芦原英幸 「ケンカ買わない?」とケンカを売り「それ空手?」と道場破り「アンタ「牛殺しの大山」といわれちょるんでしょ」と大山倍達にさえケンカを売った恐怖の男

芦原英幸 「ケンカ買わない?」とケンカを売り「それ空手?」と道場破り「アンタ「牛殺しの大山」といわれちょるんでしょ」と大山倍達にさえケンカを売った恐怖の男

その強さは、猛者ぞろいだった初期の極真空手の中でも飛び出た存在。 真正面から打ち合うのではなく、一歩後ろ、一歩サイド、相手の技が届かないところから、いかに自分の技を届かせるかという空手。 そして決して負けることを許さない強烈な闘争本能。 道場の外でもヤクザ相手のストリートファイトや道場破りで名を売り恐れられた。 陰湿なこと、卑怯なことを嫌い、そのために多くの戦いを挑んだが、その中には師:大山倍達さえいた。


塩メシ

禁足処分になって2ヵ月後、極真会館から呼び出された。
「押忍」
と館長室に入ると大山倍達はいきなりいった。
「お前、四国へ行け」
「・・・・・・」
「芦原、私が死ねといったら死ねるか!」
「押忍」
「四国へ行って空手を広めてこい」
ブラジルと四国では、同じ空手の指導員でも格が違う。
しかし芦原英幸は、また空手ができるだけでもうれしかった。
2日後、1967年3月27日の21時15分には夜行に乗って東京を発った。
着の身着のまま。
持っているのは極真会館から支給された交通費10000円で買った片道切符と道着の入ったバッグを1つだけだった。
列車は東海道を西に向かって走り、翌朝、岡山県に到着。
ここからフェリーで四国へ。
そして再び電車に揺られ、目的地の愛媛県東宇和郡野村町(現:西予市野村町)に到着。
野村町は小さな町で、ここに指導を依頼された道場があった。
生徒は5人。
芦原英幸は3畳半のアパートに入り、空手の指導だけでは収入が足りないので、出前のアルバイトをした。
少しして生徒たちと毛利松平のところへあいさつに行き、その帰りに食堂に入った。
しかしお金があまりなく、ご飯だけを頼み6人でテーブルに並んだご飯に醤油をかけたり塩をかけて食べた。

四国へ渡って3ヵ月後、至急戻るよう極真会館から連絡が入った。
手持ちが500円しかなく腕時計を質に入れて久しぶりに東京へ戻った。
しかしまったく大山倍達から呼ばれず、毎日稽古をしていた。
2週間たってもお呼びがかからず、その間に四国から手紙が何通も来ていた。
芦原英幸は自分から館長室を訪ねた。
「四国へ帰ってもよろしいでしょうか?」
すると大山倍達はいった。
「君はもう行かなくていい。
ブラジルへ行け」
禁足処分中の廃品回収業務と四国で3ヵ月苦労したことで、再度、ブラジル行きが認められたのである。
当然、芦原英幸はブラジルに行きたかったが、野村町の5人のことがひっかかった。
「四国の道場はどうなるんでしょうか?」
5人を捨てて自分だけいい道に行くことはできない。
「このままではあいつらがかわいそうですよ。
あそこは潰れてしまいます」
「芦原、私のいうことが聞けないんだったら今度こそ破門だ!」
「・・・・・・」
どうしたらいいかわからず立ちつくしていたが、やがて決めた。
「長々とお世話になりました」
そういって頭を下げて館長室を出た。
トボトボ歩いて地下のロッカールームで着替えていると後輩が走ってきた。
「先輩、館長が呼んでおられます。
四国へ行っていいそうです」

聖地 八幡浜

こうして四国へ戻り指導を続けた。
やがて空手を広めるには野村町はどうしても小さすぎると感じ始め、新しい道場をオープンする場所を探し始めた。
まず宇和島へいってみた。
宇和島は規模は大きいが位置が南すぎた。
次に八幡浜にいってみた。
前は海、後ろは山に囲まれた町で、人口が多い宇和島市と松山市の中間に位置し、九州行きのフェリーが出ていた。
この町が気に入った芦原英幸は、練習場所を探した。
そして警察の道場を借りることができた。
稽古に励みながら、ポスターをつくり、町を道着姿でランニングしたり、港でデモンストレーションを行った。
3ヵ月後には道場生は55人になった。
東京で初めて行われた全国支部長会議で
「私は八幡浜という小さな町で、現在55名の会員で頑張っております」
と発表すると、どの支部よりも人数が多かった。

道場生が空手の基本を覚え、空手の動きができてくると組手を始めた。
かかってくる生徒に軽くパンチと蹴りを入れた。
するとみんな倒れてしまう。
寝ている生徒をまぐろのように道場の隅に並べた。
毎日そんなことを繰り返していると55人いた道場生はアッという間に5人になってしまった。
東京で指導しているときは、来なくなった者が悪いと思っていた。
改めて空手で食っていく難しさと厳しさを思い知った。
以後、入会者が安心、安全に学べ、極力ケガをせず強くなれるプロセスを考え始めた。

道場生が5人になった途端、警察の道場は借りられなくなった。
とにかく練習を続けるため、車庫、魚市場、集会場、野天・・・
日替わりで練習場所を転々とした。
稽古が終わると夜遅くまでポスター貼り。
ケガをしてもお金がないので病院にも行けず杖をついて稽古した。
なにも食えず水を飲んでしのいでいると道場生の頭がカツ丼にみえた。
「早く死にたい」
「楽になりたい」
とも思ったが弱音は吐かなかった。
道場生の前では努めて明るく振舞った。
またこの頃、生後間もない犬を拾った。
捨てられ栄養失調でフラフラしていた。
芦原英幸に常にその犬を連れ、犬はいつもその周りをチョロチョロしていた。
芦原英幸にとって自分を頼ってくれる子犬は励みになった。
一生懸命に稽古に取り組む道場生もがんばる理由となった。
激しい練習後の雑談や屈託のない笑顔がたまらなかった。

やがて再び道場生の数は増え、野村町、八幡浜に加え、宇和、宇和島にも練習場ができた。
この頃、芦原英幸の指導は、親切丁寧で優しく、組手もパンチや蹴りは出さず掌底だけで対応した。
笑顔で指導する芦原英幸を古い道場生は逆に恐れた。
あるとき110㎏を超える大きな道場生が入門してきた。
その体力と体重を活かした組手で楽しそうに道場で練習していた。
稽古後、芦原英幸と道場生が銭湯に行ったときのこと。
その道場生が湯船でいった。
「芦原先生の手は速くて怖いけど蹴りは怖くない」
借りものではなく常設道場建設のため、いま辞められては困ると特に優しく指導していた芦原英幸は答えた。
「よっしゃ!
じゃあ次の稽古では蹴りに注意してくれ」
そして次の稽古の日、組手の時間になるとその道場生は芦原英幸の前に立った。
そして右の蹴りから右のパンチを放った。
芦原英幸はそれを流して、左の掌底で相手の右肩を押しつけ、相手の左顎に右のハイキックを入れた。
その道場生は倒れ、痛さのためのたうちまわった。
芦原英幸はそれを道場の隅に引きずっていった。

芦原英幸が四国に来て3年、1970年6月15日、八幡浜道場ができた。
八幡神宮前、JR八幡浜駅から徒歩3分。
板張りの42坪の道場は「芦原空手」の聖地である。
建設中、大工と賭けをして、壁にパンチで穴を開けたら3倍に補強してくれと頼んだ。
そして思い切り壁にパンチを入れて穴をつくり約束通り壁を3倍に補強してもらった。

手裏剣

道場の前の石垣にマムシの巣になっていたので、マムシをみたら手裏剣で仕留めた。
芦原英幸は手裏剣投げの名人だった。
手裏剣は鉄を加工して自らの手でつくった。
それを急所を狙って投げるのだが、その命中率、殺傷能力は共に高かった。

Aバトン

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