万年Bクラスだった広島カープの意識を改革した外国人監督ジョー・ルーツ

万年Bクラスだった広島カープの意識を改革した外国人監督ジョー・ルーツ

今では見慣れた風景になったのが、球場全体が赤く染まったスタジアム。広島東洋カープの本拠地マツダスタジアムのみならず、ビジターの球場でも赤く染まることは珍しくないんです。いったい、いつから何故こんな光景が見られるようになったのでしょうか。それは、外国人監督ジョー・ルーツが広島に来てから始まったのです。


君たちは優勝できる

ジョー・ルーツが監督に就任して初のキャンプ、球場を訪れた報道などの関係者は、選手を一目見て誰もが驚きました。グラウンドにいる選手たちが、全員赤い帽子をかぶっているのです。今でこそ、赤をメインカラーにしたユニホームは珍しくありませんが、当時の選手は、チンドン屋みたいで恥ずかしいと思う選手も少なくなかったようです。

キャンプを前にして行われたミーティングにおいて、部屋に入ってきたジョー・ルーツの頭には赤い帽子が被られていました。まず選手たちに、今年からこれでいくと伝えます。そして赤は燃える色、闘志を全面に押し出してプレーするようにと強い口調で話したのです。更に力強く、私たちが優勝するんだと、大声で吠えたそうです。

そして、こんな話もします。カープには25年間の球団史があることは理解している。しかし、君たちは1度でも優勝したのか?そんな過去なら捨ててしまいなさい。今年から、新しい球団史が始まるんだ。君たちは優勝できると。

そこにいた選手・関係者の誰もが、唖然としたそうです。それも無理もないことかも。カープは前年は最下位だったし、3位になったのは68年のたった1度だけで、他の年度は全てBクラスだったのです。しかし、それからのルーツ監督は、事あるごとに「優勝」という言葉を口にだすようになりました。

チームには社会的な使命がある

この年、ルーツ監督のたっての要請で、日本ハムから闘将大下剛史を獲得し、チームの司令塔として働いてもらうため、遺跡早々にも関わらず主将に据えたのです。その大下さんが言いいます。「消極的なプレーには、非常に厳しかった。ルーツの言葉で強く印象に残るのが、選手諸君には広島の地域社会を活性化させる社会的な使命があるというフレーズ。熱い人でしたよ」。

広島という地は原爆で焼野原になって、人も建物も何もなくなってしまったところ。広島カープという球団は、そんな広島の人の希望として誕生した球団であることを、ルーツ監督は球団内の誰よりもよくわかっていたのでしょう。広島の皆さんのために、優勝しないといけないと心に期して来日したのではと思ってしまいます。

チームカラーとした赤い色は、ルーツがコーチとして所属していたメジャーリーグのインディアンスのチームカラーでありました。ルーツの考えでは、ストッキング・アンダーシャツ・胸のロゴマークも赤にしたかったそうですが、予算不足と時間が間に合わず、2年後からとなったそうです。

短命ではあったけど

そんなルーツ監督は、当時の広島カープには、最高の人材だったに違いありません。しかし、残念なのがルーツ政権があまりにも短命に終わったことです。甲子園球場で行われた、75年4月27日の阪神戦ダブルヘッターの第1試合でのこと。カープの佐伯投手が掛布選手に投げた球を、主審がボールの判定をしたことで怒ったルーツ監督を、主審が退場処分にしたのです。しかし、ルーツはその退場を拒否しました。
 
この事態に、広島の重松球団代表が説得に入ったのですが、ルーツはそのことにも異議を唱えたのです。第2試合の前に行われたミーティングに集まった選手に向かってルーツは、今後の指揮を執ることはもうないと言い、球場を去ったのでした。グラウンドの全権は監督にある。これは契約にも書かれているのに、代表が説得に出てきたのは権限の侵害であると言うのがジョー・ルーツの主張でした。そして退団が決まった際、後任は古葉監督をと強く推薦したのもルーツ監督だったんですよ。

闘う赤色は未だ健在

広島カープは、とりあえず監督代行を野崎泰一が務め、その後正式に古葉竹識監督の誕生となりました。そして、ジョー・ルーツが言った通り、見事に初優勝をするのです。そして、赤ヘルを全国的に決定づけたのは、この年のオールスター戦だったのではないでしょうか。甲子園球場での第1戦、ルーツの闘志を継承した3番山本浩二・6番衣笠祥雄が、共に2打席連続でアベックホームランを放ったのです。更には、エース外木場義郎の剛腕も唸っります。この広島勢の活躍を見て、誰かが「赤ヘル軍団」という名を付けたのでしょう。

もし、ジョー・ルーツが監督を続けていたら、どうなっていたのでしょうか。今以上に球場は燃えたのではないでしょうか。広島の皆さんのためにと、激しい闘志で闘う姿を想像するだけで楽しいですね。しかし、選手の意識を高めるチームカラーの赤は、確かにしっかりと根付いています。帰国後、少年たちに野球を教えていたジョー・ルーツでしたが、脳卒中と糖尿病を患い2008年10月20日に亡くなりました。旧広島市民球場を使用する最後の年とも重なり、熱血的な監督と市民が熱狂した球場が同時に最期を迎えたというのも、何か因縁めいたものを感じますね。

ジョー・ルーツの意識改革

万年Bクラスに甘んじていたカープが、初優勝をしたのが昭和50年のこと。そして負け犬根性が染み付いていた、選手の考え方を見事にチェンジさせたのがジョー・ルーツ監督でした。カープの仕事は、応援してくれるファンのために勝って喜んでもらうこと。勝つことで地域を活性化できると、ルーツ監督は話しています。

ジョー・ルーツの意識改革では、勝つために何をすべきかを徹底的に叩き込んだのです。行動の始まりは、全て勝つために行う。勝つためにいい練習をして、勝つためにいいミーティングをする。ルーツ監督の指導は、徹底したものでした。

次第にルーツ監督の情熱が伝わってきたキャンプ紅白戦の後くらいから、選手同士でも勝つためのプレイについて話し合いが行われるようになったそうです。お客さんに喜んでもらえるプレーを、選手自身が考えるようになってからというもの、急激に野球が強くなっていきました。

これまでなら、試合に負けると「今日も負けた」でしたが、選手の意識は「今日は勝てなかった」に変わっていったのです。「負ける」という言葉はなくなり、プロは勝たなければいけないという自覚が選手全員に出てきたのでした。

見事に花開いたジョー・ルーツの意識改革

ルーツ監督が、もう一つ選手を奮い立たせたことがあります。それは、ベンチで控えている選手にも、スポットを当てたことです。相手投手の配球を読んだりクセを見抜いて選手に伝え、打席に入った選手がヒットを打つと、打った選手と同等の評価を与えたのです。これは例の一つですが、ベンチにいる選手も評価することで、一気に全員がやる気になったのは間違いのないところでしょう。

その一方で、全力疾走しなかったり必要なスライディングをしない選手、更には集合時間に遅れるなど、誰でもできることをしなかったら罰金10万円が科されました。こうして昭和50年、広島県民が泣きに泣いた歓喜の初優勝を飾ることになったのです。この優勝は、ジョー・ルーツの意識改革が見事に花開いたと言っても良いのではないでしょうか。

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