そして年齢と共に落ちていくといわれる反射神経を鍛えて無駄のない動きをする訓練を始めた。
器具は使わず、ただいろいろな方向に足を運ぶステップを繰り返すトレーニングだった。
これを3時間行った。
股関節周辺の筋肉を強くし反射神経を鍛えることで動きが速くなる効果が期待できるという。
ボクシングのジムでの練習でもストレッチに多く時間を割いた。
また相撲のしこも取り入れた。
ラストファイト
2006年1月14日、
柏樹戦から8か月後、坂本博之はリングに上がった。
1991年にデビュー後、19連勝、
「平成のKOキング」と呼ばれ
これまで世界戦4連敗、
その後、2度リングに上がって2連続TKO負け。
すでに35歳。
しかし坂本博之の魅力はすでに勝ち負けを超えていた。
リングの中でも外でも、その生きざまは多くの人に強烈なインパクトを与えた。
坂本博之は対戦相手、マンコントーン・ポンソムクワームを4度ダウンさせて沈めた。
2002年6月以来、1323日ぶりの勝利だった。
「俺のボクシングの第1章がKO勝ちなら
第2章は負けのスタートなんです。
そこからどうやって這い上がっていくか。」
2007年1月6日、
タイライト級1位カノーンスック・シットジャープライ戦は7R終了負傷判定で引き分け。
惜しみない歓声と拍手が降り注ぐ花道を坂本博之は控室に向かった。
そして15年にわたる壮絶なプロ生活を終えた。
SRSボクシングジム
2010年8月8日、
坂本博之は東京都荒川区に「SRSボクシングジム」を開いた。
児童養護施設を卒園後、プロボクサーを目指す子ども達を受け入れ、
経済的な援助をしながら、自立することをサポートし、ボクサーとしての育成。
児童養護施設出身のプロボクサーをはじめ、多くのプロボクサーを育成すると同時に、不登校や自閉症など、様々な悩みを抱える子ども達も受け入れている。
SRSジムからは、
児童養護施設出身であり、ジムのプロ第1号である錨吉人、若松一幸など多くの新星が誕生している。
児童養護施設への支援活動
また坂本博之は
子供たちに夢と勇気を与えるため、全国の児童養護施設を足を運び講演活動を行っている。
坂本博之が目指すのは、
「児童養護施設への支援活動の継続」
「SRSジムから世界チャンピオンを輩出すること」
この2つの夢の両立である。
しかし支援活動とジム運営の両立は様々な困難があり
いま現在、さまざまな問題に直面している。
しかし坂本博之は
その「夢の連鎖」を信じ
まだ闘い続けている。