男!! 江夏豊 王との対決は三振かホームランかの直球、力勝負

男!! 江夏豊 王との対決は三振かホームランかの直球、力勝負

剛速球と芸術的コントロール、王貞治との力と力の真っ向勝負、奪三振記録を王貞治からとるためにほかのバッターはわざと打たせる、3回しか投げられないオールスターゲームでの9連続三振、自らのサヨナラホームランでノーヒットノーラン、日本初のリリーフエース、江夏の21球、優勝請負人、大リーグ挑戦などなど記録と武勇伝のオンパレード


阪神が江夏を放出

江夏は主治医から
「今の無茶な生活を続けていれば間違いなく数年以内に命を落とす
酒、タバコ、女、麻雀、どれかを止めろ」
と言われた
どうしてもタバコだけはやめられず酒を断つことを選び
それは現在にまで至っている
1974年、通算150勝を達成
血行障害や心臓疾患が悪化
肩痛・肘痛を抑える痛み止めの影響で体重が激増
成績は年々下降
金田正泰、吉田義男両監督との確執などから
「一匹狼」
「ローンウルフ」
といった異名をつけられ
フロントとの対立がクローズアップされる
1966年から1972年まで6年間連続最多奪三振、
1968年、1973年に最多勝利投手
1969年、最優秀防御率
1975年までに完封44試合を含む159勝を記録していた
そんなチームの大功労者に対する契約更改交渉がもめていた
そして日刊スポーツに「江夏放出」の見出しが躍った
江本孟紀(南海)とのトレード話が進行しているとの内容で
当時の江本は5年目で52勝57敗の成績で
江夏とは通算成績で100勝以上も差がありトレード相手としては不釣合いだった
当然、江夏は不信感を抱くが
球団はこれをデマだとして全面否定
しかし契約の話になると、25%ダウンを提示、飲めないならトレードだと通告した

南海ホークスへ

1976年1月28日
阪神、南海による2対4のトレード
(阪神:江夏豊、望月充、南海:江本孟紀、長谷川勉、池内豊、島野育夫)
が成立
トレード発表の記者会見ではこう話した
「僕は心機一転という言葉は使いたくない
精一杯やるだけです
今日はちょうど28日
(江夏の背番号は28)
この日で阪神の江夏はすべて終わった」
江本とのトレードについて
「なぜあんなレベルの選手と・・・」
それを聞いた江本は
「言いたい放題言いやがって・・・・」
と一触即発の状態に陥った
しかし後に和解し良友となる

藤本定義(元阪神監督)は
「世間知らずの野球バカをあんな惨いかたちで追い出すなんて
江夏は10年に1人のピッチャーです
大投手になれたのは
あのわがままでひねくれた性格があったからこそなんですよ
昨年、一昨年と成績が悪かったのは使い方が悪いからです
私が監督のころは
片親がいない貧乏な家庭に育った者には父親代わり兄代わりになってやったものです
江夏もそうで、父親のいない貧しい家庭環境で育っています
そこのところを知ってやらねばいけません
それを会社や監督は理解してやらなかった
配慮が足らなかった
私は今年の吉田内閣はそうとういけると踏んで楽しみにしていたんです
しかしこれで終わりです
残っている計算の立たない10勝クラスではとても優勝なんかできるものではありません 」
とこのトレードについて痛烈に批判している
当の吉田義男監督は
「フロントが決めたことで、私は知らなかった」
と弁明した
当時の長田睦夫球団社長に
「君は江夏のトレード話は知らないことにしておこうや」
との意向に従ってしらばっくれたともいわれている
また江夏豊自伝「左腕の誇り」には
阪神・吉田監督のほうから南海・野村克也監督に江夏のトレード話の打診があったと記されている
ちなみに阪神は
江夏を放出した後、
1976年こそ2位という成績だが、
1984年まで9シーズン中6度のBクラス
1978年には最下位という屈辱を味わう

野村克也

当初、江夏は阪神在籍のまま現役を終えるつもりだった
ホークスに移籍する気は全くなかった
南海の野村克也選手兼任監督に、
1975年10月1日の広島東洋カープ戦で
衣笠祥雄にカウント2-3から意図的に投じたボール球について
「あれはわざと放ったんだろう?」
と指摘され
その野球観に深い感銘を受け南海での現役続行を決意したという
1977年
移籍1年目
先発として登録されたが
血行障害や心臓疾患などで長いイニングを投げられず
思うような成績が残せなかった
しかし
変化球も含め
構えたミットに寸分違わずボールを投げ込む図抜けた制球力で周囲を驚かせた
中でも右打者の外角低めのボールは絶品だった

リリーフエース

野村監督はリリーフへ転向をすすめた
「50球程度の短い投球回なら十分に戦力になる」
「トレードの上、今度はリリーフ
何で自分ばかりに恥をかかせるのか」
「抑えの切り札として野球の革命児になってもらいたい」
こうして江夏はここから優勝請負人として球団を渡り歩くことになる
6月、リリーフ投手へ転向
この年19セーブ
最優秀救援投手に輝き
日本野球界におけるリリーフ投手のパイオニアとなる
そしてリリーフエース専任、江夏8連投、全試合ベンチ入りなどは野球革命といわれた
現在では江夏の残した功績がそのまま引き継がれ
抑えの切り札がしっかりしたチームが優勝するという図式が定着している
当時はリリーフ専門投手の調整法というものが日本には無かった
ずっとベンチに座って待機していると腰痛持ちの江夏には辛かった
知り合いの記者にメジャーリーグでのリリーフ投手の調整法などを聞き自己流の調整を始めた
試合が始まっても5回までベンチに入らず
ロッカールームでマッサージを受けたり睡眠を取った
当時はまだ非難を浴びたが
今日では全試合待機を義務付けられるリリーフ投手のコンディション維持法として定着している
阪神時代の豪腕投手は鳴りを潜め
打者の心理を読んで変化球を巧みに使い分ける技巧派投手として開眼した
金田正一を
「現役時代の自分を上回る」
と言わしめた
同年、
オフシーズンに入ると野村監督が解任が決まった
江夏は言った
「野村さんがやめる以上出してください」

広島東洋カープへ

江夏は広島へ移籍し
リリーフエースとして活躍した
2215試合連続試合出場の鉄人、衣笠祥雄は江夏豊の2年先輩で
2人は無二の親友としてグランド内ではもちろんよく遊びにもいった
「サチ(衣笠祥雄)は今でも野球を離れたところで男同士の付き合いができる
広島の3年間はよく野球の話もしたしお互いの悩みを聞いたしよく遊んだ
嫁さんといるよりサチといる方が長かった
ゴルフ、カラオケ、旅行など一緒によく遊んだ
小倉では高橋慶彦、サチ、福永トレーナーと夜の十時から、朝の七時まで延々とアリスの唄を歌い続けたこともあった
江夏が日本ハムに移籍した後、サチは湯布院の喫茶店でアリスの唄を聞いて、
「豊がおらん。豊がおらん」と言って泣いていたそうです」
思うように成績が振るわず先発を外れされたとき
衣笠は荒れに荒れた
手当たりしだいにものをぶっ飛ばした
しかし江夏は一晩中一緒にいたという
「ぼくはあの時からいっそう仲良くなったと思う
あそこで初めて彼の弱いところを見てしまったけど、
弱みを見せるということはそれだけ僕を信頼しているのだなと思った」

江夏の21球

近鉄バファローズとの日本シリーズ最終の第7戦
7回裏から江夏はマウンドに立った
9回裏、
広島1点リード
近鉄の攻撃
ヒット、盗塁、エラーで無死三塁
四球、敬遠で無死満塁
代打:佐々木を三振で一死
次の打者は石渡
1球目
石渡の見逃し方と一塁走者の眼の動きからスクイズを見抜く
2球目
カーブの握りでわざと投球動作を遅らせ
打者の動きを見ながらカーブを外角高めに大きく外す
石渡はスクイズを空振り
三塁走者はタッチアウト
二死
その後、石渡が三振し
広島の日本一が決定
9回だけで21球を投げた江夏は胴上げ投手となった
これが後に作家:山際淳司が短編ノンフィクション
『江夏の21球』
に記したプロ野球史屈指の名場面である
9勝5敗22セーブ
防御率2.66
自身初、日本のリリーフ投手初となるシーズンMVP

2年連続日本一

1980年
広島の2年連続日本一に大きく貢献し
また大野豊に熱心な個人指導も行い、
後の大野の成長の礎を作り上げた
そしてオフシーズンに
高橋直樹とのトレードで大沢啓二監督率いる日本ハムファイターズへ移籍が決まった
20勝エースとリリーフエースとの大型トレードだった

優勝請負人

1981年、
移籍1年目
日本ハムファイターズを19年ぶりの優勝に導く
シーズンMVPを獲得
プロ野球史上初めて両リーグでMVP受賞
『優勝請負人』の異名を取った
1982年、
通算200勝を達成
5年連続で最多セーブ投手
史上初12球団すべてからセーブを挙げる
1983年のオフシーズンに大沢監督が勇退
「お前をとってきた俺がやめるんだから、お前も日ハムをやめろ!」
と江夏の移籍も決まる
この時点ではまだ移籍先が決まっていなかった
希望球団を聞かれ
「行きたくないのは巨人、阪神、広島、西武
強い巨人、西武と対戦できるならどこでもいい」
しかし西武ライオンズへの移籍が決定
巨人が江夏獲得に乗り出してくると見た西武が自軍に引き入れた

国内引退

西武時代

優勝請負人の気骨――江夏豊 | 週刊ベースボールONLINE プロ野球・ドラフト注目選手のコラム・インタビュー・戦力分析・予想・試合レポートなど徹底取材

1984年、
西武に移籍
5月の大阪遠征中
本社の幹部も交えた朝食会で
江夏は広岡達朗監督と同じ円卓に座った
監督の方針で
肉食が制限されていたので出てきたのは玄米だった
江夏は悪気も何もなく不思議に思って聞いた
「監督、
こんな玄米を食べてるのになんで痛風なの」
すると場が妙な空気になり監督は出ていった
その遠征から戻ってすぐ江夏は2軍に落ちた
プロ18年目で初めてだった
江夏は数々の記録を達成してきたが
このとき胸にあったのは日米で例のない「1000試合登板」だった
しかし結局シーズン終わりまで2軍だった
江夏は
「そんな世界なら未練はない」

史上初の通算200セーブ、通算3000奪三振をも目前に
西武を退団
引退を表明した

たったひとりの引退式

1985年1月19日、
広岡達朗監督とケンカ別れのような形で球界を去ることになったため
江夏の引退式は行われなかった
そのため東京都多摩市の一本杉公園野球場で
文芸春秋主催、名球会協力の「たったひとりの引退式」が行われ
収容人員15000をはるかに超える20000の人々が駆けつけた
一本杉公園野球場はプロ野球球場でなく市民球場である
当日、江夏は多摩ニュータウンを走る車の中でこう思った
「エライとこに連れていくんやな
まるでゴルフ場に行くみたいや
ほんまに、球場なんかあるんかいな」
到着してみるとあふれんばかりの人がいた
「あんだけのお客さんが集まってくれたっちゅうのは
驚きというか
意外というか
まあ、ありがたい気持ちになったよね」
そして控室でたばこをくゆらせた後
少年野球の試合にリリーフで登板するという形でをマウンドに上がった
小学生1人に投げた後
球界の仲間が次々に打席に立った
落合博満、高橋慶彦、福本豊、山本浩二、大杉勝男、斎藤明夫、江藤慎一
阪神時代にバッテリーを組んだ辻恭彦のミットめがけ27球を投げた
そして挨拶で江夏はメジャーリーグ挑戦を表明した
「江夏豊36歳、
本当にバカな男かもわかりません
ですが日本に帰ってきたときには、
たった一言、
ご苦労、
それだけ言ってやってください」
江夏は現役時代、ずっと日記をつけていたが、
メジャー挑戦とともに日本での現役時代の日記を全て燃やした

メジャーリーグ挑戦、完全燃焼

1985年2月、
日本を離れ
公約通り大リーグ:ミルウォーキー・ブルワーズの春季キャンプに参加
「アメリカでの野球生活を終えて日本に移るメジャーリーガーが多い中、
日本での野球生活を終えてメジャーに挑戦する36歳のルーキー」
と地元マスコミも注目
メジャー枠10人に入ることを目指して力投した
内7人は既にメジャー枠当確だったので
実質、19人で3つの枠を争うことになった
3月18日、
マリナーズを抑え勝利投手となる
メジャー相手に好投を続けて実力を見せつけメジャー入りは確実かと思われた
オープン戦後半
まさかの3試合連続救援失敗
メジャー入りの最後の枠を若いイゲーラ投手と争うことになった
4月2日、
エンゼルス戦
2回2失点
開幕メジャーリーグの夢は絶たれた
「最後に対戦したのがヤンキースで活躍したレジー・ジャクソン
メジャーで500本塁打してる彼が、すさまじい形相で打席に入ってきた
真剣勝負の末に、ちょっと外の抜いた球を左中間に運ばれた
あんなきれいなバッティングされたらもう、完全燃焼だよ」
球団にマイナー契約を打診されたが
「そこまでやる気はない」
とマイナーでの再スタートを断り
現役を完全に退いた

一からやり直す

江夏と最後までメジャー枠を争ったテディ・イゲーラは
この年15勝、翌年は20勝をあげた
マイナー時代は普段着でもアンダーシャツを着て
ビール1本を買う金すらなく江夏の部屋まで飲みに来ていた
日米野球で来日したときは真っ先に江夏のもとに駆けつけ握手を求めた
服はブランド物、腕には高級時計を身につけていた
江夏は思った
「これがアメリカンドリームか」
引退後は解説者、評論家
またタレント・俳優としても活動
1993年3月3日、
覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕
懲役2年4ヶ月の実刑判決を受け静岡刑務所に服役
名球会からも自主的に退会
一時の気の迷いで薬物に手を出し、
指導者の道が断たれてしまったことを悔やむ声は多い
1995年4月27日、
仮釈放
刑務所の生活で健康状態は劇的に改善していた
出所後
法廷での弁護に立った野村克也、江本孟紀、衣笠祥雄ら友人達への感謝の言葉と共に、
「もし刑務所に行っていなかったら僕はもう死んでいたかもしれない」
と語った
自宅に戻ると
一からやり直す決意をするため
現役時代の獲得した数々のトロフィーなどを全て捨てた
作家:安部譲二は語る
「あの傲岸不遜だった男が帰ってきたら物凄く気配りができるようになっていた」
やがて野球解説者・評論家に復帰
判りやすく明晰な技術論で高い評判を得ている
江夏は
選手を「君」付けで呼ぶ
それは
「野球選手という職業へのリスペクト」
だという

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