ロシアが生んだ『霊長類最強の男』カレリン

アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ・カレリン
海外での異名"The Experiment"は直訳すると“実験”。
『人類がどこまで強くなれるかを体現している』という意味でこの異名で呼ばれるようになった。
カレリンの圧倒的な筋肉と身体能力
13歳の時にレスリングを始め、積雪30cmの中でのランニングや、ボートを3時間不休で漕ぎ続けるなどの過酷なトレーニングで身体を徹底的に鍛え上げた。
通常、体重が100kgを越えると体脂肪率は20%以上になってしまうと言われているが、全盛期のカレリンは体重が130Kgを超えても体脂肪率が10%くらいであったという。

若き日のカレリン

対戦相手を軽々と持ち上げる背筋力
プロ野球界の怪物「ゴジラ」こと松井秀樹(186cm、90kg)の背筋力は250kg。
相撲界一の筋肉を誇った横綱千代の富士(183cm、120kg)の背筋力は330kg。
カレリンの背筋力400kg超というのは、各界の怪物と呼ばれた日本人と比べると物凄いレベルだということがわかる。
だが、唯一例外としてカレリンに迫る日本人がいた。
ハンマー投げの室伏広治(187cm、99kg)は背筋力389kg!
体重が100kg満たない室伏が体重130kgのカレリンに迫る背筋力であることに驚かされる。
数々の逸話や伝説を持つカレリン
圧倒的な身体能力を持つカレリンには数々の逸話や伝説がある。
・生まれたとき、すでに体重が700g近くあった。
・300kgの重りを背負ってスクワットができた。
・120kgの冷蔵庫をマンションの8階まで1人で担いだ。
・腰まで積もった雪の中、薪を両脇に抱えてランニングをしていた。
・相手の腕を取っただけで脱臼させた。
貴重なカレリンのトレーニング映像
カレリンはバーベル類を使わずに筋力トレーニングをしており、主に鉄棒、ロープ、ゴムチューブ類を使用していたという。
対戦相手を恐怖のどん底に突き落とす『カレリンズ・リフト』

得意技『カレリンズ・リフト』
オリンピック3連覇、世界選手権9連覇、13年間無敗
1987年から2000年まで国際大会で13年間無敗を誇り、大会76連勝の記録を持つ。
その間にオリンピック3連覇(ソウル・バルセロナ・アトランタ)、世界選手権9連覇や欧州選手権10連覇を記録し、公式試合での連勝記録は300までに及んだ。
1999年2月21日、前田日明の引退試合の相手を務めたカレリン

前田日明 (まえだ・あきら)
1998年にはすでにリングス・ラストマッチと銘打って、引退セレモニーを行っていた前田であったが(対戦相手は弟子の山本宣久で、前田の判定勝利)、最後にもう一戦、大物との戦いを求めて交渉を続けていた。
当初、標的としたヒクソン・グレイシーは、前田ではなくPRIDEでの高田延彦との再戦を選んだ。
ヒクソンと並行してカレリンと交渉していた前田陣営だが、オリンピック4連覇を狙うカレリンの周囲は参戦に否定的でこちらも難航した。
だが、最終的に交渉がまとまり遂に『霊長類最強の男』がプロのリングに上がることになった。
旧ソ連国家スポーツ省の事務次官をやっていたリングス・ロシアの代表ウラジミール・パコージンが「ソ連崩壊によってスポーツ振興が途絶え、喰えなくなっていた我が国の格闘家たちが、前田の尽力によって何十人も救われた。ロシアの英雄といわれているあなただ、そんな男のためにたった一試合やるくらい、いいじゃないか」と涙を流してカレリンに訴えて実現したと前田は語っている。
また一説には、ファイトマネーを五輪を目指す地元の少年レスラーたちに贈るためにカレリンは決断したとも言われているが、日本のマスコミにカレリンは「私に挑戦してきたのは彼が初めてでした。真剣だったから、受けました。」とだけ語っている。
カレリンとの引退試合は民放のニュース番組で特集されるほど、世間から注目された。
「ヒクソンなんて目じゃない。本当に強い男と対戦するのはこっち」と前田は発表時にコメント。
後に前田は、引退試合の相手にカレリンを選んだ理由について前田は「本当に強い人間っていうのは、こういうことだよっていうのを証明したかった」と語っている。
前田日明 対 アレクサンドル・カレリン試合ルール
・5分2ラウンド
・ロープエスケープ=1ロストポイント
・ダウン=2ロストポイント
・ロストポイントが6つになった時点でTKO負け
・2ラウンド終了時ポイント差で勝敗を決定
・グラウンドによる打撃は禁止
打撃や関節技が許されるこのルールは、アマレスの選手であるカレリンに対して、前田日明に有利なルールだと言われていた。
試合開始と同時に、前田からキックで優勢に攻めるが、カレリンは表情を変えることなく、レスリングの構えのままにじり寄っていく。
後に前田自身が「ベストのタイミングだった」と語ったタックルも、まったく通じず、そのままがぶって前田の体(身長191cm、体重117kg)を子供のように振り回した。
1Rの中盤になんとか脚関節を取った前田だが、カレリンはあっさりとロープエスケープで難を逃れる。
これで先制のポイントは奪ったものの、前田の攻勢はこのときだけだった。
以後はずっとカレリンの独り舞台で、前田をもてあそぶかのようにマットの上に転がすと、こらえる間も与えずにカレリンズ・リフトで投げ飛ばす。
関節を極めるわけでもなく、ただヒジをつかんで仰向けの顔面に押しつけると、前田は身じろぎもできず、レフェリーから何度もギブアップをうながされた。
結果、袈裟固めで2度のエスケープを奪われた前田の判定負けで試合は終わった。

前田日明を軽々と持ち上げるカレリン
前田日明が語るアレクサンドル・カレリン
カレリンと行なった試合について前田日明は、
「バチーンッと俺がベストなタイミングでタックルで倒しに行って『もらった!』と思ったんだけど、カレリンはビクともしない。」
「タックルした瞬間、『ダンプカーと衝突したんじゃないか」と思ったぐらいの衝撃だったよ。アンドレ(アンドレ・ザ・ジャイアント 身長223cm、体重236kg)でもタックルで倒せたんだけどな」
「実際試合をして、クラッチがメチャクチャ強い。アバラの骨が折れるんじゃないかと思った。」
「えっ、こんなクラッチあるの?と思った」
「競走馬に触ったことがあるんですけど、同じ感じの筋肉」
「筋肉のつき方が軽量級の選手と同じなんですよ。ああいう体は持って生まれたものじゃないと、いくら鍛えてもそうならないでしょうね」
となどと述べ、筋肉の質の素晴らしさと体の強さを語っている。
カレリンの敗北と引退
2000年9月26日、シドニーオリンピック決勝のオリンピック4連覇を賭けた試合で、ルーロン・ガードナーに敗れた。
カレリンは世界選手権9連覇を成し遂げた後、ロシア下院選に出馬。
圧倒的な支持を集め、当選した。
しかし、下院議員になったことが仇となり、トレーニングの時間が激減し、33歳の肉体は筋肉が落ち体力も失ってしまっていた。
オリンピック4連覇を賭けた2000年のシドニーオリンピック予選リーグ初戦では「カレリンズ・リフト」はすべて空振りに終わり、試合中に喘ぐように肩で息をし、何度も苦しそうな表情を見せていた。
かろうじて決勝に進んだカレリンだったが既に疲労困憊で『霊長類最強の男』の面影は既に無かった。
この敗北を最後にカレリンはレスリングを引退。
総合格闘技への転身が噂されたが、これも否定し『霊長類最強の男』は静かにマットを下りた。
その圧倒的な戦闘力で日本でも多くの影響を与えたカレリン

カレリンにあやかり「アレクサンダー」をリングネームにしたアレクサンダー大塚

「霊長類最強の女」「女カレリン」などの異名を誇る吉田沙保里
漫画『グラップラー刃牙』にも登場するカレリン
板垣恵介の漫画『グラップラー刃牙』にカレリンをモデルにしたキャラクター『アレクサンダー・ガーレン』が描かれている。
アレクサンダー・ガーレンとは (アレクサンダーガーレンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

アレクサンダー・ガーレン

腕でマッチの火を付ける

人を天井に突き刺す

大蛇(アナコンダ)にそり投げ
実は知的で紳士的なカレリン

ロシアの国会議員を務めたカレリン
ロシア最高峰の体育学アカデミーで修士号をとり、ロシア近代文学の嚆矢プーシキンの著作と哲学書を携帯し、時間があるかぎり読み耽る。
また、イタリアのオペラ歌手パバロッティをこよなく愛しているという。
驕らず、おおらかな人柄は多くの人々を魅きつけてやまない。
将来、「ロシア大統領、アレクサンドル・カレリン」として世界に再登場することを期待する人も多い。
吉田沙保里がカレリンが持っていた世界大会12連続連覇を超える13大会連覇を記録した際に、カレリンはレスリング日本協会を通じて「13大会連続世界一を成し遂げられたのは強い精神力、忍耐力、努力と決断力によるものです」と祝福のコメントを寄せた。
引退後、現在カレリンは何をしているのか
引退後もプロレスや総合格闘技の勧誘があったと言われている。
だが、カレリンは「もともとあの種の戦いには興味はない。私が愛しているのはレスリングです。」と語り、プロのリングに再度上がることを明確に否定した。
さらに一期務めた政治家としての活動に関しても、「(政治家を続けない理由は)いくつもある。今は言うことはできない。」と否定。
「やりたいことはたくさんある。博士号もとっているし、引退しても可能性はたくさんある。」と語っていた。
そして現在、『霊長類最強の男』カレリンは故郷で子供にバスケットボールやレスリングを教えたりしながら静かに過ごしている。