2005 ULTIMATE CRASH

2005年1月9日、早稲田大学ラグビー部は、全国大学選手権で優勝した。
快進撃は、日本一のラグビーチームを決める日本選手権でも続き、2005年2月5日、 日本選手権1回戦で、社会人チーム:タマリバクラブを撃破した。
しかし2005年2月12日、 日本選手権2回戦では、トップリーグチーム:トヨタ自動車に惨敗した。
2005年3月1日、新シーズンがスタートすると、清宮克幸監督は、新キャプテンに、佐々木降道を指名した。

佐々木降道
5年前の春、清宮は啓光学園の主将だった佐々木隆道のプレーとリーダーシップに目を奪われた。
そして初対面でこういった。
「お前、早稲田受けるだろ」
佐々木は清宮に圧倒された。
「怖いおっちゃんやなぁ。
俺に決定権はないんか。」
キャプテンとなって早々、佐々木隆道は、単身、ラグビー留学のためオーストラリアに旅立った。
期間は1ヶ月~1ヶ月半の予定だった。
国内の早稲田大学ラグビー部本隊は、各々与えられたメニューを消化しつつ、佐々木の帰国後、春の終わり頃から、本格的なチームづくりを開始する予定を立てられた。

2005年3月2日~4日、全部員を対象に、監督、コーチとの個人面談が行なわれた。
それぞれが思いを書いた資料を提出し、今年度への決意と方向性を新たにした。
2005年3月22日、2005年度のファーストミーティングが行われた。
監督5年目となる清宮は、昨シーズンの長所と短所、それを踏まえた上で、今年、目指すスタイルをプレゼンテーションし、今シーズンの進むべき道が提示した。
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☆ミッション☆
・ラグビーを通じて世の中に夢と希望、感動を与える
・夏までに昨年のチームを超える-『Target2004』
・創造と鍛錬による常勝集団となる
☆チームスローガン☆
・ULTIMATE CRASH(アルティメットクラッシュ)
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人工芝グラウンド

2005年3月29日、上井草のグラウンドのサブグラウンドが人工芝に改装された。
限りなく天然芝に近い人工芝:最高級フィールドターフが導入され、その高い安全性(適度の衝撃吸収性による骨や筋肉への負担軽減、摩擦による火傷もしない)と、優れた性能性が大きな特長である。
これで雨の中の練習や芝生の養生を気にする必要がなくなった。
そしてメイングラウンドの天然芝も綺麗に養生された。
これでメイングラウンドは天然芝、サブグラウンドが人工芝というラグビーをするのには最高の環境になった。
韓国遠征

2005年4月22日、オーストラリアにラグビー留学していた佐々木隆道キャプテンが帰国。
しかし2週間後には、彼を含むAチームは、韓国へ遠征し高麗大学との対戦が、国内に残るBチーム、Cチーム、Dチーム、Eチームは、今シーズン初の部内対抗戦で、のし上がるチャンスが待っていた。
2005年5月4日、早稲田大学ラグビー部、Aチーム22名とスタッフ8名は渡韓。
ソウルのコリアナホテル到着後、試合前後のセレモニーの段取り、また試合会場は元来、サッカーグラウンドで人工芝のため、どうやってもラインが消えず、サッカーとラグビーのラインが混在しているため、もし間違ってトライした場合は、間違った奴が悪いなど、早稲田、高麗の双方の首脳陣が明日の試合に関して打ち合わせをした。
2005年5月5日、高麗大は韓国の大学王者で、キャプテンを含む3名が現役の韓国代表だったが、早稲田は、42-33で勝った。
危機感

2005年6月12日、伝統の早慶戦が初めて宮崎県で行われた。
宮崎県総合運動公園陸上競技場のスタンドは満員。
観客数はなんと10000人。
慶応ボールのキックオフ。
このボールを慶応:山縣がクリーンキャッチ。
そこからの連続攻撃で一気に早稲田のゴール前へ。
3分、フォワードの密集戦から慶応の千葉が先制トライ。
14分、早稲田がモールでトライ。
17分、早稲田がラインアウトから独走しトライ。
その後、慶応の山崎がペナルティからの早い仕掛けでトライを返すも、またもや早稲田がトライし31-10で前半を終えた。
後半13分、慶応キャプテン:竹本のタックルで早稲田キャプテン:佐々木が負傷退場。
25分、大黒柱を失った早稲田から慶応はモールでトライ。
28分、慶応の青貫がシンビン。
14人になった慶應は踏ん張りきることができず早稲田は立て続けに3トライ。
55-17でノーサイド。
慶応は「今年は早稲田1本で戦う」というプランを立てていて、すごい気迫で試合に臨んでいた。
前に出るディフェンス、低く突き刺さるタックルなど、要所、要所でいい場面もあったが、これを80分間継続させることはできなかった。
一方、早稲田は、2週間後には関東学院戦が控えていたが、負傷退場となった佐々木は膝は靭帯を痛め全治6週間の診断が下った。

青木佑輔
関東学院大戦を目前に控え、かつ不発に終わった慶応戦を反省し、早稲田大学ラグビー部は熱く激しいトレーニングを行った。
望むのは「勝利」のみだった。
2005年6月25日、三ツ沢公園競技場、早稲田 vs 関東学院.
早稲田にとって春の関東学院戦は重要で、絶対に負けるわけにはいかなかった。
この試合如何でシーズンの計画すべてが変わってくる。
またこの試合でチームの将来がある程度みえてくるのだ。
しかし早稲田は大一番にしてキャプテン佐々木隆道が負傷欠場。
一方、関東学院は、春の練習試合を連戦連勝して、この日まで来ていた。
早稲田にとって佐々木を欠くのは痛手だった。
しかしここで不思議な現象が起きた。
それはバイスキャプテン(副将)青木祐輔だった。
青木は、感情豊かで、涙腺がもろく、この試合前も大泣きした。
青木は下級生からレギュラーだったため、この試合の重要性がわかっていた。
青木の涙は、チームに危機感をあおった。
危機感を持ったチームは土壇場で強かった。
試合開始から、赤黒はマリンブルーを凌駕した。
入魂のタックル。
倒れてもゾンビリムーブ。
ひたすらリムーブしてタックル。
例え抜かれても必死に追いかける。
グラウンドに響き続ける青木佑輔の怒号。
気持ち、意識、反応、すべて早稲田が関東学院を上回りノーサイド、19-7。

夏合宿 ついに関東学院に勝ち越し

2005年8月7日、早稲田大学ラグビー部は夏合宿のために長野県上田市の菅平公言へ出発した。
菅平高原の旅館にとって8月は、ラグビー夏合宿だけでなく、一般的にも観光シーズンでで需要も高い。
宿の数が限られているので、関東学院、明治、法政など強豪大学でさえ、各旅館の所有するグラウンドを借りて練習する。
その傍らでは、農家の人達が野菜をつくっておられた。

早大菅平セミナーハウス
しかし早稲田大学は、宿泊所もグラウンドも自前の施設だった。
「早大菅平セミナーハウス」 が合宿拠点となる。
隣接する自前のグラウンドは土1面、芝2面。
上井草のトレーニング機器がすべて運び込まれトレーニングルームがつくられた。

多くの大学ラグビー部が、長野県菅平高原で夏合宿を行う。
そして高原に点在するグラウンドで、連日練習試合が行われる。
その中で最大の注目カードは、8月の第3日曜日に行われた早稲田 vs 関東学院。
ここ4年間、全国大学選手権決勝で対戦した関東学院と早稲田は、夏の菅平で勝った方が、その年の決勝を制して大学日本一になった。
関東学院は、過去8年連続で大学選手権決勝進出、 優勝5回、準優勝3回。
しかし過去4年、関東、早稲田、関東、早稲田と2勝2敗だった両校の夏合宿の練習試合は、2005年は早稲田が初めて連勝し、3勝2敗と勝ち越した。
ケンブリッジ大学に楽勝

2005年9月18日、早稲田大学ラグビー部は、ケンブリッジ大学ラグビー部と対戦し、33対8で完勝した。
しかしこの年のケンブリッジは弱かった。
早稲田だけでなく、関東学院、法政にも負け、日本で3連敗していた。
清宮は、絶対に強いと思っていた相手にアッサリ勝ってしまったことで、チームがここまで維持していたいい緊張感と熱意が少し切れてしまったと思った。
そして、せっかく仕上がりつつあったチームがフヌケになってしまうのを恐れ、急遽、社会人チーム:東芝府中Bとの練習試合を入れた。
ボロ負け

関東大学選手権リーグ戦がスタート。
2005年9月25日、 早稲田 vs 立教、78-10、2005年10月01日、早稲田 vs 青山学院、99-19と早稲田大学ラグビー部は公式試合を2連勝した。
そして2005年10月10日、東芝府中グラウンドで東芝府中Bチームと対戦した。
練習試合、しかもしかも雨降っているにもかかわらず観客席は満席。
おそらくその多くはワセダファンだろう。
試合はモールで早稲田が先制。
しかし直後に東芝に追いつかれ、そして逆転されるも、再び早稲田はモールを押し込んでトライ。
前半を10対17で折り返す。
後半、早稲田はお家芸の展開ラグビーでトライ。
しかしその後、東芝が畳み掛けるように得点を重ね、最終的に17対67。
早稲田大学ラグビー部の完敗だった。
勝利のためなら危険もかえりみない

今シーズン、初めての敗戦で、選手たちの気持ちは劇的に変わった。
練習の必要性を強く感じ、何が足りないのか、何に力を入れたらいいのか考えた。
その結果、封印していた練習を復活させることを決めた。
コンタクト・スーツを着てのアタック・アンド・ディフェンス。
すなわち試合形式の練習だった。
それまでシーズンの最大の目的を達成するために、いかにケガ人を出さずベストメンバーで試合に臨むかが課題となっていた。
そうすると練習メニューも変わり、部内の試合は減っていき、社会人チームへの出稽古もストップされた。
それ以前は決勝戦が近づいてもアタック・アンド・ディフェンスなどのハードな練習をやっていた。
それは、激しさを前面に押し出すことこそ勝つ要因だと信じていたからだった。
それが、いつの間にかベストメンバーを組めれば絶対に負けないようになり、コンディションと安全第一として危険度が高い練習を控えるようになっていた。
そして東芝のBチームに負けてしまった。
しかもこの年は全国大学選手権優勝に加え、社会人のトップリーグベスト4に勝つことが早稲田の目標だった。
高いところを目指すなら危険な練習も必要だと気づいたのだ。
こうして清宮と早稲田の選手たちは練習をハードな内容にすることを決めた。
学生日本一に
2005年12月4日、早稲田大学 vs 明治大学。
昼間なのにあまりの暗さに照明がつくほどの雨だった。
前半、「前へ」とフォワードで突進する早稲田と、ペナルティーゴールを狙う明治という真逆の展開。後半
早稲田が縦横無尽に3トライ奪い、勝敗はほぼ決したものの、残り10分で明治は早稲田を自陣ゴール前にくぎ付けにし、本来の早明戦っぽい展開になった。
しかし早稲田の集中力はとぎれることがなlく、インゴールを背負って、タックルに次ぐタックル。
心は熱く頭はクールに、早稲田は「らしさ」を存分に発揮し40-3で明治を圧倒した。
以下、翌日のデイリースポーツ。
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関東大学ラグビー対抗戦グループ早大-明大が4日国立競技場で行われ、すでに5年連続18度目(リーグ通算33度目)の優勝を決めている早大が計6トライを奪う猛攻で40-3で完勝。
対抗戦では初となる5年連続の完全優勝を遂げた。
また対抗戦36連勝、清宮克幸監督就任後は35戦全勝と無敗記録を更新。
試合後、清宮監督は早大だけが突出する現状を嘆きライバル校にカツを入れた。
試合後の会見場は清宮監督の独壇場だった。
「お互い高いレベルの競い合いになら歴史に名を残す名監督と喜ぶが、年々、観客数が減っていく早明戦じゃ困る。
4年間も同じことを繰り返している」
と語気を荒げた。
相手をおとしめるつもりはない。
早大はこの試合まで対明大戦通算44勝34敗2分けと競い合ってきた。
清宮監督には両校が大学ラグビー界だけでなく日本ラグビー界を引っ張ってきたという思いがある。
それだけに最後はレギュラーを7人も交代させながら1トライも返してこなかったライバル校が歯がゆくてならなかった。
「どうなってるんだ。
残念です。」
今季限りで任期が切れる指揮官の表情は寂しげでさえあった。
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早稲田大学ラグビー部は、関東大学ラグビー選手権を優勝した後、全国大学選手権でも勝ち続けた。
2005年12月18日、早稲田 vs 立命、126-0。
2005年12月25日、早稲田 vs 慶応、26-8。
2006年1日2日、全国大学選手権準決勝、早稲田 vs 法政、61-5。
そして2006年1月8日、全国大学選手権決勝、早稲田大学 vs 関東学院大学。
早稲田は、41-5で勝ち、この大会を2連覇。
それは31年ぶりの連覇だった。
セコムしてますか? セコムしてますよ
2006年2月4日、日本選手権がついに開幕。
早稲田大学ラグビー部は、1回戦でタマリバクラブと対戦し、47-7で勝ち、夢の「打倒・トップリーグ」へ新たな1歩を踏み出した。
2006年2月7日 、日本選手権2回戦「早稲田大学対トヨタ自動車ヴェルブリッツ」戦まで、あと4日。
この日、早稲田大学はセコムグラウンドに出稽古した。
1年前の2005年2月12日、早稲田大学ラグビー部はトヨタに負けてシーズンを終えた。
その思いを胸に、トップリーグチームであるセコムを相手にスクラム・ラインアウト・チームアタック・・・
着々と12日の対トヨタイメージをつくり上げた。
打倒・トップリーグ

2006年2月11日、早稲田大学ラグビー部は対トヨタ戦試合前練習を行った。
小さな者が大きな相手にいかにして勝つか。
『継続』『高速』『精確』『激しさ』、そして『独自性』、ビクトリーチェーンの完成。
やるべきことはすべてやった。
明日は自信を持って思いっきりやるだけだった。

ミーティングでは寄せ書きをつくった
まず清宮が、ド真ん中に「ワセダ」と書いた。
2006年2月12日、日本選手権2回戦、早稲田大学 vs トヨタ自動車ヴェルブリッツ。
14:00、キックオフ。
前半、スロースタートのトヨタに対し、早稲田は風上の利を生かして速いテンポで仕掛けていった。
両チームのフォワードの体格の平均は、早稲田181cm100kg、トヨタ186cm106kg。
しかし早稲田フォワードはトヨタフォワードに当たり負けしなかった。
2分、早稲田:五郎丸のPGで先制、3-0。
14分、早稲田、PGで追加 6-0。
23分、トヨタゴール前で、早稲田がマイボールラインアウトからモールを形成。
そのまま左隅へドライブして、佐々木隆道が押さえ込んでトライ。
11-0。
28分、トップリーグ4位のトヨタ自動車も負けてはいない。
難波の突破から広瀬-内藤と継続しゲインし、AllBlacksに最も近いといわれるトロイ・フラベル選手が力強いランでトライ。
広瀬のG成功。
11-7。
31分、トヨタゴール前の密集から、早稲田:曽我部が、大きくパスすると見せかけて、鋭いカットアウトでトヨタのディフェンスラインの裏に出て、自ら飛び込んでトライ。
G成功、18-7。
32分、トヨタ:広瀬のキックオフが10m届かず。
風の影響?
それとも動揺?
34分、早稲田PG成功 21-7。
39分、トヨタ:水野のゲインから麻田-内藤、最後はティアティアがトライ。
G決まって21-14。
前半終了。
ワントライワンゴール差で早稲田がリード。
早稲田は、フォワード戦は互角。
ラインアウトでは圧倒。
バックスは、展開したり、自らが勝負をしかけたり。
前半はほとんどトヨタ陣内で試合が運ぶというちょっと信じられない展開だった。
しかし後半は風下の早稲田がどこまでリードを守れるか。
後半1分、開始早々、トヨタ:水野がゴールに入るがオブストラクションでノートライ。
トヨタはミスが多い。
10分、早稲田ゴール前でトヨタがボールを展開中、広瀬のパスを早稲田:内橋がインターセプト、80m独走しトライ。
G成功、28-14。
12分、お返しとばかりにトヨタ:内藤が早稲田:曽我部のパスをインターセプトしトライ。
G決まって、28-21。
1トライ1ゴール差。
19分、前半から早稲田選手を殴っていたトヨタのフラベルがシン・ビン(10分間退場)。
後半、風上を得たトヨタは広瀬のキックが冴える。
23分、トヨタがメンバー入替。
ティアティア→菊谷。
山本→レアウェレ。
レアウェレは昨年の早稲田戦の逆転の立役者だった。
24分、トヨタ、PG成功、28-24。
試合時間残り15分で4点差に迫る。
28分、早稲田がトヨタゴール前まで攻め入るも、なんとレアウェレがゴール前でクイックスローで22mまで戻す。
ロスタイムは2分。
31分、トヨタ:フラベル戻り15対15となる。
1トライとればトヨタが逆転。
世界のTOYOTAの突進が早稲田ゴールラインに迫る。
早稲田はインゴールを背負って横一線に構える伝統のスタイル。
ひたすら繰り返されるトヨタの狂気のタックルと早稲田のソンビリムーブ。
早稲田の15名は耐えに耐えた。
フラフラになりながら無意識で戦った。
骨折している者が3名いた。
そしてついに迎えたノーサイド。
早稲田vsトヨタ自動車 28-24。
トヨタ自動車ヴェルブリッツはトップリーグ4位。
社会人トップレベルのチームに学生が勝つのは18年ぶりの快挙だった。
2006年2月14日、早稲田大学ラグビー部は、東芝戦へ向け練習を再開。
日本一を目指し、再び走り始めた。
そしてミーティングで、戦い方やそれぞれのイメージを統一した。
2006年2月19日、日本選手権準決勝 早稲田vs東芝府中ブレイブルーパス。
トヨタに勝ってラグビーの歴史を変えた早稲田のさらなるチャレンジ。
しかし待ち受けていたのは、体感したことのない分厚くて硬い壁だった。
前半、早稲田フォワードは魂で東芝のモールを止めた。
バックスも意を決して前へと出た。
それでも東芝の大きさ、強さ、痛さ、勤勉さ、意識の高いプレーは如何ともしがたかった。
トヨタに勝ったことで大きな壁を乗り越えられたと思ったが、その先にはもっと高い壁があった。
時間の経過とともに早稲田の夢は遠のいていった。
それでも後半30分過ぎ、ここまで得点0の早稲田は、東芝府中のゴール前でマイボールスクラムを得て、スクラムをプッシュ。
なんと早稲田フォワードは日本最強といわれる東芝フォワードをめくり上げた。
佐々木キャプテンがボールをすくい上げるタイミングが合わず、惜しくもトライにはならなかったが、あわやスクラムトライという場面だった。
しかしこれが最後の見せ場だった。
ノーサイドの笛が終わりを告げた。
早稲田 vs 東芝府中ブレイブルーパス、0-43。
完敗。
「俺についてこい。」
すべてはこの清宮の言葉からはじまった。
それか丸5年。
早稲田は伝統の上に新たな力を加え劇的な変化を遂げた。
関東対抗戦、5年連続全勝優勝。
NZU(ニュージーランド学生代表)に勝利。
オックスフォードに初勝利。
3度の学生日本一。
打倒・トップリーグ。
枯れるほど流した血と汗と涙。
たくさんの笑顔。
この5年間は、いつも夢と希望に満ちていた。
物語は続く
2006年2月27日、大学選手権2連覇を成し遂げた早稲田フィフティーンのうち、前田航平、矢富勇殻、曽我部佳憲、今村雄太が、3月にフランスで行われる日本代表の合宿メンバーに選ばれた。
大学チームから4人選ばれるのは前代未聞のことだった。
そして清宮克幸は、早稲田大学ラグビー部監督を退いた。
新監督は、タマリバクラブの中竹竜二だった。
また清宮は、サントリーサンゴリアスの監督に就任。
早速、主将に山下大悟を抜擢。
佐々木隆道、青木佑輔の早稲田勢、関東学院大学の主将をつとめた有賀剛らを補強した。