伝説のボクシングトレーナー エディ・タウンゼント 「OK! Come on Boy!」

伝説のボクシングトレーナー エディ・タウンゼント 「OK! Come on Boy!」

力道山に見出され来日。 その大きすぎるボクシング愛で、ハンマーパンチ 藤猛、悲運の天才 田辺清、カミソリパンチ 海老原弘幸、天才パンチャー 柴田国明、和製クレイ カシアス内藤、伝説の男 ガッツ石松、エディの秘蔵っ子 村田英次郎、浪速のロッキー 赤井英和、ハンサムボーイ 友利正、天才少年 井岡弘樹など数々のボクサーを育てた伝説のボクシングトレーナー。 毎年、プロアマを問わず、活躍した、また縁の下の力持ちとして貢献したボクシングトレーナーに対して、「エディ・タウンゼント賞」が送られている。


ボクシングができなくなった赤井英和には厳しく冷たい日々が待っていた。
「通院する以外は酒ばっかり飲んでました。
親身になって話し聞いてくれた人も気がつくとそばからおれへんようになった。
赤井英和を金づるやと思ってた人なんかあっさり手のひら返してくれました。
そら見事なもんやった。
あの時はちょっと人間不信に陥りかけた。
でもね。
残ってくれた理解者、友達、彼らこそ何よりも大切な俺の財産です。
彼らを再発見できたことは不幸中のい幸い、とても有難かった。
そういう人らは大切にせなアカンとつくづく思いました。
50日ぶりに退院して帰った。
娑婆の空気はうまいのうと感じました。
心配された頭をいじった後遺症はありませんでした。
頭が痛いということもなかった。
だいたい俺、頭痛というの経験したことありませんねん。
退院直後はろれつが回らんかったり、歩こうとすると右へ右へ寄って行くこともありましたけど、その頃には事故が嘘のように思えました。
しかし終日うちにおるとロクなことを考えなかった。
こんな目にあわせやがった大和田が急に憎くなってアイツのうちまで押しかけて勝負つけたろかと思ったりしましたわ。
命がけでやってきたボクシングや。
リングで死ねるんやったら本望や。
それを助けるなんて余計なことを・・・と考えたこともあった。
ケガさえなかったらなあ。
4回戦ボーイからだが、どうや、やってみるか?といわれたら、俺、即座に「やるよ」というてたと思います。
怪我があるからコミッショナーは絶対に試合認めないでしょうけど、次、リング上がったら確実に死ぬと医者が言われてましたから・・・
ボクシングやめた。
することあらへん。
何をしたらええのんや。
ボクサー10年、練習やって、試合して、また次という繰り返しでずっと来てますから、他にことは何もできんかった、考えられんかったんです。
頭に爆弾抱えとったけど頭以外は健康体でしょ。
それに昨日まで戦ってきた男やないですか。
まだファイターやったんですよ。
戦う精神みたいなやつはそう簡単におさまるもんやないです。
沸々となにやら燃えカスみたいなもんが心の底のほうで煙を出してました。
ああ何かやりたい。
なんでもええねん。
必死でやれるもんが欲しい。
そんな俺に気持ちわかりすぎるから周りのやつは俺をそっと放っておいてくれました。
そして会えば馬鹿騒ぎでした。
グローブ置いたんやから良き家庭人に戻らなあかんという人もいました。
ようわかってますと答えながらあらゆることに未練を持ってたからよう戻らんかったんです。
しかし現実は厳しいもんです。
家庭の生活はどないするんや。
仕事はどうする。
とたんにお金の問題も生まれてきました。
本当に現実はシビアで待ってくれませんでした。
こうしてボクシング生活と引き換えに帰ってくるはずだった結婚生活は、どんどん隙間が目立つようになっていったんです。
俺の1番しんどい時に踏ん張ってくれた女性やったんですが、できた亀裂はもう元には戻りませんでした。
俺の再生にはこうした目から血が出るような思いの日々もあったんです。
しかし人間そう悪いことばっかりやないで。
運・不運一方だけの人生なんてあり得へんと思う。
失敗は失敗。
過去は過去。
そこにいつまでもとらわれてたらなにもできん。
なにも生まれん。
それをプラスにせなあかんのや。
俺はプラス思考。
マイナスはない。
いやもっと言うと俺、かけ算の人間やねん。
ウン、そういうことなんや。」
赤井英和にボクシングを断念させた大和田はその後、日本ミドル級チャンピオンとなった。
そして何度かの防衛戦で大和武士と対戦し、勝ちを収めたものの、網膜剥離を患って引退に追い込まれた。
そして映画「どついたるねん」で赤井英和、大和田正春、大和武士は共演することとなった。

ハンサムボーイ 友利正

1981年、エディは三迫ジムのトレーナーになった。
三迫ジムでは、友利正がいた。
高校でインターハイモスキート級チャンピオンとなり、三迫ジムに入門、プロデビュー後10連勝。
デビュー年は無敗のまま全日本新人王となり、天竜数典を2度目の挑戦で1R1分55秒KO勝ちし日本Jフライ級チャンピオンになった。
このタイトルは2度目の防衛で奪われたものの、翌年にチャンピオンに復帰し、このときは初の世界挑戦を翌年の春に控え、練習に打ち込んでいた。
エディは、友利がスピードボールを打っているのをみて首を振りながらいった。
「いいねえ。
すっごく手が速い選手ねえ。
ナイスボーイよ。」
明るくてノリやすい友利はすぐにその気になった。
(オレはナイスボーイかもしれない。)
1982年2月25日、後楽園ホールで友利正の世界タイトルマッチの発表会見が行われた。
相手は、WBC世界Jフライ級:アマド・ウルスア。
パンテリータ(豹)のニックネームを持つハードパンチャー。
このとき友利は日本Jフライ級チャンピオンとして、この翌日に神田吉昭を相手に防衛戦を行うことになっていた。
日本タイトルの防衛戦の前日に世界タイトルマッチを発表するのは異例だった。
よほど自信があるのだろう。
そして2月26日、友利は神田を大差の判定で破った。
友利は美少年で、オートバイで試合会場に乗りつけた。
女性ファンが多かったが、実践女子短大に通う久美子と付き合っていた。

友利は世界戦に向け、奄美半島の伊良湖岬でキャンプに入った。
会長、マネージャーと共に中野区でエディを拾って愛知県まで車で飛ばした。
友利は右膝に爆弾を抱えていたので、ゴルフ場のアップダウンの少ないフラットなコースを走った。
「すっごいねえ、トモリ。
すっごいハードねえ。」
エディも友利たちと同じトレーニングをこなそうと必死になってヒーヒーいった。
友利はそれをみてゲラゲラ笑った。
1週間のキャンプは、笑ってばかりだった。
ジムワークに移ると、エディは友利の左の改造にとりかかった。
ボクシングにおける左(利き手の逆、構えたときに前になる手腕)は重要だった。
もともと三迫ジムでは左の強化のために合宿生全員に左手に箸を持たせていた。
「トモリ。
左はもっと下からアッパー気味で打つのよ。
いい?」
エディはそういいながら自分で左をスッと打った。
友利はエディのセンスの良さに唖然とした。

世界チャンピオン:アマド・ウルスアが来日。
身長は156cmと小柄だが、体格はガッチリとデカい。
対する友利は、身長161cm、身体つきはほっそりしている。
ウルスアのトレーニングは角海老ジムで行われた
「ウルスアの左フックは強いよ。
でもね、トモリは脚を使って体を動かしていれば、あのパンチ大丈夫ね。
あんた勝てるよ。」
4月10日、 友利は試合のために新宿京王プラザホテルに入った。
エディは中野区の自宅からホテルに通った。
部屋をウロウロ歩きながら友利に教えたことを反復した。
「相手はパンチがあるから絶対に動きを止めたらダメよ。」
「その左を忘れてないか。」
そして突然キョロキョロし始めた。
「どうしたの?」
「メガネがない。」
「鏡見たら?」
「Oh!」
メガネは頭にはねあげて乗っかっていた。
4月13日、 試合当日、友利は車で後楽園ホールに移動し控え室に入った。
試合時間が近づいてきても鏡を覗き込んで髪の乱れを気にしてセットしていた。
エディは呆れ顔で硬くなる仕草をしていった。
「このボーイ、こうならないねえ。
珍しいよ。」
係員が来て出番を告げるとエディは明るくいった。
「トモリ、もう逃げられないの。
やるしかないのよ。
がんばるのよ。」
会長やセコンドにも
「頑張りましょう。」
と気合を入れた。
(よし、やろう!)
友利も気合を入れ、一行はコンクリートの階段を上がっていった。
リングの上で友利は対角線上のチャンピオン:アマド・ウルスアをみた。
39戦31勝26KO8敗。
KO率は66.6%。
友利は、22戦17勝5KO5敗。
KO率は22.7%。
1R、ゴングが鳴ると友利はいきなり攻め込んだ。
ボクサーファイタータイプだったはずの友利がファイタータイプに変貌していた。
ウルスアは押された。
3R、ウルスアが左フックを友利の右顔面にヒットさせた。
エディが叫んだ
「動くの!
足つかって、足つかって。
左、左よ。」
しかし友利は下がらず鋭くステップインして左フックから右ストレートを打ち返した。
7Rまで足をつかって打ち合わないというのがエディの方針だったが、その後も友利はガンガン打っていった。
「打ち合ったらダメ!」
友利は平気な顔でインファイトを挑んでいく。
10Rまでポイントでは友利がリードした 。
11R 、スタミナが切れた友利はウルスアが押し始めた。
「動いて動いて!」
友利は飛び込みざまに左フックを叩きつけてサッと離れた。
15R終了のゴングが鳴った 。
(ドローくらいかな)
友利は思った。
コーナーに戻る友利にニコニコ顔のエディがいった。
「おおトモリ。
あんたが勝ったよ。」
レフリーが友利の名を呼んだ。

6月
友利正の初防衛戦はイラリオ・サパタに決まった
サパタは
友利の前々チャンピオンで現在ランキング1位
友利が勝ったウルスアに負けるまで8度防衛しファイトマネーだけで2億円を稼いだ
指には金やダイヤの指輪
首には幾重もの金のネックレス
歯は金歯
背が高く
手足が長く
動きが天才的に速い
しかもサウスポー
つかまえるのは容易ではない
しかし戦績は21戦19勝8KOで
KO率は低い
友利とサパタはスパーリングした経験があった
友利が日本チャンピオンだった頃、
サパタが試合のため来日し友利が頼まれてスパーリングした
両者はほとんど互角に打ち合って2R目に友利の左フックでサパタは唇を切った
サパタは試合が控えているためスパーリングはここで打ち切られた
(大したことない)
これが友利の印象だった
試合は7月20日、金沢市の産業展示館に決まった
エディと友利の対サパタ攻略プランはボディ攻めという点で一致した
サパタのように動きがいいテクニシャンに対しては
まずボディを攻めて動きを止めるのである
7月20日、
王者:友利と挑戦者:サパタの試合
1R
ゴングが鳴ると友利がいきなり大きなロングフックを放った
当てるのではなく威嚇の一撃だ
サパタはヘッドスリップでかわした
このハッタリの1発でサパタは警戒してしまった
その後サパタは逃げの一手に徹してしまった
サウスポーで本来動きのいいサパタは
長い右手のジャブをポンと放ってそのまま後退
決して友利の射程距離には入らなかった
友利は焦って追った
友利が追う
サパタジャブを打っては逃げる
友利が追う
このダルな試合展開でポイント差は形勢不明だった
そしてこのまま試合は終わった
世界タイトルマッチとしては稀に見る凡戦となった
凡戦の原因は
挑戦者のくせに逃げ回るサパタとチャンピオンのくせに無策だった友利
両者にある
ジャッジペーパーの集計は手間取った
それを見ていたエディが言った
「トモリ、勝ったよ!
立ちなさい
手を挙げなさい」
友利がガッツポーズをした直後レフリーが勝者をコールした
「サパタ」
途端にエディは怒り出した
朱を注いだように真っ赤になってレフリーに食って掛かった
三迫会長も猛然と抗議した
会場はシラけた
(こんなことってあるもんか
くだらないよ
人生観が変わっちゃうよ)
友利はうんざりしていた
とっさに引退を決意した
ジャッジペーパーは
144-141でサパタ
144-143で友利
144-143でサパタ
2対1でサパタの逃げ切りだったが
サパタの1ポイント勝ちをつけたジャッジが
「私はトモリの1ポイント勝ちにしたはずだ」
と語り出し舞台裏はいよいよ混乱し出した
三迫会長は抗議と共にその場でサパタ陣営に再戦の約束をとりつけようと奔走していた
敗者は控え室に引き上げていた
「ドローだろう
サパタの勝ちはない」
(輪島功一)
「サパタにチャンピオンの資格はない」
(柴田国明)
新聞記者の質問にエディは短く答えた
「両方悪い
ドロー」

三迫会長はホームでまんまとタイトルを盗まれたという気持ちだった。
必死で外交手腕を発揮し、サパタ側と再戦の約束を取りつけた。
「トモリ、スピードよ。
トモリはスピードが1番よ。」
エディは口癖のようにいった。
スピードボールを打つ友利のパンチは コンパクトでシャープでスピーディで、まるでマジックのようだった。
11月、サパタは再婚したばかりの10代の妻を連れて来日。
ゴールドのネックレスやブレスレットでキラキラさせていた。
友利の作戦は、前回同様、徹底的にボディを打ちまくることだった。
屈辱の僅差判定敗けから約4ヵ月後、11月30日、再戦のゴングが鳴った。
1R、友利はサパタのストレートに対してボディアタックを敢行し、いい感じでリードした。
2R サパタは、自分の右ストレートにボディを合わせようとする友利を左アッパーで迎え撃った。
カウンターを食って一瞬ひるんだ友利にサパタは猛烈にラッシュした。
3R 調子に乗ると手がつけられなくなる南米人の気質か、サパタは前回と打って変って打ち合った。
しかしショートレンジの打ち合いなら友利が打ち勝った。
4R、サパタは果敢に友利と打ち合いにいった。
次第に友利が受身になりだした。
6R、友利が右目尻から出血。
7R、友利の出血で視界がふさがれた右目にサパタは左ストレートを打ち込んだ。
中盤、サパタは左アッパーからチャンスをつかんで、友利をコーナーにつめて乱打した。
友利は堪え切れずにダウンした 。
8R、サパタは勝利を確信しラッシュした。
痛烈な左ストレートで友利はダウンした。
立ち上がった友利にサパタは再びラッシュ。
するとレフリーが試合をストップ。
1分59秒KOが宣告した。
サパタはリング中央で両手を上げ、友利はそのかたわらで横たわりマウスピースを吐き出した。
控え室である相撲の支度部屋で、友利は血まみれで横たわっていた。
記者団が友利のコメントを取ろうと迫るとエディは怒鳴った。
「トモリを治療しなくちゃならないの!
わかるでしょ!」
友利は病院で簡単な検査と右目尻を3針縫って帝王プラザホテルに戻った。
「エディさん、寂しいね」
「試合に勝ったらみんな来るけど負けたら誰も来ない。
これ、仕方ないね。」
友利の髪の毛はワセリンでベトついていた。
顔を前に倒すと頭に激痛が走るので、便器に後ろ向きに座って、エディが仰向けにした頭を支え、恋人の久美子がシャンプーした 。
この夜、エディはずっと寝ずに友利についた 。
「夕べは長かったね。
どうもありがとう」
「いいえ」
友利は笑った。
「試合に負けたときに本当の友だちわかりますよ。」
数日後、友利は故郷:沖縄に帰るため、ジムの合宿所に荷物を取りに寄った。
するとマネージャーに出会った。
「また次ぎやるから・・・」
「もうやんない。」
友利正はリングから消えた。

天才少年 井岡弘樹

津田会長は密かにグリーンツダジムの専属トレーナーとして来て欲しいとエディに打診した。
その内容は、1年間の契約金300万円。
毎月のトレーナー料手取り35万円。
ホテル南海の宿泊費全額負担 。
月2回の東京-大阪往復の交通費全額負担。
というものだった。
68歳のエディーは、大阪へ初の単身赴任に入った。
エディが初めてグリーンツダジムに顔を出したとき、津田会長は1人の少年を指していった。
「エディさん。
あの子は必ずチャンピオンになる子ですからみてください。」
シャドーをしているの少年がいた。
身長140cmくらい。
堺市浅香中学2年生の井岡弘樹だった。
「会長、大変よ。
ボクシングにはケンカ坊主がたくさんいるから。」
エディは首を振った。
津田会長は何かとんでもない幻想にとらわれていると思った。
「すごい素質なんですわ。」
津田会長がいっても、エディは肩をすくませるだけだった。
ボクシングは過酷な戦いであり、あんなきゃしゃな少年につとまるはずがない。
しかし数日後、エディが津田会長にいった。
「会長。
あの子はチャンピオンになります。
会長のいうのは間違いないです。
チャンピオンになります。」
エディも津田会長同様、井岡の中にある並外れた才能を見抜いた。
サンドバッグを打つ井岡の動きのシャープさは目を見張るものがあった。
エディがミットを持っていった。
「ボーイ、ちょっと打って。」
井岡は左アッパーを突き上げた。
「おお、ナイスねえ。」
エディは井岡の中にあるキラキラしたものをみた。
この少年こそチャンピオンの器であることを確信した。

1985年3月、浅香山中学校を卒業した井岡弘樹は、荷物を持ってグリーンツダジムの2階に住み込み始めた。
見込みある選手だけに開放される合宿所だった。
「高校じゃ金が儲からない。」
誰もが進学を望む世間に背を向けるように井岡はボクサー志願を貫いた。
井岡は中学1年生からこのジムに通い出した。
動機は憧れの赤井英和に会いたいというものだった。
そしていよいよ赤井と一緒にトレーニングできるようになった矢先、赤井は大和田にKOされ、いまだ入院したままだった。
津田会長は井岡に就職させず、井岡はジムの1階と2階を往復するだけのボクシング漬けの生活だった。
井岡は健やかな少年で、可愛らしい顔で、性格は優しく、そのくせ負けん気が強く、音楽好きで、冷静ときている。
「会長、ボクね。
ホテルじゃなくてもいいのよ。
ジムでもOKよ。
ボク、イオカと同じ部屋でOKよ。」
ジムの窮状を知るエディは津田会長にいった。
津田会長にしても井岡をボクシングだけでなく人間教育もしなくては考えているところだった。
エディにそばにいてもらえば有難いし、エディはエディで少しでも多く選手たちと一緒にいることが好きだった。
こうしてエディはジムの2階の8畳間で井岡ら選手と一緒に生活し始めた。
ある夜、23時ごろ津田会長がジムに戻ると、エディがジムの外でタバコを吹かしていた。
「エディさん、こんなところで何してるの?」
「今ね、イオカが寝てるの。」
若いボクサーにタバコは良くないとエディは信じているのであろう。
こういう細やかな心配りに津田会長は感心した。
「僕は14歳でエディさんと会いました。
練習は厳しかったですが、OK!BOYといって僕のいい所を誉めながら伸ばしてくれました。
練習後は僕の部屋で夜食を共にし、一般人としてマナーや人との接し方なども教えてくれる年齢差
感じない兄のような存在でした。」

1985年12月、
「百合ちゃん、なんだか痛いよ」
エディは右下腹に鈍痛を覚えた。
19歳年下の妻をエディは「百合ちゃん」と呼び、妻は「ダディ」と呼んでいた。
妻は嫌がる夫を診療所に連れて行った。
医師は血液検査などの結果から盲腸と診断し、薬で散らすことにした。
やがて血便を出すようになったが、エディは痔のせいだと主張した。
薬の投与は続けられたが鈍痛が去らず、そのうえ急激にやせだした。
再び胃カメラを飲み、腸のX線検査を行うと、大腸にかなり大きな腫瘍があることがわかった。
部位が背中に近くこれまでの触診では発見できなかったのだ。

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