板垣恵介の格闘技史2  板垣死すとも格闘ドリームは死せず

板垣恵介の格闘技史2 板垣死すとも格闘ドリームは死せず

「男に生まれたからには1度は最強を目指す。最強に憧れないなんて男じゃない。最強を夢みない男なんていない。みんないつかあきらめてしまうだけなんだ。だからこそみんな強さに憧れるんだ」そういう板垣恵介の真っ直ぐな人生と共に20世紀の格闘技史を振り返る。


漫画家に

1987年、板垣恵介は、漫画家になろうとと小池一夫主催の「劇画村塾」に入塾した。
「最強になりたかった。
最強を目指し始めたボクシングは残念ながら辰吉のような才能には恵まれてなかった。
自分には何かあるのか。
必死に考えた。
ガキの頃から最高の趣味が1番才能あるものかもしれない。
それは絵を描くこと」
1989年、「メイキャッパー」でデビュー。
小池原作の「傷追い人」の主人公;茨城圭介と妻:惠子から、ペンネームを「板垣恵介」とした。
1991年、週刊少年チャンピオンで「グラップラー刃牙」の連載が開始した。
「これまですっと考えていた。
大山倍達、モハメド・アリ、ジョージ・フォアマン、カール・ゴッチ、アントニオ猪木、・・・
誰が1番強いんだ。
最強を追いかけ最強の男を描いてみたい」

中村日出夫

「グラップラー刃牙」の連載が始まった頃
「誰か会ってみたい人がいたら取材できるよう段取りします」
と担当者にいわれ、板垣恵介は迷わず答えた。
「中村日出夫」
中村日出夫は、朝鮮半島の平壌で生まれた。
あまりのワンパクぶりから山寺に預けられ武道家だった叔父に武術を教えられた。
14歳で日本へ渡り、京都の平安中学に入学。
通りがかった寺の境内で稽古していた空手に興味を覚え、手ほどきを受けた。
その後、京都第三高等学校へ入学すると共に武道専門学校(武専)へ入り本格的に空手を学んだ。
武専は、日本武道を統括していた大日本武徳会に付属する武道の教師を養成する組織だった。
軍隊とも不可分の関係にあり、特殊部隊の兵士の養成所としての側面もあった。
そのため
「弾が尽き、銃剣が折れ、それでも目の前にいる敵を倒す」
とその稽古は熾烈を極め、修行で死亡事故が起こっても
「ウチの息子が情けなくてすいませんでした」
と遺族が謝った。
中村日出夫はそんな武専の修行だけでは足りずに、さらにむちゃむちゃな自主鍛錬を行った。
山ごもりを行ったり、雪深い京都から滋賀県の琵琶湖まで走り、分厚い氷を叩き割り、20分の水浴し、また走って帰ったり・・・
その握力は青竹を握り割り、4mmの鉄線を引きちぎった。
肉体だけでなく勉強も優秀で、京都大学法学部にも合格した。
武専では20歳にして指導的立場となり、30歳で六段錬士を授与された。
終戦後(1947年)、山梨県甲府へ移り、土木業を営みながら道場:修得館を開設。
1日10時間にも及ぶ猛稽古が行われた。
そして全国に先駆けて山梨県空手道連盟を結成し初代会長に就任。
連盟結成を記念して第1回空手演武大会が行われた。
この演武会には、大山倍達、金城裕、藤本貞治、翌年の第2回大会には、金城裕、藤本貞治、山口剛玄、中山正敏、金澤弘和など大物空手家が流派を超え、集まっていた。
そこで中村日出夫は素手による「垂木切り」を行った。
「垂木切り」は、短い角材を持たせ、スタスタと近づき、いきなり正拳、手刀、蹴りなどを繰り出す。
するとその瞬間、角材はまさにスパッと切れた。
さらに2つに折れた角材を重ねて持たせ再び4つに切った。
ある日、中村日出夫は、木でも切ってみようと思い、大木の枝を毎日打ち続け、3年かけて切る事に成功したという。
角材の持ち役をした者は
「ほとんど衝撃を感じなかった」
という。
中村日出夫によると、
「とにかくスピードが大事」
で、ビールやサイダーを飲むときも栓抜きを使わず手刀で栓を飛ばした。
1968年、東京へ居を移した中村日出夫は、
「空手の本質を拳に求め、拳の道を全うする」
という意味で、自己の空手道を「拳道」と命名し、道場:「拳道會」という小さな道場をつくった。

中村日出夫は
「空手は空手であり流派などいらない」
といい、生涯、小さな道場に留まり自流は立ち上げなかった。
売名行為も嫌い、メディアの露出も極端に少なかった。
中村日出夫は、空手の全国的な連合組織をつくるために
「各流派の代表が試合をして勝った流派、一番強い人に合わせていきましょう」
と提案した。
誰も賛同しない中、1人だけ
「やりましょう」
といったのは、大山倍達だった。
中村日出夫は、暴力団とモメた人に頼まれたりすると単身、素手で暴力団事務所に行き、相手が話し合いに応じずかかってくれば血祭りに上げた。
ヤクザ18人くらいに囲まれたときもあったが全員伸ばしてしまった。
報復を狙うヤクザをみつけたら絶対に逃げないで、逆に相手のほうにいき
「俺を襲うんだったらいつでも来いよ」
と笑いながら声を掛けた。
「こそこそ逃げていると絶対やられます」
かつて1日200本も吸うヘビースモーカーだった。
これは人体への影響を検証するためだったが、部屋がヤニで真っ黒になり注意されると
「では辞めよう」
といい、ピタリと辞めた。
61歳のときに喉にガンができて、医師に手術を勧められたが、
「(声帯を切除して)声が出なくなると指導に差し障る」
と拒否。
10cmほどの針金の先を釣り針のように曲げて、火で真っ赤に焼き、喉に突っ込み、手探りでガンを焼き切り、ウイスキーでうがいをして消毒。
これを週1回×12回行い完治させ、医師を驚愕させた。
「振り下ろされた拳に魂がこもる時、それはまさしく鉄拳となる」
中村日出夫は、体と心が、技を使うときにどういう働きをするべきかということを徹底的に鍛えた。
その技術と深い精神性は驚異的だった。

実際に中村日出夫と対面した板垣恵介は、まずその大きくて太くて、コロコロとした手が印象的だった。
(これで箸は持てるのか?)
そして慇懃な態度や自ら咽頭を焼いたためしゃがれた声にも本物を感じた。
「今日はお土産を持っていっていただこうと思いまして・・・」
中村日出夫はカバンから垂木を出した。
「持ってくれますか?」
「いえ、ボクは試し割り、持った経験ないんで・・」
「いや、落とさんように持ってくれたらいいから・・・」
「・・わかりました」
板垣恵介が垂木を持つと、斜め前に中村日出夫は立った。
そしてウォーミングアップもなにもせずに
「ハァー」
息を吐き出し腕を振った。
「シュッ」
「サクッ」
垂木は切れた。
折れたのではなく切れた。
板垣恵介は切れていない垂木をもらって帰った。
コンクリートの階段に立てかけ踏んでみたがビクともしなかった。
何度蹴ってもダメなので、底が硬いブーツに履き替え、助走をつけて跳び上がり踏みつけた。
「メキッ」
垂木にヒビが入り、少しだけ曲がった。
「拳が角材に当たった瞬間、コッと乾いた音がしたかと思うと木が切れていた。
後に専門家に問い合わせたところ
『それは大きな力を持った物体が高速で貫通した時独特の現象だ。
本来人間の出せるスピードではない』
と説明された」
「底の厚いブーツで思い切り踏みつけてようやく少し曲がるぐらいの硬い角材が、背広を着たまま準備運動もせずに放った手刀の一撃で簡単に折れた」
「一番分厚い手であった格闘家であり、あれを超える格闘家は相撲の朝青龍に会うまで会ったことも無かった」
板垣恵介は、理想の空手家を「愚地独歩」として表現した。
それは大山倍達と中村日出夫を融合させたものである。

K-1

1993年4月30日、代々木第一体育館で新しい格闘技イベントが誕生した。
打撃系格闘技世界最強の男はいったい誰なのか?
「空手」「キックボクシング」「拳法」「カンフー」など代表的な立ち技・打撃系格闘技の頭文字「K」
その中の世界最強、真のNo.1を決めんと
競技、団体、階級の垣根を飛び越え世界王者同士による夢の異種格闘技ワンデイトーナメント、
「K-1 GRAND PRIX′93 10万ドル争奪格闘技世界最強トーナメント」
である。
8オンスのグローブを着用。
3分3R(ラウンド)、あるいは3分5R。
頭突き、肘撃ち、バックハンドブロー、目付き、金的、投げ技、関節技は禁止。
その他の打撃技はすべてOKという打撃系格闘技ルール。
出場選手の中には8年間無敗の記録を持つキックの帝王:モーリス・スミスがいた。
そのモーリス・スミスの無敗神話に終止符を打ったオランダの怪童:ピーター・アーツもいたし、この2人を破ったことがあるアーネスト・ホーストもいた。
佐竹雅昭は、UKFアメリカヘビー級王者、11戦11勝11KOのトド"ハリウッド"ヘイズを2R 0:45、右ローキックでKO。
ブランコ・シカティックの石の拳で、タイの英雄、最強のムエタイ戦士:チャンプア・ゲッソンリットがロープまでフッ飛んだ。
決勝戦ではブランコ・シカティックのパンチがアーネスト・ホーストのテンプルを打ち抜き失神KO勝ち。
波乱万丈の展開に加え、全7試合中6試合がKO決着。
衝撃的なK-1誕生の瞬間だった。
この後、「K-1」は、空前の格闘技ブームを引き起こしていく。
大手スポンサーがつき、東京だけでなく名古屋、大阪、福岡、やがて海外でもイベントを開催。
会場は多数の芸能人が訪れ、チケットのとれないモンスターイベントとなっていく。
板垣恵介は、ブランコ・シカティックをみて
「スポーツマンじゃない」
と直感した。
普通の格闘家とは違う異質の凄みに
「殺し屋だ」
と感じた。

UFC(Ultimate Fighting Championship、アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)

1993年11月28日、
「最強の格闘技とは何か?
最も有効な戦闘技術を有する格闘技とは一体何か?
ノールールの戦いの勝者こそが最強だ」
というテーマを掲げ、アメリカコロラド州デンバー、マクニコルススポーツアリーナで、UFC(Ultimate Fighting Championship、アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)1: The Beginningが開催された。
キックボクサーのパトリック・スミス、ケビン・ローズイヤー、元極真でキックボクサーのジェラルド・ゴルドー、伝統派空手のジーン・フレジャー、プロレスラーで総合格闘技家のケン・シャムロック、相撲のテイラ・トゥリ(元・高見州)、プロボクサーのアート・ジマーソン、ブラジリアン柔術のホイス・グレイシーという8名の選手によるノールールトーナメント。
ルールは、1R5分の無制限ラウンド制。
(8試合すべてが5分以内に決着がついた)
判定決着は無し。
目潰し・噛み付き・金的以外はあらゆる攻撃が有効。
グローブ・シューズ・道着などの着脱は自由。
1回戦でジェラルド・ゴルドーは、 ダウンしたテイラ・トゥリの顔面を蹴り上げ、顔面を殴りつけた。
試合は26秒でレフリーがストップ。
テイラ・トゥリは歯が折れ顔面を骨折。
ジェラルド・ゴルドーも右拳、右足甲を骨折した。
ケン・シャムロックはパトリック・スミスにヒールホールドを極めた。
この2人はメジャーな格闘技選手だったが、優勝したのは無名のブラジリアン柔術家:ホイス・グレイシーだった。
1回戦でアート・ジマーソン、準決勝でケン・シャムロック、決勝でジェラルド・ゴルドーにすべて一本勝ちした。

試合をビデオで観戦した板垣恵介は、すでに「刃牙」で闘牛場からヒントを得て八角形の試合場を描いていたため、オクタゴンの金網付の八角形のリングをみて
「パクられてる?」
と思った。
そしてバーリトゥード(何でもあり)というルール、現実に実戦に最も近い戦いの場が用意され最強が選定されるということに震撼し圧倒された。
そして1994年3月11日に行われた「UFC2 No Way Out」はアメリカで現地で観戦した。
目潰し・噛み付き・金的以外はあらゆる攻撃が有効。
時間無制限一本勝負。
判定決着は無し。
16人ワンナイトトーナメント。
忍術のインストラクターは顔面に肘を浴びて顔面を骨折。
軽量級のムエタイ選手は、重量級の柔道選手を素手のパンチとキックで積極的に攻めた。
しかしテーピングを巻いた手首を持たれて投げられ袈裟固めで抑えこまれた。
それでも下から暴れて脱出を試みるムエタイ選手に、柔道家は何度も肘を落とした。
その頭部は床に叩きつけられ跳ね上がりムエタイ選手は失神した。
凄惨な試合が続く中、武道的、格闘技的に意義のある試合もあった。
この大会には日本から市原海樹が参戦。
市原海樹は、フルコンタクト空手の中でも最も実戦的といわれた「大道塾」の選手で、170cm90kgと小柄ながら、野生的な風貌とパワーを持ち、スーパーセーフ(顔面の防具)をパンチで破壊し、キックボクシングやムエカッチューア(素手のムエタイ、テーピングしただけの拳で殴り合い、肘打ち、頭突き、金的攻撃もOK)でも勝っていた。
そして1回戦でホイス・グレイシーと対戦。
試合前日、掴まれないようにと、自分ではさみで髪の毛を切った市原海樹は、積極的に蹴りやパンチで攻めた。
しかしローキックを捕まれてダウン。
仰向けになった市原海樹にホイス・グレイシーは馬乗りになってパンチ。
市原海樹も下から肘を打って抵抗していたが、やがてパンチを嫌がり下に向き丸まった。
ホイス・グレイシーは亀状態になった市原海樹の背後について手をねじ込んでスリーパーホールドで首を絞め、市原海樹はタップ(まいった)させた。
大道塾は、極真空手の全日本大会で優勝し世界大会でも4位になった東孝が、顔面パンチや投げ技、締め技、関節技を認めた実戦空手。
その大道塾の無差別級のトーナメントで優勝した市原海樹がが何もできずに負けてしまったことに、板垣恵介は衝撃を受けた。
「これが現実なのか」

グレイシー柔術

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