位でした。
ジャパンカップに続いて、2戦連続の最下位となってしまったのです。
競馬関係者からは、距離適性云々の発言がありましたが、ファンの間では、「燃え尽きたハギノカムイオー」の印象が強かったようです。

ハギノカムイオー引退

有馬記念の後、陣営はカムイオーの引退を決断。
伊藤調教師の「これ以上ファンの夢を壊したくありませんので」のコメントに、涙した人も多かったのではないでしょうか。

1984年(昭和59年)1月8日 京都競馬場にて
引退式が行われました。
ゼッケンは「11番」。
宝塚記念出走時のものでした。

生涯成績;14戦8勝(重賞6勝)
生涯獲得賞金;2億3112万円

こうして、勝つか着外かの激しいレースをしたハギノカムイオーの競走馬人生はエンディングを迎え、ターフを後にし、種牡馬として第2の人生を歩むことになるのでした。

ありがとう、カムイオー

北海道・中村畜産で種牡馬生活をスタートしたハギノカムイオーですが、高額な(200万)種付け料の割には、産駒に恵まれませんでした。目立った成績を残す子供を輩出できないまま、2000年以降、種牡馬から功労馬へと隠居していきます。
そして、余生を送っていた本桐牧場で、2013年4月10日午前8時10分、34歳の生涯を閉じるのでした。
燦燦たる成績を残しながらも、引退後はたいしてマスコミに取り上げられることもなく、人間のエゴ社会から様々な洗礼を受け、揶揄されながらも、ただただ、懸命に走ることに生涯を掛けた、悲運の名馬ハギノカムイオー。お疲れさまでした。そして、感動をありがとう。

本桐牧場 馬房

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