フセイン・シャー
坂本博之は5年ぶりに角海老宝石に戻って練習を再開した。
そしてフセイン・シャートレーナーとコンビを組むことになった。
フセイン・シャーは
パキスタン代表としてソウルオリンピックのミドル級で銅メダルを獲得した後
イギリス、アメリカ、日本でプロのリングで活躍した。
幼い時に母を亡くし父が再婚すると継母から家を追い出され路上暮らしを始めた。
7歳のある日、さまよっているとボクシングジムでサンドバッグを打たせてもらった。
たまっていた感情を拳に込めて思い切り叩いた。
「爽快だった」
その後ボクシングにのめりこんでいった。
似た生い立ちを持つ2人はすぐに打ち解けた。
体づくり、気持ちの持ち方・・・
坂本は5歳上のフセインからいろいろなことを学んだ。
再びボクシング漬けの生活が始まった2か月後、ロジャー・ボレロスをTKOで破って東洋太平洋チャンピオンとなった。
同タイトルは2度防衛。
コッジに負けて1年、再び世界が視野に入ってきた。
「世界チャンピオン」という夢に向かって壮絶なトレーニングが始まった。
通常の練習メニュー以外に
逆立ち状態で腕立て伏せ、
寝た状態から、トレーナーにふくらはぎを押さえてもらい、腹筋と脚の筋力だけで立ち上がる、
上体を起こしたところでトレーナーに突き飛ばしてもらう腹筋運動、
しゃがんだ姿勢から幅跳びをする「カエル跳び」
など世界チャンピオンたち行ったトレーニングを加えた。
フセインは常におだてたりほめたりしてモチベーションを上げ坂本にパワーを与えた。
また
「倒れるのは相手のパンチが痛いからではなくてその衝撃で脳が揺れることで倒れてしまうんです。」
と徹底して走って下半身を鍛えた。
東洋太平洋のタイトルを2度防衛した後、世界挑戦が決まった。
届きそうで届かない世界
1度目の世界挑戦、スティ-ブ・ジョンストン戦
初の世界戦の対戦相手はスティ-ブ・ジョンストン。
アマチュアで257戦9敗。
プロに転向後、21勝(13KO)無敗の世界チャンピオンだった。
対する坂本博之は29戦目だった。
「技術では絶対に勝てない。
あの教科書のようなスタイルをオレの力と精神力でムチャクチャにぶっ壊してやる。」
(坂本博之)
試合で坂本博之はジョンストンのジャブに屈せず前へ進んだ。
得意のフックで何度もコーナーに押し込んだが判定で負けた。
動画:スティーブ・ジョンストンvs坂本 博之 WBC世界ライト級タイトルマッチ(dailymotion)
http://www.dailymotion.com/video/x49he59
2度目の世界挑戦、セサール・バサン戦
1年後、2度目の世界挑戦のチャンスが訪れた。
相手はセサール・バサン。
坂本博之は善戦するも判定負けした。
ライト級(58.967 - 61.235kg) という階級への憧れと減量苦
「階級を上げてみたらどうだ?
間違いなく世界獲れるぞ」
といわれたこともあった。
「このままやらせてください。」
坂本博之は頭を下げた。
ライト級にこだわりを持っていた。
ヘビー級に次いで伝統のあるクラス。
「石の拳」、ロベルト・デュラン。
フリオ・セザール・チャベエス。
憧れの歴史に残るチャンピオンがいた。
過去、ライト級で日本人で世界チャンピオンになったのはガッツ石松のみ。
それ以外で挑戦した日本人は5人いたが、いずれもKO負けしていた。
しかも1977年のバスソー山辺が最後の挑戦者。
坂本博之の挑戦は28年ぶりのことだったのだ。
それくらいライト級で世界チャンピオンになることは難しいことだった。
しかも坂本博之は170㎝で、骨太で筋肉質なため普段は73㎏。
ライト級は-61.2kg。
10㎏以上の減量があった。
試合が決まるのはだいたい2、3か月前。
すると坂本は冷蔵庫を空にする。
もしあればつい口にしてしまうかもしれないからである。
そして試合1週間前までに9㎏落とし、
最後の1㎏は脱水状態になるまでサウナに入りながら大量のガムを噛んで唾液を出す。
通常、人間の体に70%以上あるといわれる水分が
最後は20%という状態になるという。