史上初めての、追加登録料を払ってのクラシック勝ち馬になった瞬間です。
岩元調教師にとっても初のクラシック制覇、和田騎手も竹園オーナーも初のGⅠ勝利となりました。
しかし、その後は勝ちきれないレースが続きます。ダービーはアドマイヤベガの3着、菊花賞はナリタトップロードの2着。暮れの有馬記念はグラスワンダーの3着でした。
意地の年間全勝
菊花賞敗戦後、オーナーからは騎手の乗り替わりを提案されたものの、調教師は頑なに和田騎手の起用にこだわって迎えた2000年、テイエムオペラオーと和田騎手のコンビは、破竹の快進撃を続けます。
前哨戦の京都記念と阪神大賞典を連勝すると、天皇賞・春、宝塚記念と、春の大レースを着差こそ少ないけれど、危なげなく勝ちきります。
一息入れた秋初戦も順当に勝ち、秋の王道GⅠ3連戦、天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念と、全て勝利を収めるのです。この年オペラオーは8戦8勝、うちGⅠは5戦5という、凄まじい記録を打ち立てたのでした。
乗り替わりも示唆され、自身も歯がゆい思いをしてた和田騎手と、頑なに主戦を譲らせなかった岩元調教師のタッグがもたらした、意地の年間全勝、パーフェクトシーズンです。
幻の海外遠征
もう国内では向かう所敵なしだったオペラオーは、なぜ海外遠征をしなかったのか?
当然ながら、そんな疑問が湧いてきますよね。
理由としては、タイキシャトルやエルコンドルパサーなどの快挙はありましたが、現在と比べると、まだ海外遠征は一般的な事ではなく、陣営にも遠征に対するノウハウが十分ではなかった事があげられます。
実際に海外から帰って来た馬たちの疲弊した様子を見て、海外へ行くよりも日本で走って、日本のファンに楽しんでもらう方がいい、と竹園オーナーは思ったと言っています。
父にオペラハウス、母父にブラッシンググルームという、パワーとスタミナ豊富なヨーロッパ血統なだけに、全盛時にキングジョージや凱旋門賞に挑戦してたら、かなりの好勝負を演じてただろうと予想されます。しかし、遠征や環境を整える方法や技術というものも、競走馬の能力と同じくらい大きなものなので、仕方なかったのかもしれません。
テイエムオペラオー血統表