2004 ULTIMATE CRASH

諸岡省吾
清宮克幸は、「次の主将は、普段から黙々と練習をこなし、努力でレギュラーを勝ち取ったお前のようなタイプがいい」と、2004年シーズンの主将に、諸岡省吾を指名した。
諸岡は決してスター選手ではなかったが、責任感が強く、背中でチームを引っ張るタイプだった。
諸岡は思わぬキャプテン指名に驚愕した。
まさか自分が主将になるとは思っていなかった。
諸岡は、大学選手権決勝で負けた悔しさ、清宮が目に焼きつけておけといった関東学院の喜ぶ姿をしっかりと心に残していた。
そして関東学院を見返すにはどうすればいいかを考え、1人1人が1日1日勝負して部内で激しい競争をするという答えに行き着いた。
そして日々勝負して必ず大学日本一を取り返すことを誓った。
2004年3月27日、 上井草で2004年度ファーストミーティングが行われた。
「過去3年を超えるチームになろう。」
清宮は前年度の課題とその対策をきめ細かくレクチャーし、2004年度の方向性を具体的に示した。
チームスローガンは「ULTIMATE CRUSH」
2時間超のミーティングで全員意を新たにした。

そして日々、地道なトレーニングが反復された。
フィットネス、ウェイト、ハンドリング、ボール継続、・・・
これでもかとスキルアップトレーニングが繰り返された。
ジョニー・ウィルキンソンと五郎丸
2004年7月8日、ジョニー・ウィルキンソンが、アディダス主催のアジアツアーの一環として来日し、上井草グラウンドでキッククリニックを開催した。
ジョニー・ウィルキンソンは、ラグビー強豪国のイングランドで、実力とルックスの双方を持ち合わせたスーパーエース。
177cm、86kgと小柄ながら、強力なタックルとワールドクラスのキックを武器に得点を重ね、勝利に貢献する。
そのキックは右・左どちらからでもOKで対戦相手にとっては脅威である。
2015年、ラグビーワールドカップ、イングランド大会で、日本代表の五郎丸歩(早稲田大学ラグビー部出身)が、キックを蹴る前に両手を合わせ指を立てる独特のポーズが注目された。
これはジョニー・ウィルキンソンを参考にしたものである。
夏は20%アップ

2004年8月、今年の夏合宿は、早稲田ラグビーの後援者からのプレハブを寄付してもらい、それを菅平のグランドの一角に設置した。
そして上井草からトレーニング機材を10t車で運搬し、現地で選手たちがセッティングし、即席のストレングスルームを設営した。
連日、通常の練習をこなした上に、このスペースを利用しトレーニングし、さらに体をいじめた。
これにより夏の合宿の成果が飛躍的に上がった。
かつては合宿ではウエイトトレーニングができなかったため、体を一回り小さくして東京に戻っていたが、今度は逆に夏合宿中に20%くらい体を大きくできるようになった。
初対決から52年、12度目のチャレンジで初めてオックスフォード大にWin

大きなストライドでゲインする五郎丸歩
早稲田ラグビー写真館2004秋(早稲田 VS オックスフォード)
初対決から52年、12度目のチャレンジで初めて、早稲田大学ラグビー部はオックスフォード大に勝った。
この試合は、『奥克彦メモリアルマッチ』と銘打たれ、
「頼む、勝たせてくれ。奥さんの墓前に報告に行くことになっているんだ。」
と清宮は選手にいった。
前半は10対9。
「お前ら、やりたいことができずに1点差だぞ。
いけるだろ。」
後半3分、ペナルティーゴールで点差を広げる。
6分、伊藤雄大の強烈プッシュから継いで会心のトライ。
奥への思いを爆発させるような一気の仕掛けで悲願の初勝利を手繰り寄せた。
52年前の初対決は、アウェーでドロップゴールを決められ逆転負け。
2年前の上井草オープニングマッチではドロー。
そして53年目、12度目のチャレンジでついに25対9。
またひとつワセダラグビーの歴史を塗りかえた。
その後も早稲田大学ラグビー部は、関東大学対抗戦を勝ち進んだ。
2004年9月25日、早稲田 vs 立教、92-0。
2004年10月3日、早稲田 vs 青山学院大、79-0。
2004年10月10日、早稲田 vs 日体大、88-3。
2004年10月30日、早稲田 vs 筑波大、66-13。
トップリーグへ出稽古

2004年11月2日、早稲田大学ラグビー部は東芝府中ブレイブルーパスへの出稽古した。
トップリーグとの練習は今季初だった。
フォワードとバックスに分かれて練習し、バックスは早稲田バックスvs東芝バックスのモール練習、フォワードは早稲田フォワードvs東芝フォワードのスクラム練習。
早稲田はとにかくトップチームの大きさ、重さには苦しんだ。
荒ぶる

2004年11月13日、早稲田 vs 帝京、42-17。
2004年11月23日、早稲田 vs 慶大、73-17。
2004年12月5日、早稲田 vs 明治 49-19。
と早稲田は関東大学対抗戦を4年連続対抗戦全勝優勝。
続く全国大学選手権も
2004年12月19日、早稲田 vs 流通経済、84-13。
2004年12月26日、早稲田 vs 大東、49-12。
2005年1月2日、早稲田 vs 同志社、45-17。
と勝ち進んだ。
そして2005年1月8日、全国大学選手権決勝戦で関東学院戦に挑んだ。
すべては2004年1月17日から始まった。
あんな思いはもう2度としたくない。
早稲田の進むべき道が決まっている。
試合前日、清宮克幸は寄せ書きの中心に
「荒ぶる」
と力強く筆を入れた。

2005年1月9日、全国大学選手権決勝戦、早稲田大学 vs 関東学院大学。
早稲田ボールでキックオフ。
先手必勝、チャレンジャー早稲田は最初からガンガンいった。
前半3分、スクラムからサイドを鮮やかに切り崩してワイドアタック。
「この肩がどうなったって構わない。」
と内藤慎平が決死の覚悟でインゴールへ飛び込んで早稲田が先制。
前半32分、スクラムから右サイドアタックで五郎丸歩が爆走しトライ。
12-0。
前半36分、関東学院の北川忠資が相手キックをチャージし、そのまま中央へ持ち込み12-7。
後半9分、関東学院は早稲田のスクラムから出たボールをインターセプト。
追いかける早稲田選手の頭上を越えるパスを関東学院の北川智規がキャッチ。
そのまま中央にトライ。
ゴールも決まって12-14と関東学院が逆転。
国立の早稲田ファンに甦る1年前の悪夢。
しかし後半13分、早稲田:安藤栄次がリードを奪い返し、19-14。
後半17分、早稲田:内橋徹がターンオーバーから60mを激走。
後半39分、早稲田:今村雄太が関東学院の選手を次々に抜き去りダメ押しのトライ。
31-14。
ロスタイムは2分。
関東学院はあきらめなかった。
ボールを継いで、継いで、北川智規がボールを持って右端に飛び込み、31-19と追い上げたところでノーサイド。
国立の空に「荒ぶる」が鳴り響いた。
試合後、優勝パレードが開催された。
阿佐ヶ谷駅前から杉並区役所へ向け行進。
商店街の人々は声をあげて大歓迎した。
清宮監督は度々どこかへ連れ去られてしまった。
トップリーグ撃破ならず

早稲田大学 vs タマリバクラブ
「もういいやと思っている奴が1人でもいたら絶対に勝てないぞ!」
日本選手権まで1週間を切り、練習に熱が入った。
2005年2月5日、ラグビー日本選手権1回戦 福岡サニックスボムズ vs 関東学院大学。
関東学院は来シーズントップリーグに復帰するサニックス相手に一時は10点リードを奪った。
しかし最後はサニックスが終盤に3連続トライを奪って逆転した。
日本選手権1回戦 早稲田大学vsタマリバクラブ。
タマリバクラブは、高校や大学を卒業後、強豪社会人チームや大学でプレーをする道を選ばなかった、そういう機会に恵まれなかった、でも真剣にラグビーがしたい、ラグビーがうまくなりたい、そんな想いを持ったラガーマンの欲求に応える場として作られたクラブ。
だからラグビーのキャリアやレベル、仕事や年齢もバラバラで、様々なバックグラウンドを持った人間の集まっている。
チーム名は、ラグビーを愛好する者たちの「溜まり場」と、練習場所だった「多摩川 (Tama River)」沿いのグラウンドの2つの意味が込められている。
そしてタマリバのキャプテンは早稲田卒のトツこと中村喜徳である。
監督は、中竹竜二。
早稲田大学ラグビー部では、3年生まで公式戦出場経験がなかったにもかかわらず、部員の信望の厚さから主将に選出され、三菱総研で働きながらタマリバクラブの監督をしていた。
中竹は清宮の後、早稲田大学ラグビー部監督に就任する。
早稲田のキックオフ。
前半4分、早稲田ゴール5mでタマリバボールラインアウト。
タマリバは15人全員が並び奇策を講じるが得点には結びつかなかった。
前半11分、中央付近左サイドから早稲田がクイックスローイン。
1度右サイドまで運び左サイドへ大きくボールを運び、五郎丸のパスからラックを形成し、左サイドラインを走りこんでトライ。
五郎丸のゴールキックも成功し、7-0。
前半35分、タマリバ陣内22m左サイドから早稲田ボールラインウト。
五郎丸から右タッチラインを走りこんで来た田中がスピードでタマリバディフェンスをかわし、まわり込んでほぼ中央にトライ、12-0。
前半38分、早稲田が自陣深くから蹴り上げたハイパントが風に流れてインゴールへ一直線。
これを早稲田がハンブルしてタマリバゴール前5mでスクラム。
スクラムからこぼれたボールを早稲田が押さえて左中間にトライ。
ゴールキックも成功、19-0。
後半2分、、タマリバ陣内10m付近で早稲田がターンオーバー。
ボールが五郎丸に渡ると、五郎丸がここで爆発。
タマリバのタックルを振り切ってポール右にトライ。
ゴールキックも自ら成功させ、26-0。
後半11分、タマリバのペナルティでタマリバゴール前5mで早稲田ボールラインアウト。
早稲田は左から右へ大きく展開、五郎丸がタマリバのタックルをかわし田中へパス。
田中は左隅にトライ、31-0。
後半35分、早稲田、タマリバ陣内22mライン右のラックから出たボールを山中がゴール前にショートパント。
早稲田2人とタマリバ2人がこのボールを競い、手中にした早稲田の坂井がタックルを振りほどき左中間にトライ。
36-0。
後半37分、早稲田は自陣深くから大きくブレイク。
ボールを継ぎ右隅にトライ。
ゴールキックも決まって43-0。
後半41分、中央付近から早稲田がターンオーバーし左隅にとどめのトライ。
ゴールキックはは失敗しノーサイド。
48-0。

2005年2月12日、日本選手権2回戦、早稲田大学 vsトヨタ自動車。
前半11分、早稲田が五郎丸のペナルティゴールで先制、3-0。
前半20分、もう一発、早稲田がペナルティゴール、6-0。
前半28分、トヨタが早稲田ゴール前のスクラムからトライ&ゴールで逆転、6-7。
その後、早稲田は2回ペナルティーゴールと3回のドロップゴールを蹴ったが外してしまった。
社会人と大学生との当たりの強さの差か。
早稲田選手はバタバタと倒れた。
しかしゾンビのように立ち上がって走った。
後半、開始直後、早稲田、安藤栄次がドロップゴールを決め逆転、9-7。
地力で勝るトヨタは早稲田陣内に攻め込むことはできるのだが、トヨタの力の縦攻撃、密集のゴリゴリ攻撃、モール攻撃を早稲田は必死に凌ぎ、トヨタは決めきれない。
後半20分、またも早稲田がペナルティーゴールを失敗。
しかしまだ点数では早稲田が勝っていた。
しかし心理的には不利だった。
理由はトライできていないから。
リードはしていても常に苦しい我慢の時間帯が続いた。
後半30分、残り10分になったところでトヨタ、難波がトライを決めて逆転。
その後、トヨタゴール前でトヨタがペナルティ。
早稲田はキックではなくスクラムを選択。
前のめりで勝負に出る学生に対して、社会人は冷静でしたたかだった。
トヨタのセコベ・レアウエレが、ここから90m切り返してトライ。
セコベ・レアウエレはその後も1トライを決め早稲田にとどめをさした。
早稲田大学ラグビー部諸岡組の戦いは終わった。
見事な「荒ぶる」の復活劇だった。
清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督5 「NOTHIG TO LOSE」