USAフォー・アフリカ
1985年にアメリカのスーパースター達が、当時深刻化していたアフリカの飢餓救済のためのチャリティーソングである「we are the world」をリリースするために集まったプロジェクトが、USAフォー・アフリカです。
このプロジェクトは、1984年イギリスのアーティストであるボブ・ゲルドフが、アフリカの飢餓
救済のための呼びかけで結成した「バンド・エイド」による、チャリティー・ソング「ドゥ・ゼ
イ・ノウ・イッツ・クリスマス」のリリースや世界同時ライブなどに触発されて結成されました。
構想は、ハリー・ベラフォンテ。
ハリー・ベラフォンテから声がかかったのが、ライオネル・リッチーです。
そこから、マイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー、クインシー・ジョーンズらに声
がかかり、「We are the world」の作詞・作曲をマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチー
の二人が担当し、プロデュースをクインシー・ジョーンズが担当しました。
ライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソン、スティービー・ワンダー、そしてクインシー・ジョーンズによってデモテープが作られ、彼らによってたくさんのアーティストへデモテープが
配られ、プロジェクトに賛同し無償で参加したアーティストは、45名となりました。

ハリー・ベラフォンテ
ハリー・ベラフォンテ - Wikipedia
ハリー・ベラフォンテ
歌手、俳優、社会活動家。
「バナナ・ボート」などのヒット曲や「ウィ・アー・ザ・ワールド」を送りだしました。
アメリカのフォークリヴァイヴァル運動を支えた一人であり、多くの民謡を取り上げています。

マイケル・ジャクソン
マイケル・ジャクソン - Wikipedia
マイケル・ジャクソン
シンガーソングライター、ダンサー。
史上最も成功したエンターテイナーで、20世紀以降のポピュラー音楽に多大なる影響を与えた
人物の一人であり、「キング・オブ・ポップ」と称されています。
音楽作品セールスは、全世界で3億枚から3億5,000万枚。
13のグラミー賞(ノミネートは38回)を含む750以上の賞を受賞し、史上最も多くの賞を受賞
したアーティストとしてギネス世界記録に認定されています。

ライオネル・リッチー
ライオネル・リッチー - Wikipedia
ライオネル・リッチー
シンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーです。
全世界アルバムトータルセールスは、1億枚以上を誇ります。
代表的曲「エンドレス・ラブ」など。

スティーヴィー・ワンダー
スティーヴィー・ワンダー - Wikipedia
スティーヴィー・ワンダー
シンガーソングライター、ミュージシャン、音楽プロデューサー。
ボーカルのほか、ハーモニカ、クラヴィネットなど様々な楽器を演奏するマルチ・インストゥル
メンタリストでもあります。
30曲以上のU.S.トップ10ヒットを放ち、計22部門でグラミー賞を受賞、最も受賞回数の多い男性
ソロ・シンガーです。
A1メロディーのリード・ボーカル
A1メロディーのリード・ボーカルを担当したのは、
ライオネル・リッチー
スティーヴィー・ワンダー
ポール・サイモン。

ポール・サイモン
ポール・サイモン - Wikipedia
ポール・サイモン
シンガーソングライター。元「サイモン&ガーファンクル」のメンバーで、フォーク・
ロック・ミュージシャンとして一世を風靡しました。
ソロとしては、ラテン、レゲエ、アフリカ音楽など第三世界の音楽を、早い段階から積
極的に取り入れています。2006年、米タイム誌は「世界で最も影響力のある100人」の
一人に、様々な政治家や哲学者、科学者らと共に、ミュージシャンのポール・サイモン
を選んでいます。
1968年のグラミー賞では、史上最多となる13の賞を受賞。
A1’メロディーのリード・ボーカル
A1'メロディーのリード・ボーカルを担当したのは、
ケニー・ロジャース
ジェームス・イングラム
ティナ・ターナー
ビリー・ジョエル
の4人です。

ケニー・ロジャース
ケニー・ロジャース (カントリー歌手) - Wikipedia
ケニー・ロジャース
カントリー・ミュージック界の重鎮です。
1970年代から1980年代にかけてのアルバムが100万枚以上、特に1978年作品「ザ・ギャ
ンブラー」は500万枚以上のセールスを記録しました。

ジェームス・イングラム
ジェームス・イングラム - Wikipedia
ジェームス・イングラム
ミュージシャン、シンガーソングライター、音楽プロデューサー。
セッション・ボーカリストとしては、クインシー・ジョーンズの曲「ベイビー・カム・トゥ
・ミー」で初の全米1位を記録しています。
マイケル・マクドナルドの曲「ヤ・モ・ビー・ゼア」はグラミー賞も受賞しています。

ティナ・ターナー
ティナ・ターナー - Wikipedia
ティナ・ターナー
歌手、ダンサー、女優。
世界中で「ロックンロールの女王」とも呼ばれています。また「最も成功した女性ロック
・アーティスト」と呼ばれ、数多くの賞を受賞しています。
ステージ上でのその精力的なパフォーマンスと力強い歌声、そして彼女の経歴の長さは非
常に有名です。
女優としても成功を収めています。
1975年のロック・ミュージカル「トミー」を始め、映画「マッドマックス/サンダードー
ム」、「ラスト・アクション・ヒーロー」などがあります。

ビリー・ジョエル
ビリー・ジョエル - Wikipedia
ビリー・ジョエル
シンガーソングライター、歌手、ピアニスト、作曲家。
ポップなメロディと、都会的なアダルト・コンテンポラリー・サウンドで、1970年代後半
から1990年代前半にかけてヒットを連発し、全世界で1億5000万枚以上のレコード・セー
ルスを記録しています。
代表曲は、「ピアノ・マン」、「素顔のままで」、「アップタウン・ガール」、
「ストレンジャー」、「オネスティ」など。
B1メロディーのリード・ボーカル
B1メロディーのリード・ボーカルは、
マイケル・ジャクソンとダイアナ・ロス の2人です。

ダイアナ・ロス
ダイアナ・ロス - Wikipedia
ダイアナ・ロス
アメリカで最も成功した黒人女性歌手の一人であり、ブラックミュージック界の大御所
です。
元ザ・スプリームスのメンバーでもあります。
代表曲は、「愛はどこへ行ったの」「ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラヴ」「恋
はあせらず」などです。
A2メロディーのリード・ボーカル
A2メロディーのリード・ボーカルは、
ディオンヌ・ワーウィック
ウィリー・ネルソン
アル・ジャロウ
が担当しています。

ディオンヌ・ワーウィック
ディオンヌ・ワーウィック - Wikipedia
ディオンヌ・ワーウィック
アフロアメリカンのポップス歌手。バート・バカラック作品を多数歌唱したシンガー
です。代表曲は、「サンホセへの道」、「恋よ、さようなら」、「デ・ジャ・ヴ」、
「愛のハーモニー」などです。

ウィリー・ネルソン
ウィリー・ネルソン - Wikipedia
ウィリー・ネルソン
シンガーソングライター、ギタリスト、俳優。
デビュー当初は、カントリー・ミュージック・ミュージシャン、作曲家でしたが、
ヒッピー・ムーブメントに強い影響を受け、同時にさまざまな音楽性を吸収したこと
で、「アウトロー・カントリー」と呼ばれています。
代表曲の「Always On My Mind」は、スズキ・カルタスのCMに使われています。

アル・ジャロウ
アル・ジャロウ - Wikipedia
アル・ジャロウ
ジャズ・ボーカリスト。ポップ分野でも活躍。
広い声域にソフトかつ伸びやかな歌声と卓越したボーカル・テクニックを持ち、中でも
スキャットは特技ともいえるほど優れた個性を確立した歌手です。
代表曲「ライヴ・イン・ヨーロッパ」や「風のメルヘン」など。
B2メロディーのリード・ボーカル
B2メロディーのリード・ボーカルは、
ブルース・スプリングスティーン
ケニー・ロギンス
スティーヴ・ペリー
ダリル・ホール。

ブルース・スプリングスティーン
ブルース・スプリングスティーン - Wikipedia
ブルース・スプリングスティーン
ロックミュージシャン、シンガーソングライター。
ニックネームは「The Boss」。アメリカのロック界を代表する重鎮として世界的な知
名度を誇り、アメリカで6400万枚、全世界で1億3500万枚以上のレコードセールスを
記録しています。

ケニー・ロギンス
ケニー・ロギンス - Wikipedia
ケニー・ロギンス
ミュージシャン。
日本では、70年代前半にロギンス&メッシーナの曲が数曲ヒットし、「フットルース」
や「デンジャー・ゾーン」などの映画主題歌も1980年代にヒットしました。

スティーヴ・ペリー
スティーヴ・ペリー - Wikipedia
スティーヴ・ペリー
歌手、ミュージシャン。ロックバンドジャーニーの元ヴォーカリストです。
退行性骨関節疾患を患ってからは、アニメ映画「魔法の剣 キャメロット」のオリジナル
サウンドトラックにおける主題曲の競演や、映画「モンスター」のサウンドトラックの
プロデュースも手掛けています。

ダリル・ホール(左側)とジョン・オーツ(右側)
ダリル・ホール&ジョン・オーツ - Wikipedia
ダリル・ホール
ブルー・アイド・ソウル・デュオのダリル・ホール&ジョン・オーツのメンバー。
ボーカル、ギター、キーボード担当。
代表曲は、「リッチ・ガール」、「イッツ・ア・ラーフ」、「ウェイト・フォー・ミー」
など多数。
キャリア40年超で、TOP40ヒット29、TOP10ヒット16、No1ヒット6、プラチナアルバ
ム8、ゴールドアルバム6、ゴールドシングル6。総売上枚数は推定4000万枚以上の実績を
残しています。
Cメロディーのリード・ボーカル
Cメロディーのリード・ボーカルは、
マイケル・ジャクソン
ヒューイ・ルイス
シンディ・ローパー
キム・カーンズ
の4人が歌唱しています。

ヒューイ・ルイス
ヒューイ・ルイス - Wikipedia
ヒューイ・ルイス
ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのリーダーであり、ボーカリスト。
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に、「パワー・オブ・ラヴ」を提供した
ことは有名です。
また、映画「ビッグ」においては、アルバム「ベイエリアの風」の収録曲である
「ワーキン・フォー・リヴィン」が使用されています。

シンディ・ローパー
シンディ・ローパー - Wikipedia
シンディ・ローパー
シンガーソングライター、女優。グラミー賞、エミー賞、トニー賞の受賞経験があり
ます。
ファースト・シングル「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」がヒット・チャー
トに急上昇して第2位に輝き、セカンドシングル「タイム・アフター・タイム」は全米第
1位。サードシングル「シー・バップ」は第3位、「オール・スルー・ザ・ナイト」が第5
位とデビューアルバムから4曲連続トップ5入りした初の女性ソロ・アーティストでもあ
ります。

キム・カーンズ
キム・カーンズ - Wikipedia
キム・カーンズ
歌手。「ベティ・デイビスの瞳」のヒットで知られています。
ホンダ・タクト(スクーター・初代)のテレビCM曲に採用されている曲でもあります。
フォークグループのニュー・クリスティ・ミンストレルズのメンバーとしてデビューし、
キム&デイヴ名義で歌った「ノーボディー・ノウズ 」が映画「バニシング・ポイント」で
エンディングの曲として採用されています。
リピートメロディーのリード・ボーカル
最後に、
<repeat1メロディー> ボブ・ディラン
<repeat2メロディー> レイ・チャールズ
<repeat3メロディー> スティーヴィー・ワンダー、ブルース・スプリングスティーン
<repeat4メロディー> ジェームス・イングラム、レイ・チャールズ
となっています。

ボブ・ディラン
ボブ・ディラン - Wikipedia
ボブ・ディラン
ミュージシャン。
代表曲は、「風に吹かれて」「時代は変る」「ミスター・タンブリン・マン」
「ライク・ア・ローリング・ストーン」「見張塔からずっと」「天国への扉」
など他多数です。
1962年のレコードデビュー以来半世紀以上にわたり多大なる影響を人々に与えてきた
ミュージシャンです。

レイ・チャールズ
レイ・チャールズ - Wikipedia
レイ・チャールズ
シンガーソングライター、ピアニスト。
盲目というハンディを背負いながらも、R&Bやジャズ、ゴスペルなどのブラックミュー
ジックを、自らのルーツを再発見するような音楽活動の中で、「ソウルミュージック」
の著名歌手の一人となりました。ピアノを弾きながら歌う姿が有名であるが、サックス
をプレイすることもありました。
その他の参加アーティスト一覧(50音順)
リード・ボーカル以外のコーラス等に次のアーティストが参加しています。
ウェイロン・ジェニングス
ジェフリー・オズボーン
ジャッキー・ジャクソン
ジョン・オーツ
シーラ・E
スモーキー・ロビンソン
ダン・エイクロイド
ティト・ジャクソン
ベット・ミドラー
ポインター・シスターズ
ボブ・ゲルドフ
マーロン・ジャクソン
ラトーヤ・ジャクソン
ランディ・ジャクソン
リンジー・バッキンガム
メロディーライン毎に紹介していきましたが、わかりづらいので次の動画をご覧ください。
歌唱ではなく演奏で参加したミュージシャン
演奏に携わったミュージシャンは、次のメンバーとなっています。
シンセサイザー に、 デヴィッド・ペイチ
シンセサイザーとプログラミング に、 マイケル・ボーディッカー
パーカッションに、 パウリーニョ・ダ・コスタ
ベース に、 ルイス・ジョンソン
キーボードに、 マイケル・オマーティアンと グレッグ・フィリンゲインズ
ドラムス に、 ジョン・ロビンソン
となっています。

デヴィッド・ペイチ
デヴィッド・ペイチ - Wikipedia

ルイス・ジョンソン
ルイス・ジョンソン (ベーシスト) - Wikipedia

グレッグ・フィリンゲインズ
グレッグ・フィリンゲインズ - Wikipedia
締めくくりに
45名の豪華なアーティストたちが集結し、作成した「We are the world」は、1985年当
時、アメリカ国内だけでシングル400万枚、アルバム300万枚を売り上げました。
最終的にはアメリカだけで750万枚のシングル(7インチと12インチ版が用意された)が
売れ、シングルとアルバム、ビデオの合計で6300万ドルの収入となり、すべての印税は
チャリティとして寄付されたのです。
また、レコーディング時にドキュメンタリーも制作され、ビデオになり全世界で販売さ
れました。2004年には20周年記念DVD-Videoとして「We Are The World THE STORY
BEHIND THE SONG」がリリースされ、トレーナーやTシャツなどの関連グッズも販売
されたのです。
そして、この曲、公のコンサートでフルコーラスバージョンが歌われたのは、1985年の
「ライブ・エイド」、2001年のマイケル・ジャクソンのソロ活動30周年記念コンサート、
そして2009年7月7日のマイケル・ジャクソン公開追悼式の3回だけなのです。