清宮克幸に関する記事


清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督5 「NOTHING TO LOSE」

清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督5 「NOTHING TO LOSE」

2004年度、早稲田大学ラグビー部は、全国大学選手権で優勝。 日本選手権でも社会人チーム:タマリバクラブを撃破したが、トップリーグチーム:トヨタ自動車には惨敗した。 2005年度の目標は、「打倒・トップリーグ」だった。


清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督4 「荒ぶる」

清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督4 「荒ぶる」

2003年度、全日本大学選手権決勝で、関東学院にリベンジを許し、王座から引きずり降ろされた早稲田大学ラグビー部は、2004年度、大学日本一を取り返すことを誓った。「荒ぶる」は復活なるか?


清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督3 「RAISE UP」

清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督3 「RAISE UP」

2002年度の全国大学選手権で、13年ぶりに優勝した早稲田大学ラグビー部は、新スローガン「RAISE UP(レイズアップ)」を掲げ、オールブラックス(ニュージーランド学生代表)に勝った。 しかしシーズン途中、イラク日本人外交官射殺事件が起こり、よき先輩であり、最強のスローガン「ULTIMATE CRASH」の生みの親でもある奥克彦が殉職され、「やはり俺たちには、アルティメットクラッシュしかない」と気づく。 そして社会人チームに勝利するという16年ぶりの快挙を成し遂げた。


清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督2 「ULTIMATE CRASH」

清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督2 「ULTIMATE CRASH」

2001年度の全国大学選手権決勝で関東学院大学に敗れた清宮ワセダは、「ULTIMATE CRASH(アルティメットクラッシュ)」を掲げ、爆発。 早稲田大学ラグビーが通った後はぺんぺん草も生えないような、究極的な強さを目指し、2002年度の全国大学選手権決勝戦で、関東学院を破って、13シーズンぶりに全国大学選手権で優勝した。 そして早稲田ラグビーフィーバーが始まった。


清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督1 「OVER THE TOP」

清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督1 「OVER THE TOP」

清宮克幸は、大阪府立茨田高校でラグビーを始め、高校日本代表となった。 そして早稲田大学では、2年生で、伝説の雪の早明戦を勝ち、全国大学選手権を優勝。 そして日本選手権でも社会人チームを破って優勝。 4年生で、主将として全国大学選手権優勝し、日本選手権で神戸製鋼に敗れた。 1990年、サントリーに入社し、ラグビー部主将となり、チームを初の日本一に導き、2001年、早稲田大学ラグビー部監督に就任した。