1971年の『春の坂道』以降、1978年の『黄金の日日』までテレビには「淀殿」は影が薄かった!!
私が「戦国時代を題材にした映画・ドラマの中で「淀殿・茶々」を演じた印象に残る女優たち①【1960年代中盤~1970年代初期】」の最後で、1971年のNHK大河ドラマ『春の坂道』で「淀殿」役を演じた岸田今日子について記述した。
このドラマが終って以降、翌年(1972年)に谷口香がフジテレビ系列の「ライオン奥様劇場」枠(13:00~13:30)にて、『落城の舞い』(30回)で「淀殿」を演じているが、何せ昼間の時間帯で見る暇がなかったので私の記憶には残っていない。
また、1973年のNHK大河ドラマで『国盗り物語』(主人公である信長役の高橋秀樹がやけに威勢が良すぎて周りが霞んでいたような・・・)で「淀殿」というよりは「茶々」として出演していた子役の中沢祥子がいますが、はっきり言ってあまり記憶にないのが現状です。
 
  	国盗り物語 総集編
『国盗り物語』の裏番組に『新書太閤記』があった!!
1973年と言えば、『国盗り物語』の裏番組として1973年5月2日から1973年9月26日にかけて、NETテレビ(現:テレビ朝日)系列にて『新書太閤記』というドラマが放送された。NETテレビでは14年振りのドラマ化で、唯一の1時間作品となった。このドラマは東映東京撮影所の製作による。
当時の人気俳優・人気アイドルを抜擢して話題を呼んだが、同じ時代・舞台設定で大河ドラマが放送されていた影響か、視聴率的には振るわなかった。しかし番組タイトル(題字)を当時の内閣総理大臣でもあった田中角栄が書いていたのが話題になった。「茶々」として当時子役だった斉藤浩子が演じていたが、はっきり言って、これもあまり印象には残っていない!!。
1978年のNHK大河ドラマ『黄金の日日』で「淀殿」がテレビに復権!!
 
  	『黄金の日日』の一場面
 
  	1978年『黄金の日日』で「淀殿」を演じた藤村志保(中央)
藤村志保と言えば、昔からあまったるい、鼻に掛かったような声と語り口だったような記憶がある。声や語り口は、役によっては武器にもなることもあれば、逆に自分が攻撃されてしまうことにもなりかねない。
彼女は2014年の大河ドラマである『軍師官兵衛』のナレーション(語り)を担当したのだが、わざとおどろおどろしい雰囲気で語っているようなその語り口調について「食い物口に入れながら話してんの?もにょもにょって聞き取りにくい」、「滑舌をわざと悪くしているのか」、「聞き取るのに必死だった」などと批判的な意見が多数上がっていた。さらには「藤村志保さんの声がこんなおばあちゃんになってる事実が辛い」、「こんなに声弱々しかったっけ?肺とか患ってるの?」などと心配する声も上がっていたことを思い出す。何事もTPOが大事なんでしょうね!!  。結局、途中降板を余儀なくされてしまった。
1981年、東京放送創立30周年記念番組としてTBS系にて放映された大型時代劇『関が原』
 
  	『関ヶ原 』[DVD]の表紙
 
  	1981年『関ヶ原 』にて「淀殿」を演じた三田佳子
1965年のNHK大河ドラマである『太閤記』で「淀殿」役を演じたことを既に記述した覚えがあるが、彼女は2回目の淀殿役をこの『関が原』で演じていた。強烈な個性がないかわり、多くのファンに感情を移入させるタイプの女優と評されただけに、さすがは三田佳子、無難に「淀殿」役をこなしていた。
「ねね(北政所)」の視点で天下統一を描いた『おんな太閤記』!!
 
  	『おんな太閤記』のDVD表紙
 
  	1981年『おんな太閤記』で「淀殿」を演じた池上季実子
人格者として描かれたねねとの対比から、わがままで気位が高いという典型的な淀殿のイメージが明瞭に描かれ、羽柴家に引き取られた際に妹たちと違い秀吉夫妻の厚意を素直に受け取らず、「自分たちは人質同然」と卑下したり、嫁ぎ先を考えようとするねねに反発したりしていた。嫁入りを拒否しているうちに秀吉との関係が縮まり、彼の子を産んだことで権勢をふるうようになる。秀吉の死後は徳川家康に天下を託すべきだというねねと対立。ねねを「もはや豊臣家の人間ではなくなった」と見なし、より冷淡な態度をとるようになる。
狂気を感じるほどの破壊的な演技で「淀殿」を怪演した。原作および脚本を書いた橋田壽賀子の真骨頂!!(渡鬼!!)。
原作が超大作だったため、途中はしょった感じが多々見受けられた『徳川家康』!!
 
  	『徳川家康』のDVD表紙
 
     
    




