吉田沙保里は、最初、おもしろいことをいって笑わす栄和人監督のことを、
「楽しい人だなあ」
と思っていたが、道場で竹刀を持って大声で、
「バカヤロウ」
と怒鳴るのをみて
「こんな怖い人だったとは・・」
と驚いた。
声がデカい上に言葉が汚く、怒ると怖い上に1人の選手につきっきりで教える栄和人監督に、初めてマットの脇で怒られたとき、吉田沙保里は、恐怖と悲しさと情けなさが入り混じり、号泣。
「練習しろ!」
といわれたが、
(こんなはずじゃない)
(お父さんとやり方が違う)
と思うと泣けてきて、涙が止まらない。
栄和人監督は、怒鳴り続けたが、吉田沙保里が泣き続けるので、離れて別の選手の指導を始めた
泣きたいだけ泣いて気持ちの整理ができて涙が止まった吉田沙保里は、マットに戻って練習を再開。
栄和人監督は、吉田沙保里の気持ちの切り替えの早さに驚いた。
一方、吉田沙保里は、栄和人監督について、
「監督は、しつこい。
ただのしつこさではなく、ものすごくしつこい。
お父さんは、そのときは厳しいけど、後はあっさり。
そこは違う」
と最初は嫌いだったが、教え子が勝つと誰よりも早く泣いてしまう栄和人監督をみて、
「勝たせたいという思い、愛情は一緒」
「女性以上に細かくて神経質だから弱点を見つけることができる」
と思うようになった。
中京女子大学レスリング部の練習は、まず朝の6時40分にランニングとトレーニングを1時間半行い、汗をかいた後、朝食をとる。
そして平日は、16時半から、土曜日は15時から、2、3時間、マットで練習。
大学に入った当初、吉田沙保里は、全体練習以外、自主トレーニングも自主練習も、まったくしなかった。
練習後は、すぐシャワーを浴び、自主的に練習やトレーニングに励む先輩をみると
「エッ、まだやってるんですか?
もう帰りましょうよ」
と悪の道に誘った。
また吉田沙保里は、朝食は抜き、夕食も、ご飯を2口程度食べるくらいで、その代わりに大好きなお菓子を好きなだけ食べるという食生活だった。
そのために高校時代、よく風邪を引いたり発熱したりして体調を崩し、試合ではスピードはあるがスタミナがなく、前半、リードしていても後半、逆転負けすることもよくあった。
吉田沙保里に、
「ねえねえ(姉姉)」
と慕われていた先輩、岩間怜那は、
「本当に努力していなかったです。
普通、負けても、あれだけやってきたんだから仕方ないといわれますよね。
でもあの子は、負けたら、やっぱりなといわれることがいっぱいあった。
それでも強かった」
吉田沙保里は、大学1年生になった直後、4月の初めに行われたジャパンクイーンズカップ56kg級は、準決勝敗退。
4月末に行われたJOC杯ジュニアオリンピック58kg級では、優勝。
8月の初め、世界ジュニア選手権58kg級でも、優勝し、2連覇。
しかし8月末、全日本学生選手権56kg級では、決勝戦で山本聖子に負け、2位になった。
「10㎝近く背が高く、長い手足と抜群の身体能力を持ち、レスリングをするために生まれてきたような聖子さんにどうしても勝てませんでした。
1999年から世界選手権3連覇中の聖子さんにとって私など眼中になかったでしょう」
山本聖子に5連敗した直後の9月、国際オリンピック委員会(IOC)が、3年後に行われるアテネオリンピックで女子レスリングを正式種目に採用すると発表。
子供の頃からの夢が現実の目標になった吉田沙保里は、一気にモチベーションを上げた。
さらにずっと、
「厳しい練習をしているのに(吉田沙保里)の身体が締まらない」
と思っていた栄和人監督が、寮に行ったときに大量のお菓子が入った段ボールを発見。
山本聖子に5連敗となった吉田沙保里に、劣っているパワーを強化するために、
「お菓子禁止」
「1日5食」
を厳命。
また
「聖子ちゃん」
から
「山本選手」
に呼び方を改めさせた。
いきなり大好きなお菓子が禁止になって1日5食となった吉田沙保里は、
「もう食べられません」
と訴えても、
「食べるのも練習だ」
と許されず、泣きながら食事。
最初は主食だったポテトチップスをベッドの下に隠しながら、1日5食とウエイトトレーニングに取り組んだ。
すると明らかに体が変化し、スタミナもパワーもアップし、さらに免疫力も高まり、病気をしなくなった。
5連敗から1ヵ月後の10月、宮城国体のエキシビションで山本聖子と対戦し、初勝利。
しかしオリンピックに出るためには、まだ
「雲の上の存在」
である山本聖子を公式戦で倒さなければならない。
これまで以上に必死に練習し、1日5食とウエイトトレーニングによる肉体体改造を取り組み続けた吉田沙保里は、2ヵ月後の12月、全日本選手権56㎏級の準決勝で、山本聖子と対戦。
得点で上回っていた吉田沙保里は、
「このままいけば勝てる」
と思って守りに入った瞬間、攻められてしまい、残り20秒で逆転負け。
試合が終わり、マットを降りたとき、栄和人監督がかけよってきて、
「パーン」
と平手打ちをされた。
吉田沙保里が栄和人にビンタされたのは、この1度だけで、その痛さよりも負けた悔しさで号泣。
「たとえ負けたとしても、攻めて負けたならいい。
負けないように守りに入った自分が許せなかった」
続く3位決定戦で、伊調馨(中京女子大学付属高校)に勝利したが、悔しさは消えず、その後も、
「聖子さんに勝つ!!」
と執念を込めて練習。
その結果、この後、6年余り(2008年まで)、国内でも海外でも1回も負けることなく119連勝し、「霊長類最強の女」となっていった。
大学2年生の4月、ジャパンクイーンズカップ55kg級の決勝戦で山本聖子と対戦した吉田沙保里は、まずタックルでポイントを取った後、
「スキをみせたらやり返される」
という必死の思いで戦い、公式戦初勝利。
その瞬間、マットの上で飛び上がった。
6月、カナダカップ55kg級、優勝。
8月、全日本学生選手権59㎏級、優勝(55㎏級で優勝したのは山本聖子)
10月、20歳の誕生日の翌日、初めてのシニアの国際大会、韓国・釜山で行われたアジア大会に出場した吉田沙保里は、
「これはもう、勝つしかない」
と得意のタックルで攻めまくり、相手に1ポイントも与えずに決勝戦に進出。
李ナレ(韓国)にバックをとられて先制されたものの、その後は何もさせず、1分39秒、タックルで10ポイント差をつけてテクニカルフォール勝ちし、マットの上でガッツポーズした後、バク転。
全4試合にかかったトータル時間は、7分49秒という圧倒的な強さで金メダルを獲得した。
11月、ギリシャのハルキダで行われた世界選手権の55㎏でも優勝。
日本女子レスリングは、63㎏級の伊調馨(中京女大付高)、72㎏級の浜口京子(浜口ジム)も世界チャンピオンとなり、3階級を制した。
12月、全日本選手権55㎏級で優勝。
決勝戦の相手は、昨年と一昨年の51㎏級の世界チャンピオンで大学の2年先輩である坂本日登美。
女子レスリングは7階級あったが、アテネオリンピックでは、48kg級、55kg級 63kg級、72kg級の4階級しか行われないため、坂本日登美は、階級を上げた。
吉田沙保里は、
「先輩は下の階級から上がってきた。
だからもともと上の階級にいる私が勝たなければいけない」
と自分にいい聞かせ、第1ピリオド、いきなり得意のタックルで倒し、25秒でフォール勝ち。
坂本日登美のセコンドに入っていた栄和人監督は、
「坂本も肩の筋肉が付き、いい勝負をするかなと思ったが、吉田のスピードがすごかった。
タックルの切れ味は世界一だろう」
2003年、大学3年生の4月、ジャパンクイーンズカップ55kg級の決勝で山本聖子と対戦。
序盤、正面タックルで持ち上げて3点先制。
グラウンドで、ネルソン(うつ伏せの相手の脇と首を極めて90度以上返す)で2点を加え、5-0とリード。
山本聖子もバックを奪って1点を返した。
第2ピリオド、吉田沙保里の片足タックルがもつれて、両者2点。
続いて吉田沙保里が山本聖子のタックルをかわして、バックをとって1点を追加。
8-3で、吉田沙保里が判定勝ち。
「初めから攻めていけたのがよかったと思います。
先取点を取れたのが大きかったですね。
最初の3点タックルは狙っていたわけではありませんが、うまくパッと入れたときに場外の線が見えたので力を上に持っていったらうまく担げました。
筋トレの成果が出て、パワーがついてきたと自分でも感じます。
引きつけたり、相手の力をかわすことができるようになりました。
聖子さんに組まれても焦らず、冷静に戦えました。
課題はグラウンドでの抑え。
うまくきていると思いますので、もっと上を目指して練習します」
(吉田沙保里)
「決勝戦は自分から攻められませんでした。
吉田選手には負け続けているので、何も言えません」
(山本聖子)
9月、ニューヨークで行われた世界選手権には、吉田沙保里が55㎏級、山本聖子が59㎏級で出場し、2人とも圧倒的な強さで優勝。
(吉田沙保里は、2連覇)
10月、東京の代々木第2体育館で、世界選手権の上位7カ国(日本、アメリカ、カナダ、ロシア、中国、ドイツ、ギリシャ)7階級7人による団体戦「2003年女子レスリングワールドカップ」が開催。
この大会2連覇中の日本は、
48kg級 坂本真喜子
48kg級 山本美憂
51kg級 伊調千春
51kg級 服部担子
55kg級 吉田沙保里
59kg級 山本聖子
59kg級 岩間怜那
63kg級 伊調馨
63kg級 正田絢子
67kg級 斉藤紀江
67kg級 坂本襟
72kg級 浜口京子
というメンバーで挑み、圧倒的な強さで5連勝した後、最終戦で同じく全勝のアメリカと対戦。
坂本真喜子、伊調千春が判定負けした後、吉田沙保里が登場し、終始、攻め続け、終了1秒前にフォール勝ち。
山本聖子も勝利し、2-2に追いついた。
続く伊調馨もアメリカのエース、サラ・マクマンに勝って、3-2と逆転。
しかし斉藤紀江と浜口京子が負け、日本は3-4で銀メダル。
吉田沙保里は、5試合に出場し、5勝0敗4フォール勝ちだった。