岸部シロー  不死鳥は自分の身を焼いた灰の中から蘇る!!

岸部シロー 不死鳥は自分の身を焼いた灰の中から蘇る!!

ザ・レジェンド元金持ち! 伝説的バンド「ザ・タイガース」のギタリスト!! 「西遊記」の沙悟!!! 「ルックルックこんにちは」の司会者!!! 巨額の借金と暴かれた真の顔!!!!



日本のロックは、アメリカのバンド「ザ・ベンチャーズ」、イギリスのバンド「ビートルズ」「ローリング・ストーンズ」によって始まった。
彼らによって1960年代後半、エレキギターやエレキベースなどの電気楽器を演奏しながら歌う「グループ・サウンズ」ブームが到来。

かまやつひろし、堺正章、井上順が所属する「ザ・スパイダース」
萩原健一(ショーケン)が歌う「ザ・テンプターズ」
永遠のロックンローラー、内田裕也がボーカルを務める「ブルージーンズ」
「ブルー・コメッツ」
「ザ・ワイルドワンズ」
「ザ・フォーク・クルセダーズ」
「ヴィレッジ・シンガーズ」
「パープル・シャドーズ」
「ザ・ゴールデンカップス」
「ザ・サーベージ」
「ザ・モップス」
「バニーズ」
「ザ・ジャガーズ」
「オックス」
「ザ・カーナビーツ」
「ザ・ランンチャ-ズ」
「ザ・ダーツ」

など多くのグループが誕生し、現在の「バンド」の元祖となった。
その中でも頂点に立ったのは「ザ・タイガース」だった。

きっかけは京都の中学校の同級生である、

岸部一徳、(ベース、岸部シローの2歳上の兄)
加橋かつみ(ギター)
森本太郎(ギター)

と彼らの高校の後輩、

瞳みのる(ドラム)

という4人が、ベンチャーズのコンサートを観にいって
「女の子にモテたい」
という単純な動機で「サリーとプレイボーイズ」というバンド結成。
「サリー」とは、身長181㎝の岸部一徳のことで、由来はロックンロールの創始者の1人、トル・リチャードのヒット曲でエルビス・プレスリーやビートルズもカバーした「のっぽのサリー(Long Tall Sally)」
「サリーとプレイボーイズ」は、ベース、ギター、リズムギターー、ドラムという編成で、ボーカルのないインスツルメンタルバンド(歌なし、演奏だけのバンド)だった。
やがてボーカルの必要性を感じ、四条河原町のダンスホール「田園」でボーイをしながら「ザ・サンダース」のボーカルとして歌っていた沢田研二を勧誘。

沢田研二(ボーカル)
岸部一徳、(ベース)
加橋かつみ(ギター)
森本太郎(ギター)
瞳みのる(ドラム)

の5人は「ファニーズ」をいうバンド名で洋楽のコピーを行った。


中学生の岸部シローは、サリーの弟いうことでメンバーにかわいがられながら、演奏はしないがファニーズをサポート。
森本太郎は、岸部一徳に
「弟です」
と紹介された後、初対面、しかも4歳下の岸部シローに、
「いい曲あるよ、タローくん」
とタメ口でいわれた。
それをみた岸部シローより1歳上の沢田研二は、
(俺もタローくんと呼んでもいいのか)
と思い、その後、恐る恐る呼んでみた。
岸部シローは、新聞配達と牛乳配達をしながら中学校に通っていた。
「新聞配ってから、牛乳を配って、学校に行ってました。
牛乳は80本の区域を2人で配ってました。
デカい冷蔵庫から、ちょっと多めにとって配達中に飲んでました。
最高17本くらい。
そうやってさんざん飲んだ後に、おばあちゃんが「ご苦労さん」って牛乳くれてね。
お腹いっぱいだったけど飲みましたよ」

そんな勤労少年だった岸部シローだが、大の音楽少年でもあった。
「中学校の頃、ラジオが1番の友だちでした。
その頃、普通の放送局ではポピュラーミュージックはほとんど聞くことが出来ない。
それを聞こうと思えば、FEN(Far East Network、米軍極東放送網) しかない。
しかし京都ではFENは受信できず、わずかにその放送がキヤッチできる短波ラジオを頼りとしていました。
短波でもFENは入ったと思ったら消え、消えたと思うと入り始める。
辛抱強くジッと待つしかないわけです。
この頃は、ポール・アンカ、ニール・セダカ、パッド・ブーンなどのポップス全盛時代。
新聞配達で稼いだお金で音楽誌「ミュージックライフ」を買い、ラジオにかじりつく、これが僕の中学時代の姿でした。
日本でグループソングがクローズアップされてきた頃、海の向こうアメリカでは、ロックが主流になりつつありました。
僕もラジオやレコードでよく本場のロックを聴いていましたが、ジェファーソン・エアプレーンとかジミー・ヘンドリックスとかの大物ロックバンドがカリフォルニア中心に一大 ムーブメントを起こしていたことは、強く印象に残っています」



そして中学卒業後、印刷会社に就職した後も大好きな音楽を楽しんだ。
「兄がバンドをやっていたということ。
このことが、もしかしたら僕の人生の道先案内人だったといえるのかも知れません。
僕も兄も音楽が大好きで、極端にいって、音楽があれば他に何もいらないっていうような、そんな少年。
カッコ良くいえば、初恋が音楽だった。
ちょうど僕が中学を出て働いていた頃、兄はセミプロとしてすでにバンドを組んでいました。
一方、僕はいえば、15歳の少年といえども一応の社会人。
京都や大阪を中心に、いろんなポピュラーミュージックを聞く他は、当時すごく流行ってたゴーゴーパーティーやダンスパーティーにもよく出かけていきました」

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ファニーズは、大阪、難波のジャズ喫茶「ナンバ一番」の専属オーディションを受けることにした。
メンバーが何を演奏するか思案。
最終的に岸部シローが
「この曲がええんやないの」
といった曲を演奏。
結果、オーディションに合格し、週2日ステージを行う契約を獲得。
5人は、大阪市西成区岸里の明月荘で5人で共同生活を開始。
京都会館で開かれた「全関西エレキバンド・コンテスト」にローリング・ストーンズの「サティスファクション」で優勝。
ブルージーンズのボーカルであり、永遠のロックン・ローラー、内田裕也は「ナンバ一番」のステージを観て
「東京に来る気があるか」
と声をかけ、自分が所属している渡辺プロダクション(現:ワタナベエンターテインメント)に
「ぜひ彼らと一緒にやらせて欲しい」
ともちかけた。

数ヵ月後、ファニーズは、渡辺プロダクションのオーディションを受けて、契約。
東海道海道新幹線で上京し、世田谷区烏山町に用意された、10畳、8畳、6畳、台所、トイレ、風呂という間取りの平屋住宅で、渡辺プロダクションのマネージャー、中井國二を加えた6人で生活。
ベッドやタンスなど家財道具は、大阪出身で多摩美大デザイン科卒業後、渡辺プロダクションに入社し、まだ駆け出しマネージャーだった中井國二が月賦で購入。
5人は、まず西新宿の東京音楽学院でレッスンを受け、上京3日目にレコード会社のオーディションを受けて合格。
上京6日後に、新人の登竜門ともいうべき音楽番組「ザ・ヒットパレード」のビデオ収録のために新宿のフジテレビの第7スタジオへ。
収録前、スタジオの副調整室でフジテレビのディレクターに
「君たち関西出身か、
じゃ阪神タイガースだな」
といわれ、立場の違いでまったく抗うことができないままず、新しいバンド名が決定。
事前に、
「演奏時間は50秒ほどで」
「曲は何でもいい」
といわれていた5人は、岸部シローに
「それやったらキックスがええんやないの」
といわれたポール・リヴィア&ザ・レイダースの「キックス」を、初テレビ仕事で最大限緊張しながら演奏。
「ザ・ヒットパレード」の映像が全国のブラウン管に映し出された翌日、ダブルブッキングで出演できなくなったブルー・コメッツのピンチヒッターとして、急遽、ジャズ喫茶「新宿AC」の昼の部のステージに出演。
その後、内田裕也と一緒に「内田裕也とザ・タイガース」として上野のジャズ喫茶「テネシー」を中心に演奏。
メインボーカルは沢田研二だったが、内田裕也も司会をしながら歌った。

「そのときのことは今でも鮮明に覚えています。
僕を含めてメンバーの家族はかつてないほど興奮しました。
それはもう盆と正月が一緒にきたようなフィーバーぶりで、テープレコーダーでテレビのスピーカーから流れる声を直接録音したり、父の友人が当時の価格150万円くらいだったビデオを買って録画したり。
とにかくテレビに出るということは、凄いことだったんです。
兄をはじめ昔からよく知っているメンバー、つまり身内ともいえる人たちがテレビに出たんですから。
もっともそのときは「有望新人の紹介」のコーナーでしたから、だった数十秒間の出演でした。
それでもその頃のテレビというのはすごいインパクトを持っていました。
ずっと一緒に生活してきた兄がブラウン管の中にいる。
その感激というか感動というか・・・
本当に 「やった」 のひと言でした」
(岸部シロー)

上京して約2ヵ月後、ザ・タイガースは、日本劇場を運営する東宝が開催する「日劇ウエスタンカーニバル」に出演。
「モンキーズのテーマ」をアレンジ(替え歌に)した「ザ・タイガースのテーマ」を演奏。
この曲がアメリカでリリースされたのは数ヵ月前で、日本では未発表だったので、ほとんどの人がタイガースのオリジナル曲だと思ったが、情報通の岸部シローが
「これタイガースのテーマにしたらええんやないの」
といったことでできた曲だった。
「グループソングで人気のあったのはブルー・コメッツ、ザ・スパイダース。
ザ・タイガースは上京したばかりですからグループソングの中では新参であり、内田裕也さんのバックバンドという色彩が強かった。
僕も東京に来てステージの兄を応援してたのですが、ファンの人もいることはいてもパラパラというような状態。
それがカーニバルに出演したときは、裕也さんとのジョイントではなく、ザ・タイガースとして単独で出演したんです。
そのときには、もうもの凄いファンがついていました」
(岸部シロー)


上京して約3ヵ月後、TVデビュー、大ステージでのデビューを果たしたザ・タイガースは、1st.シングル「僕のマリー」でレコードデビュー。
さらに3ヵ月後にリリースした2nd.「シーサイド・バウンド」が40万枚を超えるヒット。
「僕のマリーがレコード・リリースされて、若者向け人気テレビ番組「ヤング720」で毎朝流されるようになって、だんだんとその存在が知られるようになりました。
そして同じ年、リリースした「シーサイドバウンド」からザ・タイガースブームに火がついたんです」
(岸部シロー)
ザ・タイガースは、中高生を中心に人気爆発。
活動の中心はジャズ喫茶からコンサートに変わり、テレビ、ラジオなどの芸能活動も増加し、世田谷の合同宿舎には日常生活に支障を来すほど多くのファンが訪れた。
日本人バンドとして初めて武道館でコンサートを行い、初主演映画「ザ・タイガース 世界は僕らを待っている」が公開され、後楽園球場で日本初のスタジアムライブ「ザ・タイガース・ショー〜真夏の夜の祭典」を開催した。
「とにかく忙しくて休みがない。
本当に忙しくて身動きが取れなかったのは、やはり沢田研二だ。
圧倒的な人気者だったからどこにも遊びに行けない。
振り返れば日本武道館、後楽園球場など、多くの場所で公演した。
グループとしての活動は実際のところ4年ちょっとと短いものだったが、何物にも代え難い貴重な体験をさせてもらった。
その中でも一番の体験は人気者になったことだ。
移動するたびに騒然。
例えば新宿ACBから池袋ドラムまで向かう際も警察が協力してくれた。
確か三光町だったと思うが、信号を全部ストップさせて白バイで先導してくれた。
ACBには数百人しか入れなかったが、外には1000人を超えるファンの群れ。
危険を避けるための対策だった」
(岸部一徳)

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