この様にリーグ連覇に貢献した鈴木健選手ですが、2000年ごろから成績が急降下します。2001年オフに監督が東尾監督が辞任。2002年シーズンから伊原監督に変わると、鈴木選手の出場試合数は激減。一方チームはアレックス・カブレラ選手が日本プロ野球タイ記録の年間本塁打55本を記録するなどの活躍を見せ、チームは独走でリーグ優勝を果たします。(日本シリーズでは巨人に4連敗)
2003年にヤクルトに移籍すると、岩村明憲選手が故障した事を受けて三塁手のレギュラーに定着。すると打率.317、20本塁打、95打点と自己最高の成績を残し、ベストナインおよびカムバック賞を受賞します。2004年は岩村選手が故障から復帰すると、鈴木選手は一塁手へ転向。打率.289、15本塁打、65打点と2年連続で安定した好成績を残すのです。
しかし、2005年に怪我をしたことをきっかけに二軍暮らしが続いた鈴木健選手は2007年9月20日に、現役引退を表明。10月4日の横浜ベイスターズ戦で、8回裏1死の場面で代打出場した鈴木選手はファウルで粘りながらも15球目をセンター前にヒットを放ちました。
※この時横浜のサードを守っていた村田選手が実に「粋な計らい」をします。
引退・そして今
引退後の鈴木選手
引退後は、野球解説者の傍ら友人であるプロゴルファー小山内護選手のキャディーとしても活躍しています。