伝説のボクシングトレーナー エディ・タウンゼント 「OK! Come on Boy!」

伝説のボクシングトレーナー エディ・タウンゼント 「OK! Come on Boy!」

力道山に見出され来日。 その大きすぎるボクシング愛で、ハンマーパンチ 藤猛、悲運の天才 田辺清、カミソリパンチ 海老原弘幸、天才パンチャー 柴田国明、和製クレイ カシアス内藤、伝説の男 ガッツ石松、エディの秘蔵っ子 村田英次郎、浪速のロッキー 赤井英和、ハンサムボーイ 友利正、天才少年 井岡弘樹など数々のボクサーを育てた伝説のボクシングトレーナー。 毎年、プロアマを問わず、活躍した、また縁の下の力持ちとして貢献したボクシングトレーナーに対して、「エディ・タウンゼント賞」が送られている。


1986年1月、井岡弘樹は、満17歳の誕生日が過ぎると待ち構えていたようにプロテストを受け、合格した。
井岡は入門当初は小さく細かったが背は日に日に伸びて168cmを突破した。
しかし毎日2食食べても太らない体質で、ウエイトコントロールしやすいボクサーだった。
1月23日、東京後楽園ホールでプロデビュー戦が行われた。
相手は寄持由紀雄。
この一戦は新設されたばかりのミニフライ級の一戦だった。
ミニフライ級はJフライ級より軽い105ポンド(47.61kg)以下の階級で、共にデビュー同士だったが、1Rに井岡が右クロスストレートでダウンを奪い、2Rにも右ストレートで倒し、3R45秒でKOした。

8月、エディは入院した。
進行性大腸癌と診断され、臍を中心に直径20cmくらい半円に切開する手術を受けた。
しかし進行性癌であるため転移による再発は避けられないという。
「盲腸のために腸が癒着していたのよ。
だから痛かったの。」
エディはそう説明され納得した
約1か月後に退院。
その後は見違えるように元気になった。
医師はエディの年齢なら癌細胞の成長は散漫だろうから、4、5年は大丈夫だろうといった。
しかしミットを受けたり、選手たちとキャンプで走りこんだりするエディの肉体は、年齢よりもはるかに若かった。
癌細胞も想像以上の速さで全身に転移していった。

1987年7月8日、井岡弘樹が日本ミニフライ級タイトルに挑戦した
井岡はここまで7戦7勝5KO。
チャンピオンの小野健治は、27戦16勝6KO9敗2分のベテランだった。
18歳6ヶ月の井岡は冷静に戦い判定勝ちした。
これは最年少日本チャンピオンの新記録だった。
8月、WBCが、「ミニフライ級」を正式に「ストロー級」と改称し、世界ランキングを発表した。
1位は井岡、2位はマイ・トンプリファームだった。
そしてWBCは、1位と2位で初代ストロー級チャンピオン決定戦を行うと発表した。
期日は10月18日。
場所は日本。
井岡にとって思いがけないほど早いチャンス到来だった。
10月、トンプリファームがタイから来日。
その公開練習をエディと井岡はみに行った。
トンプリファームは背が低くスピードもなかったが、19戦18勝1敗のボクシングのキャリア以前に100戦を超すムエタイの経験があった。
ムエタイ上がりのボクサーのタフネスは侮れないものがある。
井岡はエディの耳元でささやいた。
「エディさん。
あまり大したことないね。」
途端にエディは大声を上げた。
「タフよ。
トンプリファームはタフよ。
バカにしないの!」
それでも井岡はニヤニヤしている。
エディが拳骨を振り上げた。
「笑わないの!
笑っちゃダメよ!」
そういうエディの口元もゆるんでいた。
10月17日、試合の前日、大阪西成区天下茶屋にあるグリーンツダジムにはファンや関係者が集まっていた。
エディは末期癌でやせて、まるで枯れたトウモロコシのようだった。
それでも大好きなタバコを口にしながら下町の薄暗い路地で輝く未来の世界チャンピオンの話をした。
「今度はチャンスよ。
イオカにはラストチャンスよ。
・・・
ファーストチャンスね。」
ラストチャンスとは、誰にとって?
「相手、強くないよ。
もし神様がイオカの中に入ってきたらイオカ勝ちます。
神様が入らなかったらNoだけど、たぶんイオカ勝ちます。」
井岡は3ヶ月前の日本タイトルマッチから身長がまた伸びて169.5㎝になっていた。
フサフサした坊ちゃん刈り、やさしい顔、穏やかな微笑。
「試合が近づいたらハッピーになりなさい。」
というエディの教え通り、試合が楽しみでしようがないようだ。
10月18日、井岡とトンプリファームがリングに上がった。
ゴングが鳴ると、井岡は右ストレートを相手のボディに送り込んだ。
動きが鈍いトンプリファームの出鼻に井岡の左フックをヒットする。
2R、トンプリファームの左目の上が切れた。
3R、
「ウワォー」
トンプリファームは叫びながら井岡に襲い掛かった。
しかし井岡は多くの有効打を許さない。
逆にカウンターを浴びせる。
5R、ここまでポイントでは一方的に井岡がとっている。
しかしトンプリファームは一向に倒れそうにない。
6R
井岡は猛攻した。
トンプリファームはKO寸前まで陥った。
井岡は右拳を痛めた。
7R、
「イオカ、疲れたらバネ使って、ジャブ打って、休むの。
元気が出たらまたがんばろう。」
エディはそういって井岡を送り出した。
8R、
「イオカ、あと5R立っていたら世界チャンピオンね。」
トンプリファームは積極的に出て行く。
井岡は守勢にまわった。
「ボーイ、回るの!」
9R、10R、11Rは膠着した。
11Rを終えて帰ってきた井岡にエディがいった。
「おめでとう、イオカ。
あんた、世界チャンピオンよ。」
12R、KOでしか勝てないトンプリファームは猛烈に出て行く。
井岡も逃げずに迎え撃ちトンプリファームをコーナーに押し込みボディを滅多打ちにした。
そこで試合終了のゴングが鳴った。
判定は大差で井岡が勝った。
津田会長が井岡を肩車した。
「監督、エディさんもね。」
監督と呼ばれた竹本トレーナーはエディを肩車した。
空中で2人は互いの手を握り合った。
エディの顔は子供のように笑った。

リングから降りてきたエディに百合子が抱きついた。
ロスからかけつけた長女:シャロンと次女:ダーナも抱きつきキスをした。
井岡の記者会見が始まった。
「何ラウンドからいけると思った?」
「1Rからです。
12Rはラスト30秒で倒す気で行きました。
効いていたのはわかってましたから。」
「イオカのガッツすっごいよ。
右手、痛い痛いいわない。
ま、あのくらい我慢できるんだったらいいチャンピオンになれるね。
イオカ、まだ子供よ。
勉強することいっぱいあるの。
ショート、もっとショート打てるようになればインファイトしても負けない。」
「エディさん。
次の試合は李敬淵選手ということになりますが?」
「韓国の選手?
おお、いらっしゃい。」
エディは右手で「Come on」のポーズをして笑った。
その手は木の枝のように細かった。
井岡の次の試合はランキング3位の李敬淵が義務づけられていた。
李はIBFという団体の公認する世界チャンピオンだった。
この日、李はリングサイドでジムの会長と共に井岡の試合をみていた。
そして試合後、井岡の印象を聞かれると自信たっぷりに答えた。
「井岡は怖くない。」

10月19日、エディ・タウンゼント一家4人は南紀白浜へ、津田会長が慰労をかねてプレゼントした3泊4日の旅に出た。
「百合ちゃん、胃が痛いよお。」
エディは宿に着くなり胃痛を訴えた。
おそらく世界戦の緊張と疲労のせいだろうと、妻は三共漢方胃腸薬を飲ませて急場をしのいだ。
10月28日、エディは大阪の大学で講演を行った。
講演をすましたあとは大阪、難波のホテルに泊まった。
10月29日、大阪から東京中野の自宅に帰ってくると、腹部に激痛を訴え、救急車で病院へ搬送された。
10月30日、家族は、医師から肺と肝臓に癌が転移していることを告げられた。
手術はできないので、本人の希望を尊重し、自宅で過ごし、週1回通院し制癌剤を注射することになった。
「年内いっぱい持てばいい方でしょう。
11月くらいと覚悟しておいてください。」
しかしエディは1月31日の井岡の試合にセコンドにつくつもりだった。
「百合ちゃん、ボク大阪行きたいよ。
行かせてよ。
イオカのトレーニングみたいよ。」
エディは東京の自宅で訴え続けた。
12月、エディは井岡がトレーニングキャンプを行っている白浜へ行くといい出した。
7~12日まで入院し、医師の許可を得てから白浜へ飛んだ。
ヒョロヒョロになったエディがタラップを降りると津田会長と井岡が出迎えにきていて、津田会長が抱きかかえようとした。
エディはそれを拒否し、そして左フックを振ってポーズをキメた。
「離して、大丈夫よ。
Come on!」

1988年1月、井岡のWBC世界ストロー級タイトル初防衛戦は近づいてきた。
津田会長は、年明けの挨拶と共に、井岡のスパーリングの映像を東京のエディに送った。
エディは自宅の2階で横になりながらそのビデオをみた。
気に入らない。
次第に苛立ってきた。
エディは頭を抱えた。
「百合ちゃん、ジムに電話してよ。」
ジムに電話すると津田会長が出た。
「会長、ボク泣きたいです。
いますぐ行きます。
いま、いますぐ行きます。」
すでに夜遅くなっていたが突然大阪へ行くというのだ。
「いますぐ新幹線で行く。」
百合子は腹が立った。
体調的に座席に座るのは無理だった。
百合子はワゴンをチャーターし、後部座席を全部倒して、その上に布団を敷きエディを寝かせた。
23時ごろ東京中野を出て東名高速をひたすら走り翌7時に大阪に着いた。
そしてジムのリングサイドに車椅子のエディがいた。
恐ろしい執念だった。
肉体はやせ衰えていたが、眼光は異様に鋭い。
そして不自由な足でリングに上がりコーチし始めた。
この日、井岡のスパーリング終了後、エディは津田会長を手招きした。
「会長、ありがとう。
長いことありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう・・・・」
夜は以前井岡と暮らしたジムの2階の部屋に泊まった。
井岡はここを卒業し、ジムの隣のマンションに個室を借りていた。

試合前のルールミーティングで、津田会長は李敬淵サイドに対して前例のない要求を出した。
「リングに上がらないという条件で4人のセコンドを置きたい。」
津田会長、竹本トレーナー、森岡トレーナー、そして車椅子のエディである。
リング上で世話をすることはできないが、コーナー下からアドバイスはできる。
これがエディの意思であり執念だった。
李敬淵サイドは了解した。
1988年1月31日、この日は大阪女子国際マラソンが行われ交通規制が行われたため、井岡は電車で会場である大阪国際文化スポーツホールに入った。
セミファイナルで、WBC世界フライ級タイトルマッチ、チャンピオン:ソット・チラタダ vs チャレンジャー:神代英明。
メインで、WBC世界ストロー級タイトルマッチ、チャンピオン:井岡弘樹 vs チャレンジャー:李敬淵が行われる。
津田会長念願のグリーンツダジムのダブル世界タイトルマッチだった。
だっだ広い控え室では、前座の4回戦ボーイたちが準備したり、アップをしていた。
ラジカセからアップテンポでリズミカルな音楽を流れている。
その端にベッドに横たわるエディがいた。
横には妻と長女と医者がついていた。
救急用に寝台車が玄関で待機し、大阪市内の病院が受け入れに備えているという。
「エディさん!」
関係者が声をかけるとエディは目を上げた。
顔色は黄ばみ、頬は削げ落ち、目は落ち窪んでいた。
「・・・・・」
エディは、何かをいったが聞き取れない。
「わからないのがねえ・・・」
百合子が気丈に笑った。
言葉が通じないのがわかったエディは2つの拳を顔の前に重ねジェスチャーした。
そして右拳を挙げてガッツポーズした
「私は天狗じゃないよと言ってるのかな・・・」
言語不明になりながらもボクシングを想い、愛するボクサーの勝利を訴える男の姿だった。
こんな状態でも、エディはセコンドにつくことをあきらめていなかった。
「もうすぐ神代が出ますよ。」
百合子がいうとエディはかすかにうなずいた
カメラマンのフラッシュとテレビのライトがエディの顔を照らした。
「エディさんが疲れますから、この辺にしていただけませんか。
悪いですけど・・・」
津田会長の声でマスコミは散った。
記者の1人が井岡に会った。
「いまエディさんをみてきた。
あんなになっているなんて・・・
井岡君勝つんだよ。」
「はい。
勝ちます。
死に物狂いでやります。
死んでも勝ちます。」
19歳のチャンピオンはさわやかにいった。
身長がまた伸びて170.5cm。
この階級では珍しいほどの長身になっていた。
井岡が流れるRockに合わせ身体を揺すり始めた。
やがて立ち上がりダンスを踊り始めた。
「ハッピーになりなさい。」
エディのアドバイス通り、これから死地に行くボクサーにはみえない。
いよいよ時間が迫ってきた頃、井岡はマスコミの不自然な騒がしさに気づいた。
「エディさんは?
エディさんどうしたの?」
「大丈夫、心配しないで。
あんたは試合のことだけ考えればいいの。」
そういわれて井岡はエディはちょっと休憩しているのだと思った。
そして14時過ぎ、リングに向かって入場した。

井岡弘樹、9戦全勝。
李敬淵、11戦全勝。
李はファイターらしい面構えをしている。
井岡の赤コーナーに車椅子のエディはいなかった。
井岡が控え室を出る直前に容態が悪化し、意識不明と呼吸困難に陥り、ベッドごと車に運ばれ病院へ搬送されていた。
試合開始のゴングが鳴った。
井岡のフットワークは軽快。
李はベタ足のファイター。
井岡が動き、李が追うという展開となった。
李は接近してボディへのフックを集める。
井岡は左のフックを顔面にカウンターで入れる。
李は早くも出血した。
李の闘志は見事だった。
粘り強く決して下がらない。
井岡は下がりながらカウンターを狙った。
1Rは李が取った。
2R、3Rも同じ展開となった。
ジャッジのスコアは乱れた。
李のアグレッシブを採るか、井岡の的確なパンチを採るか。
中盤を過ぎても勝負はわからなかった。
エディは大阪西成区天下茶屋の田中外科病院の2階の個室に収容された。
かすかに意識を戻したエディが酸素マスクの下で息をしていた。
腕には点滴がされている。
1階のロビーにはマスコミが待機していた。
テレビには井岡が映っていた。
時々、エディの娘:ダーナは1階にテレビを見におりた。
ダーナが百合子にいった。
「井岡君、あんまりよくないよ。」
百合子は黙ってうなずいた。
7R、8Rは李が獲った。
8R終了後、コーナーに戻った井岡に森岡トレーナーがいった。
「井岡、お前勝ってると思うか。」
井岡は怪訝そうな顔をした。
「お前1ポイント負けてるぞ。」
「負けてます?」
「お前今まで楽させてやったやろ。
楽して銭儲けしたらアカン。」
それを聞いて井岡の顔が変わった。
9R、井岡の動きが変わった。
出たり入ったりの変化が出てきた。
(エディさんのいうとおりの動きを始めよった。)
津田会長はニヤリとした。
9R、10R、11R、井岡は連続してラウンドを獲った。
最終の12Rが始まるとき、津田会長は井岡の2ポイントリードと読んでいた。
しかし実際のジャッジペーパーでは3者3様のイーブンだった。
「あと30秒をハッキリいって!」
井岡がリング下の若いセコンドに念を押した。
途端に津田会長が怒鳴った。
「もうそんなもん関係ない。
このラウンドは全部打っていけ。
全部打つんだ。
お前、このラウンドは絶対にとらなアカンぞ。
全部打て。」
「はい!」
井岡はうなずいて出て行った。
李もノックアウトで決着をつける気持ちで前に出ていった。
12R、2人は旺盛なスタミナでラッシュした。
井岡の左右のフックに李はそっくり同じ左右フックで打ち返した。
「井岡、手ぇ出して。」
津田会長が叫んだ。
その瞬間、井岡中で何かが閃いた。
エディのいう、神様が入った。
井岡は左右フック、右ストレート、左フックを強打した。
これがまともに李を打ち抜いた。
李の急に目が死んだ。
井岡はさらに立て続けにパンチを放ち、李はフラフラと後ろ向きにロープに逃れた。
井岡は追って右フックを叩きつけた。
李はブッ倒れた。
レフリーが井岡を背後から抱き止めてニュートラルコーナーへ行くよう指示した。
李はエイトカンントで立った。
井岡は襲い掛かる。
左右フック6発から右ストレートをフォローした。
無抵抗の李はレフリーの胸に倒れこんでうなだれた。
レフリーは李を守るように抱き止めて右手を振った。
土壇場でいきなりクライマックスがやってきてドラマが終わった。
12R1分36秒だった。
満場はどよめいた。
病院では、再度、ダーナは階下のテレビを見におりようとすると、何やら騒がしい。
テレビの中で井岡のTKO勝ちを大写ししていた。
ダーナは2階へ駆け上がった。
「ダディ、あなたのボーイが勝ったよ!」
百合子は娘が叫んだことを、もう1度エディに伝えた。
するとエディの表情が変わった。
なんということだろう。
エディが意識が蘇り、満面に笑みが広がり、右手がゆっくり上がりVサインをした。

大阪女子国際マラソンによる渋滞を考え、井岡は電車で天下茶屋駅まで戻り、ジムで着替え歩いて病院へ行った。
18時、井岡が病室に入るとエディは戦っていた。
骨に皮をかぶせた程度に痩せたエディが息をしている。
井岡はベッドサイドに座った。
「エディさん、ボク勝ちました。
ノックアウトです。
エディさんのおかげで勝てました。」
エディはわずかに目を開いてうなずいた。
井岡が枝のようになった手をとると冷たい手が握り返してきた。
酸素マスクの下で何かしきりに話し始めたが聞き取ることができない。
井岡は15分ほどでマンションへ戻った。
20時30分、赤井英和がエディの病室へ駆け込んだ。
赤井はしっかりとエディの手を握った。
「前に僕が病院に入ったときはエディさんに随分励ましてもらいました。
今度はエディさんが頑張る番ですよ。」
エディはうなずいた。
赤井は泣きながら看病している百合子やダーナたちにジュース類を差し入れた。
「何かありましたら電話してください。
明日の朝の食事は女房につくらせます。
女房は弁当を作るのが大好きですから。」
津田会長も駆けつけた。
エディは津田会長に小さな声で語り続けた。
しかし酸素マスクの下の声はついに届かなかった。
末期癌は激痛を伴うといわれるが、エディは最後まで苦痛を訴えなかった。
すでに体重は30kgを割るほど痩せていたが、もの凄い気迫で生き続けていた。
「信じられない。
奇跡です。」
田中院長はいった。
2月1日1時、エドワード・タウンゼント・ジュニアは死んだ。
73歳だった。
15時、遺体は病院からグリーンツダジムへ運ばれ、19時20分、東京都中野区本町4丁目鍋屋横丁の自宅へ戻った。
1月19日に大阪へ発ってから13日ぶりの帰宅だった。
1階の座敷には祭壇が設えられ棺が安置された。
かつてのチャンピオンらがそのそばでごろ寝して夜を明かした。
2月2日、新宿の教会で通夜が行われた。
エディは毎週日曜、ミサに出席し礼拝を欠かさなかった。
2月3日、告別式が行われた。
「エディさんはいつもこの教会のその場所で熱心に祈っていました。
とても真面目なクリスチャンでした。
エディさんは朝、味噌汁を飲みます。
それから町に出てコーヒーを飲みます。
それがエディさんの楽しみでした。
ある日、エディさんは私にいいました。
ボクはおかしな男です。
こうして神に祈り人の愛を慈しむくせに、ボクシングでは『殺せ』いうんですから。
とても矛盾してます。
そういっておかしそうに笑っていました。」
(神父)
エディが亡くなって33日。
百合子は分骨した遺骨を持ってハワイに飛んだ。
チャーターした小型汽船で沖に出てエディの遺骨を海中に葬った。
ボクシングが好きで好きな人だった。
「また生まれ変わったらトレーナーやりたいね。
その次生まれてもトレーナー。
また生まれてたらもっともっとテクニック授けて神様!いうねぇ。」

オーケー!ボーイ―エディさんからの伝言 | 百合子・タウンゼント, 高橋 和幸 |本 | 通販 | Amazon

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