3度目の世界挑戦、ヒルベルト・セラノ戦
坂本博之は2度の世界戦敗北から立ち上がり、以後、数年間、連勝した。
そして2000年1月、3度目の世界挑戦を行った。
相手はヒルベルト・セラノ。
1R55秒、坂本博之は右フックでセラノをダウンさせた。
2分10秒には左フックで2度目のダウンを奪った。
2R、セラノのパンチで左目の下を割られ、右目のまぶたも多いなダメージを負った。
5R2分27秒、坂本博之の右目にドクターチェックが入った。
そしてレフリーは試合をストップした。
坂本博之はTKO負けとなった。
畑山隆則
元世界スーパーフェザー級チャンピオン、畑山隆則は
階級を1つ上げてライト級に挑戦し、2階級制覇に挑んでいた。
そして坂本博之を破ったヒルベルト・セラノをKOし見事それを達成した。
その試合後のリング上、畑山隆則は叫んだ。
「次は坂本選手と戦います。」
畑山隆則は坂本博之についてこう語っている。
「坂本選手とはスパーリングで手合わせしたこともあり、ものすごくパワーのある選手だと認識していました。
実際、背筋力なんてプロレスラー並みの数値を叩き出すらしいし、
たぶん、ボクシングよりもストリートファイトで強いタイプでしょう。
男として、ぜひ一度戦ってみたい相手でした。」
4度目の世界挑戦、畑山隆則戦
2000年10月11日、
横浜アリーナ
WBA世界ライト級チャンピオン、畑山隆則 vs 坂本博之
熊 vs 狼
パワー vs スピード
一撃 vs 連打
さまざまに表現された。
それくらい特徴を持った2人だった。
坂本博之は
背筋力の最高記録は300㎏。
同じく握力は左右共に80㎏。
打たれ強く、決して後退せずに強打を振るうパワー型。
畑山隆則は
スピード、テクニック、連打、パンチ力、フットワーク、コンビネーションを兼ね備えた万能型。
こうしてみると相反しているようにみえる2人だが共通しているところもあった。
それはハート(精神力)の強さと
単に勝つだけではなくKO勝ちを欲する打倒本能だった。
坂本博之は勝利を信じて横浜アリーナのリングに立った。
1R、
両者共に様子見もせずにいきなり打ち合いを始めた。
打たれたら打ち返す。
小手先は一切なかった。
畑山のコンビネーションと坂本の1発。
パンチこそ違え2人はどちらが強いのかを誇示しあった。
そして攻撃重視の作戦に出た。
左ガードを下げて左フックを出しやすくする「デトロイトスタイル」。
その分、防御が甘くなる危険があったが決して下がらず畑山を圧し続けた。
畑山はしっかりとガードを固めてパンチを出した。
下がるところは下がって、入る入るところは入って、決して逃げずに動き続けて、
坂本に比べて決して強いパンチではないが的確にパンチを出し続けた。
坂本博之は1R終了時、左目まぶたから出血。
9Rには左耳からも血が出た。
10R18秒、坂本博之はついに視界と平衡感覚を失い、両膝が折れ大の字になって倒れた。
タオルが投げ込まれ、坂本博之は初めてKO負けした。
「椎間板ヘルニア」との戦い、復帰戦は畑山戦から1年3か月後
セラノに負け、その7か月後に畑山に負け、これで世界戦4連敗。
世界ランキングからその名前は消えた。
30歳の坂本博之に対し、「限界説」「引退説」もあった。
しかし本人は世界チャンピオンになることをあきらめていなかった。
畑山戦の3か月半後、ジムワークを再開、
階級もスーパーライト級に上げることを決めて、新しい戦いが始まった。