赤井英和!!!!!オリンピック日本代表! 破天荒なケンカボクシング! 破格の強打!! デビューから12連続KO!!!奇跡の生還!!! 浪速のロッキー!!!!

赤井英和!!!!!オリンピック日本代表! 破天荒なケンカボクシング! 破格の強打!! デビューから12連続KO!!!奇跡の生還!!! 浪速のロッキー!!!!

知らない人も多いけれど赤井英和は元ボクサー。 アマチュアでは(日本が参加をボイコットしたため幻となったが)モスクワオリンピック代表となり、プロデビュー後は12連続KO勝ちの日本タイ記録。 その強打と超のつく攻撃的インファイトから「浪速のロッキー」といわれた。 初の世界タイトル挑戦はKO負け。 再度、世界に挑戦するための前哨戦、vs大和田正春戦で、意識不明(頭蓋骨クモ膜下血腫および脳挫傷)の重体になった。 奇跡的に命はとりとめたが、ボクシングはできない体になってしまった。


赤井英和は、プロテストを受け、スパーリングで相手を30秒で寝させて合格した。
津田博明トレーナーは、大阪の西成区天下茶屋の潮路に自分のジム、「愛寿ボクシングジム」を開き津田博明会長となった。
(愛寿ボクシングジムは、後に「三和愛寿ボクシングジム」、「三和ツダボクシングジム」、「グリーンツダジム」と変名し、現在は「グリーンツダボクシングクラブ」となっている。
「グリーン」は、当時のスポンサー、『グリーン観光』の名残。)
愛寿ボクシングジムは長屋を改造し、狭くて正方形は入りきらないので会長の日曜大工で縄を張った長方形のリングがあった。
ロープ(縄)は壊れるためにもたれることはできず、隣の住人がご高齢だったので騒音に気をつけなければならなかった。
赤井英和は愛寿ボクシングジムの第1号選手だった。
目標は世界チャンピオン。
会長1人、選手1人の小さなジムがそれを叶えるためには戦略が必要だった。
「うちのジムは選手もいなければ業界に対する地位もない。
世界を獲るためにはマスコミを使うのが1番や。
マスコミは記録が好きやから、まずお前はKO記録をつくらないといかんぞ。
力も金もないジムからパッと華やかに売り出すためにはKO記録が必要なんや。
わかるな」
通常、ボクシングの試合は、1Rは様子見、2Rから手を出し、3Rから・・
勝つことを意識すればこのようになるのが当たり前。
しかし赤井英和は
「絶対に倒さないとアカン」
という使命感でゴングが鳴ると弾かれたように飛び出しダッシュで打って打って打ちまくった。
防御もテクニックではなく、何より1発もらったら3発返すようなスタイルは「ケンカボクシング」といわれた。
そして相手を倒して勝った後は、その喜びを派手にアピールして盛り上げた。
そしてインタビューにも力を入れた。
「今日はテレビで流すいうんで散髪してきたんです。
すいません。
テレビカメラどこですか?」
「KOの秘訣ですか?
やっぱりパンチのスピード、タイミング、それに薬です。」

デビュー後、12連続KO

赤井英和はKOで勝つことしか頭になかった。
1Rから思いっきり飛ばしていって、どついて、どついて、どつきまわして、デビュー後12試合連続KO。
ムサシ中野の持つ日本記録(当時)に並んだ。

1980年
9月18日 鷹大拳 2R 2分35秒
11月28日 谷口大五郎 1R 31秒
12月21日 笹川幸二 4R 2分55秒
1981年
3月1日 尾崎富士雄 3R 1分7秒(全日本ジュニア・ウェルター級新人王を獲得)
3月29日 毛利ジョージ 1R1分40秒
6月9日 小木田昇 4R 1分17秒
10月28日 小木田昇 1R 59秒
12月18日 桑田修孝 1R 1分56秒
1982年
2月22日 中尾和美 2R 1分43秒
5月6日 フレッド・ガラン 5R 28秒(世界ランキング入り)
7月19日 フレッド・チン 1R 1分26秒
9月6日 トム・シンサノンサクディ 2R 37秒

新記録がかかった13戦目は、これまで試合でダウンしたことがないタフな日本ランカー:知念清太郎を倒し切れなかった。
(大差の判定勝ち)
ちなみに赤井英和はプロで2敗しかしていないが2敗ともKO負け。
ボクシングは倒すか倒されるか。
KOしかない。
勝っても負けてもKOという赤井英和は、本来のボクシングの醍醐味を体現した男だった。
記録は途切れたもののその人気は衰えず1983年2月21日、それまで関西ローカルのみだった赤井英和の試合が初めて全国放映された。
大阪で行われる試合が全国放映されるのは世界戦以外では異例のことだった。
対戦相手は日本ジュニア・ウェルター級4位:武藤巳治。
足の速いアウトボクサー。
1R、武藤巳治は軽いジャブを打ってランニングを始めた。
赤井英和は最初こそボクシングをしていたが、すぐに逃げ回る相手を殴り倒しにかかる。
武藤巳治はフットワークで強引な攻撃をかわしていたが、赤井英和の速い追い足に次第に逃げられなくなる。
1Rの残り数秒、ニュートラルコーナー付近で赤井英和の右ストレートが武藤巳治の顎を直撃しノックアウトした。

7月7日7R フィーバーさせたる!

連続KO記録は止まったがデビュー後14連勝13KO無敗という圧倒的な勢いは日本、東洋をスルーし、いきなり世界挑戦を可能にした。
相手はWBC世界スーパーライト級チャンピオン:ブルース・カリー。
試合前日、挑戦者:赤井英和は記者会見で宣言した。
「7月7日やから7回に倒してパチンコのフィーバーにしたる。」
1983年7月7日、WBC世界Jウエルター級タイトルマッチ、ブルース・カリー vs 赤井英和。
赤井の母校である近大の記念会館に12000人の大観衆が入った。
1R、開始早々、チャンピオン:ブルース・カリーはグローブタッチを求めたが、挑戦者:赤井英和はバチ当たりにもそれを無視して右ストレートの先制攻撃を見舞った。
明らかに戸惑いの表情をみせ後退するブルース・カリーをロープ際に押し込みパチキ(バッティング、頭突き)をかます。
これは見事に命中したがブルース・カリーの頭が硬く、自分が右眉のあたりをザックリと切ってしまう。
しかしこのラウンドを含め、赤井英和は一貫して捨て身のラッシュファイトを敢行していく。
5R、赤井英和のが左フックで世界チャンピオンは尻餅をつくが、レフリーは「押し倒した」としダウンと見なさなかった。
6R、ラッシュし続ける赤井英和の左フックがブルース・カリーの顎をとらえた。
ブルース・カリーは黒いマウスピースをむき出しになりロープまで吹っ飛んだ。
満場総立ちになった。
赤井英和は休まず攻撃し続け、ブルース・カリーはふらついた。
「赤井、そこだ!
行けぇ~」
テレビ中継の解説をつとめていたガッツ石松はマイクの音声が飛ぶほどの音量で叫んだ。
しかしブルース・カリーはしのいだ。
怒涛のラッシュでスタミナをロスした赤井英和に左フックをヒットさせリングを遊泳させた。
7R、赤井英和の動きが悪化。
ブルース・カリーは反撃に転じ、赤井に容赦ないパンチの雨を降らせた。
赤井英和はこの豪雨の中に沈んだ。
壮絶で見事な討ち死にだった。
ほんとうにサムライのようだった。
それは皮肉にもKO予告した7月7日の7Rだった。

再起

津田博明会長は、かつて世界チャンピオン:ガッツ石松が挑戦者:ロドルフォ・ゴンザレスを大阪府立体育館で迎え撃ったとき、大阪のジムでガッツ石松とエディ・タウンゼントがトレーニングしているのをみていた。
エディ・タウンゼントはガッツ石松のパンチをミットで受けながら叫んだ。
「オオ!
そのパンチで試合は終わりよ。」
「そのパンチ以外はいらないよ。」
エディ・タウンゼントは選手のいい所を徹底して褒めた。
津田博明は、これは選手にとって凄い自信になるはずだと感心した。
(この試合は、ガッツ石松がロドルフォ・ゴンザレスを12Rにノックアウトした。)
津田博明会長は、しばしばエディ・タウンゼントに赤井英和のコーチをしてもらった。
エディは赤井に様々なことを教えた。
赤井は無類のファイタータイプだった。
赤井はスタンスをひろくして踏ん張ってパンチを打つ。
「アカイ、それじゃパンチ届かないよ。
もっとスタンス狭めて。
前後左右に動いて打つの。」
「アカイ、スミマセン、スミマセン言いながら頭下げて入るの。」
これは相手の内懐に入るときは頭を波打たせて入ることを表現したもの。
赤井は毎日教えられることをノートにメモして覚えた。
それは赤井にとって宝物のようなものだった 。
世界初挑戦で苦杯をなめた赤井の再起第1戦は、タフで鳴る新井容日だった 。
これを10R判定で破った。
続いてハンマー糸井、大月竜太郎、塚田敬と3連続KO 。
赤井は順調に勝ち続けた。
津田会長は再び世界への夢を見始めた。
しかしある夜、エディが津田会長にムッとした表情でいった。
「アカイにもっと早く会いたかったよ。」
「それどういう意味?」
「ボクね。
アカイに頼むから走ってくれといって土下座できないよ。
わかるでしょ?」
赤井は人気がありすぎた。
常にファンが取り巻き、密かにトレーニングを手抜きし、酒と女の誘惑におぼれていた。
赤井は優れた才能は持っているが、ボクサーとしては女性などの誘惑に弱すぎた。

運命の試合

大和田正春

1984年9月5日、赤井英和 vs ウィリアム・マルディゾンはひどい凡戦だった。
自分に失望したのか、直後、赤井英和は、津田会長に内容証明つきの引退届けを出して行方をくらませた。
人気ボクサーの失踪には様々な憶測が飛び交ったが、数日後、津田会長の間で話し合いが持たれ、赤井は再び世界を目指し走り出した。
またこの頃、赤井は結婚した上、妻のお腹には新しい生命が宿っていた。
赤井は世界前哨戦として、大阪府立体育館で、大和田正春を迎え、チューンアップした自分を見せつけ世界戦へ弾みをつけようとした。
大和田戦より前に、すでに津田会長は、アメリカにわたって大物プロモーター:ドン・キングに渡りをつけた。
WBC世界Jウエルター級チャンピオン:ビル・コステロに日本で挑戦を受けてもらう為、10万ドル(2500万円)のアドバンス(前渡し金)を支払い、タイトルマッチの約束を取りつけた。
「(大和田正春との)試合が済んだ6月にはもう1度世界タイトルへ挑む段取りやった。
今度こそチャンピオンベルトを腰に巻こうと思ってました。
そして対戦を選んだ相手が日本ウエルター級7位にいた大和田正春。
東京立川生まれで父親はアメリカ人。
褐色の肌にひげ面、剃髪で精悍な風貌をつくっていました。
戦績8勝8敗1分が示す通り、俺からみれば、センスはあるけど顎が弱い一発屋という印象でした。
まして俺は世界Jウエルター級8位。
自惚れやないけど戦う前から俺の優位を疑う者はいませんでした。
誰もが日本と世界の差に格段の開きがあることを知っていたわけです。
大和田は咬ませ犬といわれていました。」
大和田正春は、在日米軍兵士の父と日本人の母との間に生まれ、中学卒業後、夜間高校に通いながら自動車メーカーの下請け会社で部品やボディ等のメッキ加工に従事してきた。
それ以来ずっとメッキ一筋で、「センター長」という役職で活躍していた。
ボクシングでは、伝説の王者:マービン・ハグラーと風貌が似ていたため、「和製ハグラー」と呼ばれた。
「現役時代、自分以外はみんな敵だと思っていた。
スパーリングでも手抜きをしたことはない。
誰とやる時も、いつも倒そうと思ってやっていた。」
大和田はのパンチ力は素晴らしく、KO率が高い。
その反面に顎が打たれ弱く、常に倒し倒されのボクシングキャリアとなった。

1985年2月5日、赤井英和(世界Jウエルター級8位)vs大和田正春(日本ウエルター級7位)戦当日。
朝、赤井は規定のウエイトを300gオーバーしていた。
ガムを嚊んで唾液を牛乳瓶1.5本分出した。
9時30分、計量が行われた。
赤井、66.11㎏。
大和田、65.66㎏。
16時50分、大阪の街がうっすら暗くなってきた頃、赤井英和は赤いジャージ姿で会場に入った。
そしてABC放送(朝日放送)のインタビューを受けた。
「今日の試合で世界戦に向けて弾みつけなきゃいけませんね?」
「ええそうですね。」
「もう思いは今日より世界ですか?」
「ええ。
もうこの6月にでもいうてるんですけど、まあとにかく今日の試合を一生懸命ファイトして成果をみてもらいたいという気持ちでずっとトレーニングしてきましたから。
今日はまず気持ちのいいスカッとした試合で飾りたいと思ってます。」
「何ラウンドで倒します?」
「やはり前半ですね。」
控え室で、赤井は鏡に向かって軽い動きをはじめた。
エディは赤井の拳にバンテージを巻き、その上に丁寧にテーピングを施した。
テーピングを終えた拳をコミッショナーと敵側の人間が触って確認し、検査済みのJBCというサインがされた。
鼻柱、額、頬骨などにワセリンを塗り、ノーファールカップをつけ、白地の赤のラインの入ったトランクスをはいた。
ガウンも白地に赤ラインで、背中に松の木に鶴が羽を広げて舞い降りる刺繍が入っていた。
いよいよ係員が時間を告げに来て、控え室から狭い通路を歩いて入場口まで来ると、大和田の入場BGMが聞こえてきた。
赤井は1、2度、声を上げて自ら気合を入れた
「最初何イク?
チョット見る?
でもチャンスがあったらネ・・・」
エディが赤井の耳元でささやいた。
「行くよ、最初から。」
「OK、イク。
でもね、こうじゃないよ。
大きくね。」
そういいながらエディは、身体を屈めて左右に強く身体を振ってウィービングを大きくしろとアドバイスした。
会場にロッキーのテーマが流れ出した。
「さあ、行こ」
先頭の竹本トレーナーが場内に歩み出した。
「OK!
Come on Boy!」
花道に入ると、凄まじい声援と紙吹雪とカメラのフラッシュが舞い、太鼓の音が鳴り響いた。
「凄いネー」
エディは笑った。
赤井がリングに上がると一際歓声が沸き立ってリングアナの声をかき消した。
(もし赤井に勝ったら無事にここから帰れるのか)
大和田は思った 。
「本日のセミファイナル10回戦を行います。
赤コーナー、WBCジュニアウエルター級第8位、145パウンド4分の3、グリーンツダ所属 、赤井英和ぅー!」
赤井が両手を挙げたると観客がドッと沸いた。
「青コーナー、144パウンド4分の3、角海老宝石所属、大和田正春ゥー!」
それまでせわしく動いていた大和田は身体を止めてグローブで赤井を指した。
両者はレフリーの注意を聞きにリング中央へ集まった。
赤井は大和田の眼をにらんだ。
後にわかったことだが、赤井はいつもは相手の眼などみず、わざとそらしていた。
それがこの試合に限って相手の眼を穴の開くほどにらみつけた。
大和田も敵意丸出しで、両者額を突き寄せたまま微動だにしない。
「こいつや、こいつ、このアホ、どついたる!」
エディも煽った。
「なんでもないアカイ、なんでもない。
このヤロウ、ブッ飛ばせよ。
アカイ、ブッ飛ばせよ!」
そして赤井はマウスピースでふさがれた口を開き、ハッキリといった。
「このアホンダラ。」

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