超お買い得だった市場取引馬
テイエムオペラオーは、1996年杵臼牧場で生まれました。姉に短距離路線で活躍していたチャンネルフォーがいます。特別大物はいないけれどコンスタントに走る、といった牝系。
父親は当時まだ日本での実績が無かった、欧州のステイヤー血統のサドラーズウェルズ系のオペラハウスで、正直どんな馬に育つか全くわからない、といった感じの、どこにでもいる普通の幼駒だったそうです。

テイエムオペラオー(1999年10月10日、京都競馬場)
テイエムオペラオー - Wikipedia
しかしオーナーとなるテイエム軍団の竹園氏は「輝いて見えた」と語るほどひと目で気に入り、1997年のセリ市場で1000万円で落札します。
当時の競走馬の市場取引は現在とは違い、あまり活気があるとは言えませんでした。いわゆる「良血馬」は生産者と買い手の庭先取引で決まる事が多く、あまり市場取引馬には高額な馬が回ってくる事は多くなかったようで、当時のJRAのレースでは、市場取引馬が出走する場合は、出走手当や入賞賞金での、資金の優遇があったものです。
現在では超大手の牧場が積極的に幼駒をセリに出すので、非常に活気があり、2016年の最高額は、ディープインパクト産駒の2億6000万円でした。因みに史上最高額の市場取引馬は6億円ですが、デビューできなかったので、1円も稼ぐ事はできませんでした。

その点テイエムオペラオーは1000万円ですから、後に数多くの勝利をあげる事になるので、超お買い得だったと言えるでしょう。
デビュー直後の骨折からクラシックへ
一見、普通の馬に見えたオペラオーは、デビュー前の調教で非凡な動きを見せ始めます。しかし、若手のホープ和田騎手を背に迎えた2歳夏のデビュー戦でいきなり骨折。長期休養を余儀なくされます。
年明け復帰2戦目で初勝利。その後3連勝でGⅢ毎日杯を圧勝します。オーナーが初見で感じた輝きが、現実のものになってきたわけです。
追加登録料を払って
3歳時のクラシックレースに出場するには、あらかじめ出場登録をしておく必要があります。3回に分けて登録時期があり、1回目が2歳の秋に1万円、第2回が3歳1月に3万円、3回目がレースの2週間前に36万円、3回合わせると40万円。1つのクラシックレースに出場登録するのに40万円掛かるわけです。
いわば掛け捨てみたいなもので、出場するのに賞金が足りなかったり、直前に怪我をしたりすると全てオジャンになってしまいます。
しかし事前に登録してないと出場資格がなく、直前になってどうしても出たいとなると、高額な追加登録料を払わなければならないのです。その額なんと200万円。
テイエムオペラーの場合、デビュー直後の骨折もあったためか、事前に登録料を払っていませんでした。皐月賞直前、オーナーはダービー1本でいいと言うし、調教師は絶対皐月賞勝てると言い、ぎりぎりまで揉めたそうです。
「何なら200万は自分が出してもいい」とまで岩元調教師は言い、結局皐月賞に出走する運びとなります。
三つ巴の三冠
5番人気で迎えた小雨の煙る皐月賞。
特に積極的な逃げ馬はいませんでしたが、前半1000mは60秒1と淀みのない締まった展開で一団で進みます。
オペラオーは後方から、終始外々を回る展開。そして3コーナー過ぎから、ナリタロップロード、アドマイヤベガと並んで押上げ、4コーナーは一番外を回って直線へ。
内から伸びるオースミブライト、馬場の真中から差すトップロードを、大外から直線の急坂を豪脚で差し切ったところがゴールでした。
上がりタイムは3着のトップロードと同タイムでしたが、ナタの斬れ味とでも言うのでしょうか、一際外を回って長い距離を走ってきた事といい、坂を駆け上がる時の破壊力といい、別格の豪脚だったと言えるでしょう。

史上初めての、追加登録料を払ってのクラシック勝ち馬になった瞬間です。
岩元調教師にとっても初のクラシック制覇、和田騎手も竹園オーナーも初のGⅠ勝利となりました。


しかし、その後は勝ちきれないレースが続きます。ダービーはアドマイヤベガの3着、菊花賞はナリタトップロードの2着。暮れの有馬記念はグラスワンダーの3着でした。
意地の年間全勝
菊花賞敗戦後、オーナーからは騎手の乗り替わりを提案されたものの、調教師は頑なに和田騎手の起用にこだわって迎えた2000年、テイエムオペラオーと和田騎手のコンビは、破竹の快進撃を続けます。
前哨戦の京都記念と阪神大賞典を連勝すると、天皇賞・春、宝塚記念と、春の大レースを着差こそ少ないけれど、危なげなく勝ちきります。
一息入れた秋初戦も順当に勝ち、秋の王道GⅠ3連戦、天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念と、全て勝利を収めるのです。この年オペラオーは8戦8勝、うちGⅠは5戦5という、凄まじい記録を打ち立てたのでした。
乗り替わりも示唆され、自身も歯がゆい思いをしてた和田騎手と、頑なに主戦を譲らせなかった岩元調教師のタッグがもたらした、意地の年間全勝、パーフェクトシーズンです。
幻の海外遠征
もう国内では向かう所敵なしだったオペラオーは、なぜ海外遠征をしなかったのか?
当然ながら、そんな疑問が湧いてきますよね。
理由としては、タイキシャトルやエルコンドルパサーなどの快挙はありましたが、現在と比べると、まだ海外遠征は一般的な事ではなく、陣営にも遠征に対するノウハウが十分ではなかった事があげられます。
実際に海外から帰って来た馬たちの疲弊した様子を見て、海外へ行くよりも日本で走って、日本のファンに楽しんでもらう方がいい、と竹園オーナーは思ったと言っています。
父にオペラハウス、母父にブラッシンググルームという、パワーとスタミナ豊富なヨーロッパ血統なだけに、全盛時にキングジョージや凱旋門賞に挑戦してたら、かなりの好勝負を演じてただろうと予想されます。しかし、遠征や環境を整える方法や技術というものも、競走馬の能力と同じくらい大きなものなので、仕方なかったのかもしれません。

テイエムオペラオー血統表
日本一のサクセスストーリー
結局オペラオーは2001年シーズンは、天皇賞・春を連覇したものの、GⅠは1勝にとどまり、暮れの有馬記念5着を最後に引退しました。
通算26戦14勝、うち重賞12勝、GⅠ7勝、生涯獲得賞金18億3518万9000円という、輝かしい記録を残しました。GⅠ勝利数、賞金共に歴代ナンバーワンでした。
因みに2017年3月、ドバイワールドカップを勝ったアロゲート(USA)に抜かれるまで、世界最高の賞金王の座に君臨していました。

残念ながらオペラオーは種牡馬としては、障害レースでは活躍馬を出したものの、パッとした成績を残せていません。
無名の安馬から世界の賞金王へとのし上がった、ジャパニーズドリームを後世に語り継ぐためにも、オペラオーも竹園オーナーも、より良い産駒を残すため、もうひと頑張りしてもらいたいものです。