原題は「Born to Run」。しかし、ここは邦題がピッタリですよ。本作の共同プロデューサーでもあるジョン・ランドーが雑誌に書いた余りにも有名なコラムのタイトル「私はロックン・ロールの未来を観た。その名はブルース・スプリングスティーン」。その通り!
「明日なき暴走」は全米3位となり、その後も売れ続け600万枚を超える大ヒットとなりました。
アルバム収録曲は粒ぞろいですが、タイトルチューンは文句なく素晴らしいです。それともう1曲。1曲目の「涙のサンダー・ロード」があまりにも感動的。
ここからブルース・スプリングスティーンの快進撃が始まるのですが、80年代以降のアメリカの苦悩をひとりでしょって立つという感じの詩はまだありません。70年代に多く見られるブルース・スプリングスティーンの曲のテーマは、車と女の子とロックンロール。けっこう軽いんです。仕事よりも女、女みたいな。若気の至りという感じもしますが、それはそれで若者の特権。だからこそ疾走感のあるロックンロールに仕上がっているんでしょう。
闇に吠える街
振り返るとブルース・スプリングスティーンが売れなかったのは最初の2枚だけ。それでは、その後は順風満帆だったかといえば、そうではないんですよ。
「明日なき暴走」が大ヒットして乗りに乗っていたにも関わらず、次のアルバムが出せなくなってしまうんです。
マネージャーを務めていたマイク・アペルが1976年に訴訟を起こします。彼の言い分もあるとはいえ、まぁ、保身でしょうね。関係を解消し、和解もしたものの、レコーディング活動は絶頂期だというのに2年間も休止することになってしまいました。
ファンは待ちに待ちましたよ。「明日なき暴走」から3年が経った1978年6月にようやく4枚目のアルバム「闇に吠える街」がリリースされたんです。
闇に吠える街
無精髭を剃ってさっぱりしたジャケットのブルース・スプリングスティーン。3年ぶりだというのに若返った印象ですよね。
ブルース・スプリングスティーン自身、大好きなアルバムと言うだけのことはあって、アルバムには、その後ライブで歌われ続けることになる曲が多く含まれています。
シングルカットされたのは「暗闇へ突走れ」と「バッドランド」。
それと、このアルバムからEストリート・バンドにスティーヴ・ヴァン・ザント(ギター)が参加しています。
アルバム発売に合わせて行われた全米ツアーは後々語り継がれるほどの大成功を収めました。みんな待ち焦がれてたんですよ。
ブルース・スプリングスティーンは「ロックンロールは楽しく、ハッピーなものだ」という考えを持っています。だからでしょう。時に軽薄とも受け取れる楽曲は少なくありません。
それが、ロックには他の面もあると考えるようになった作品を70年代の最後にリリースします。「ザ・リバー」。発売されたのは1980年10月17日でした。
ザ・リバー
名盤中の名盤ですね。レコードで2枚組という大作です。当初は通常の1枚組として制作されていたものの、「アルバムが軽い」と感じたブルース・スプリングスティーンは、タイトル曲「ザ・リバー」をはじめ重厚な曲を追加したことで2枚組となったそうです。
インタビューでブルース・スプリングスティーンは「人生には厳しさ、無情さ、孤独といったものがあることを理解した」と言っています。
アルバム最後に収められている「雨のハイウェイ」などは、そうしたブルース・スプリングスティーンの心情を象徴している曲ではないでしょうか。
人生の影の部分に重きを置くようになり、6作目のスタジオ・アルバム「ネブラスカ」は1982年9月にリリースされます。シリアスな内容を持ったアコースティック・ギターの弾き語りというこのアルバム。スタイルこそ正しく初期のボブ・ディラン。しかし、もう「第2のディラン」などと言う者は誰もいません。この時既にデモテープには「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」があり、この曲をタイトルにした7枚目のアルバムでブルース・スプリングスティーンは一躍世界的スターダム、そう世界のボスに駆け上がったのでした。