清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督3 「RAISE UP」

清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督3 「RAISE UP」

2002年度の全国大学選手権で、13年ぶりに優勝した早稲田大学ラグビー部は、新スローガン「RAISE UP(レイズアップ)」を掲げ、オールブラックス(ニュージーランド学生代表)に勝った。 しかしシーズン途中、イラク日本人外交官射殺事件が起こり、よき先輩であり、最強のスローガン「ULTIMATE CRASH」の生みの親でもある奥克彦が殉職され、「やはり俺たちには、アルティメットクラッシュしかない」と気づく。 そして社会人チームに勝利するという16年ぶりの快挙を成し遂げた。


Raise Up

2003年1月11日、2002年度全国大学選手権決勝戦、早稲田大学 vs 関東学院大学は、27-22で早稲田が勝ち、13シーズンぶりに大学王座に返り咲いた。

大田尾竜彦

2003年3月15日、2003年度のファーストミーティングが開かれた。
清宮克幸監督は、新キャプテンに、大田尾竜彦を指名した。
そして『Over The Top』、『Ultimate Crash』に続いて、新スローガンを「Raise Up(レイズアップ)」とした。
そこには「昇り詰めろ」「こじ開けろ」「突き抜けろ」「奪い取れ」「掴み取れ」という気持ちが込められていた。
しかしこのスローガンには裏があった。
先のシーズン終了後、清宮は奥克彦にスローガンづくりをメールで依頼していた。
「今の早稲田の選手は満たされ過ぎている。
チームが連覇するためには受身では絶対に勝てない。
選手には挑戦する気持ちを失ってほしくない。
奥先輩に自分の気持ちとそんな感じのスローガンをまた1つつくってほしい。」
奥は、清宮とやり取りをしながらイラクに赴任し、メールのやり取りが途絶えてしまった。
こうしてスローガンづくりは中途半端に「Raise Up」に決まってしまった。

また、これまで築き上げてきた『Victory Chain(ビクトリーチェーン)』の、『高速』『継続』『精確』『独自性』『激しさ』に、新たに『Strength(個々の強さと速さ)』を追加された。
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☆ミッション☆

・ラグビーを通じて世の中に夢と希望を与える
・創造と鍛錬による常勝集団となる
・大学選手権優勝
・ジャパンカップ(仮称)ベスト4

☆チームスローガン☆

・RaiseUp

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オールブラックスに勝ち、関東学院に負ける

2003年4月27日、早稲田大学ラグビー部はニュージーランド学生代表(NZU)と対戦した。
この直前、日本代表がNZUに90点差で負けていたが、早稲田は37対31で勝った。
その後も早稲田は春の練習マッチや定期戦を勝ち進んだ。
周囲は「今シーズンも早稲田が優勝」といった。

しかし2003年6月28日、早稲田は関東学院に50点差以上の差をつけられ大敗した。
関東学院は前年度の大学選手権決勝で早稲田に敗れたから「6月の試合で絶対に勝つ」と明確に目標を定め、早稲田1本にしぼって練習を積み、対策を練り、仕上げていた。
早稲田の弱点を研究し、十分戦略を練っていた。
具体的には早稲田が攻める場所に必ず2人、3人と集中してディフェンスをつけた。
当時の早稲田はスタンドオフのキャプテン大田尾を中心とした半径10mくらいの範囲でムーブをつくっていた。
早稲田は大田尾が動く方向に8割方攻めるという傾向を関東学院は読み、早稲田の攻めをことごとく潰し、ターンオーバーさせた。
関東学院の春口廣監督の戦略は、春の試合で早稲田を倒し、早稲田の選手には関東学院復活のイメージを植えつけ、関東学院の選手には精神的な天井、すなわち早稲田最強というイメージを取り払い、彼らの伸びシロを大きく引き伸ばし、しかも精神的に優位に立ったまま夏合宿でも勝ち、翌年の1月の大学日本一を争うプレーでも、メンタル面で揺るぎないポジションをつかんでおこうというものだった。
1年という長丁場の中の小さな春先の練習試合だったが、春口監督はこの試合を重要視し非常に高い優先順位をつけていた。

イラク日本人外交官射殺事件 やはり俺たちにはアルティメットクラッシュしかない

関東大学対抗戦が始まった。
2003年10月19日、早稲田 vs 日体大、87-33。
2003年10月26日、早稲田 vs 筑波、50-17。
2003年11月8日、早稲田 vs 帝京、64-26 。
2003年11月23日、早稲田 vs 慶応、56-29。
と早稲田大学ラグビー部は勝ち続けた。
そして2003年11月29日、奥克彦が、イラクのティクリートでテロリストの襲撃を受けて死亡した。
奥は、食う、寝る、走る、を繰り返す菅平の夏合宿で、皆がひたすら眠る中、部屋の隅でイヤホンをあて英会話を勉強していたという。
卒業後、オックスフォード大学に留学。
1981年に外務省入省。
2003年4月から在イギリス大使館勤務のままイラクの復興支援業務のため長期出張していた。
「私と奥さんとは学生時代からの付き合いで、特に私が監督に就任してからは、公私に渡ってお付き合いをしていただきました。
私にとって奥さんは良き先輩であり、兄貴分であり、ブレーンであり、最も尊敬する熱い男でした。
色々なことを相談していましたが、最も思い出に残ることは昨年のスローガン・『ULTIMATE CRUSH』を一緒に創ったことです。
英国のホテルで、新年度のスローガンについて相談をし、私のイメージに対して命名してくださったのが奥さんでした。
外交官になるという自らの夢の実現のためにワセダラグビーでの活躍をあきらめざるを得なかった奥さん。
奥さんが命名した『ULTIMATE CRUSH』には、ワセダラグビーに永遠に受け継がれる言葉になりましたよ。
今シーズンもULTIMATE CRUSHすることを誓います。」
(清宮)
「やはり俺たちにはアルティメットクラッシュしかない。」
早稲田大学ラグビー部は、チームスローガンをULTIMATE CRUSH(アルティメットクラッシュ)に戻した。
以前からRaise Up(レイズアップ)は失敗だと感じていた。
アルティメットクラッシュに比べレイズアップは明確な目的、ハッキリした動きがイメージしづらい。
アルティメットクラッシュといえば何をすればいいか具体的にイメージがわくが、レイズアップではイメージが曖昧で選手に伝わらなかった。
前シーズンにはなかった停滞感がチームに漂い、おまけにキャプテン大田尾が怪我をするという不運にも見舞われ、チームは崩れていた。
レイズアップは3月から11月29日までという短い寿命となった。
スローガンを戻すとビックリするほど選手の練習の取り組み方が変化した。

惨敗

早稲田大学ラグビー部は勝ち続けた。
2003年12月7日、関東大学対抗戦 早稲田 vs 明治、29-17。
2003年12月14日、全国大学選手権、早稲田 vs 関西学院、85-15。
2003年12月21日、全国大学選手権、早稲田 vs 京産 67-12。
2003年12月28日、全国大学選手権、早稲田 vs 東海大、38-14。
2004年1月2日、全国大学選手権、早稲田 vs 法政、19-12。
2004年1月10日、全国大学選手権準決勝戦、早稲田 vs 同志社、38-33。

そして2004年1月17日、全国大学選手権決勝戦、早稲田 vs 関東学院。
このカードの決勝戦は3年連続。
過去2年は1勝1敗。
前年は早稲田が勝ったが、下馬評では春と夏、2回行われた練習試合で圧勝した関東学院有利。
ここまで関東学院大はまったく危なげなくリーグ戦制覇、大学選手権も決勝まで、ほぼベストメンバーで駒を進めてきた。
一方、早稲田も危なげなく勝ちはしたが、怪我人が出てから強さがまったくみられなくなってしまった。
準決勝では同志社大にあわや負けというところで何とか勝ち上がった。
曽我部、首藤の1年生コンビは欠場。
キャプテン大田尾もケガで満足にプレイできる状態ではなかった。
同じ3年連続の決勝進出でも大きな差があった。
前半、圧倒的不利といわれたフォワード戦で早稲田は伊藤雄大を中心に互角に渡り合った。
バックスは、大田尾からのパスをトップスピードで受けて、相手ディフェンス陣の隙間からスピードでゲインするという意志統一が図られていた。
ディフェンスも網の目のように関東学院の突破を防いだ。
前半は0-0で折り返した。
後半、関東学院は前半から問題点を修復してきた。
ポイントは「バックス勝負」
フォワードで勝てないことがわかるとバックスで勝負に賭けた。
前半は耐えた早稲田ディフェンスの集中力が切れた一瞬の隙をついて突破、先制トライを奪って7-0。
続く早稲田の攻撃で大田尾のキックが相手の足に当たって不運にもボールを奪われ、そのまま独走トライを奪われ14-0。
ここから早稲田の歯車が狂ってきた。
攻撃も相手陣に攻め込んでからのハンドリングミスでチャンスを何度も潰した。
連続5トライ奪われ万事休す。
終了直前に1トライ返すも、7-33で関東学院に完敗した。
「お前ら泣くな。
上を向け。
関東の奴らの喜んでる姿を目に焼きつけろ。」
(清宮)

社会人チームに勝利 16年ぶりの快挙

2004年、清宮監督就任4年目。
当初の契約期間、3年を過ぎたが、留任が決まった。

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私、清宮克幸は2001年に早稲田大学ラグビー蹴球部ROBクラブより監督就任の依頼を受け、勤務先であるサントリー株式会社の了解を得て、弊部の監督を3年間務めてまいりました。
当初の予定では、2003年度の公式戦日程の終了をもって任期を満了する予定でしたが、これに先立ちまして関係各位との協議の結果、2004年度から2年間の任期延長を認めていただきました。
これまでの毎日が私にとって挑戦の連続でありましたが、今一度この3年間を総括するとともに、新たに与えられた2年間という貴重な機会に全力で取り組む所存です。
私自身の所属会社であるサントリー株式会社のモットーの1つではあります「スポーツの夢と感動を大切にします」の実現を目指し、支えてくださる多くの皆様のご期待にお応えしたいと考えております。
今後とも引き続き、関係各位のご指導とご鞭撻を賜りますよう心からお願い申し上げます。

やります。
雪辱します。

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「リセットしてもう1度やり直そう。」
2004年1月29日、失意の大学選手権から1ヶ月。
試験期間を乗り越え、早稲田大学ラグビー部は、臨戦態勢を整えた。
彼らのシーズン当初からの目標は、社会人を倒しての『日本選手権ベスト4』。
キツい頭の体操を終えた選手たちはこの日、日本選手権へ向け最終調整を行った。
激しいタックル、飛び交う怒号、上井草グラウンドは熱気に包まれた。

伊藤雄太

2004年2月20日、コカコーラ戦の前夜、事件が起きた。
清宮はスタッフと一緒に食事に出て23時半ごろホテルに戻った。
部屋に向かって歩いていると、選手の部屋のドアの隙間から笑い声が聞こえてきた。
フッと覗くと、伊藤雄太がタバコを吸いながらトランプをしていた。
伊藤雄太は、123kgの巨体でありながら瞬発的なパワーもあり、スクラムが圧倒的に強いという長所があった。
しかし前後半を通じて走りきるスタミナが足りなかった。
清宮は、伊藤に短所である持久力の向上を体重を落とさないで行うことを求めた。
そして清宮と伊藤は約束をした。
「今年は最後の年だ。
タバコを止めると約束してくれ。」
伊藤は了承した。
しかし伊藤は男と男の約束を破った。
清宮はその場にいた数人を部屋に帰し、
「もうお前を試合に使わない。」
と伊藤にいい、渡してあった3番の赤黒のジャージを持って部屋に帰った。
伊藤は焦った。
明日は大事な社会人との試合。
しかも負けたら引退。
伊藤は半泣きで清宮の部屋の前で立った。
清宮にとってもこれは痛手だった。
清宮は、伊藤が靭帯を切ってもスタメンで使い続けた。
それほど絶対的な強みを持つ選手だった。
しかし試合の勝敗よりも大事なことを伊藤に伝えなければいけないと思った。

2004年2月21日、 朝、清宮はリザーブの選手にいった。
「お前、3番でスタメン。」
その選手は驚いた。
日本選手権3回戦 早稲田大学vsコカ・コーラウエストジャパン。
前半、開始15分まで早稲田が10点リードした。
しかしその後はコカコーラが次々とインゴールし、前半終了時には10-22でコカコーラが12点リードした。
ハーフタイムで怪我で欠場している太田尾竜彦キャプテンがチームを鼓舞した。
「負けたら本当に最後。
とにかくやらなきゃ。」
後半3分、コカコーラがトライ
10-29。
その差は19点。
ここから早稲田は猛攻を開始。
沈黙していたバックス陣が息を吹き返し速さでコカコーラを翻弄した。
7分、今村雄太がフェアキャッチからの速攻、70mを走り切って独走トライ。
21分、再び、今村雄太が柔らかいランニングで60mを1人旅。
29-29。
同点に追いつく。
清宮はここで伊藤を出した。
「伊藤、行け!」
清宮にいわれた伊藤は、体中からエネルギーを噴出させるような勢いでグラウンドに飛び出していった。
そして相手ゴール前のスクラムで相手を圧倒し、伊藤のプレッシャーがコカコーラの反則を誘った。
30分、早稲田がペナルティキックを決めて逆点。
32-29で早稲田が勝った。
社会人の頂点であるトップリーグには入っていない社会人三地域リーグ6位のコカコーラウエストジャパンだが、学生が社会人を破ったのは16年ぶりの快挙だった。
清宮も、自身がキャプテンの時、神戸製鋼にボロボロにされて負けた。
あのまま伊藤を出さずに試合に負けていたら問題になっていただろう。
しかし約束を守らないことが許されればチームモチベーションは維持できない。
清宮が伊藤に伝えたかったこと。
それはチームのモチベーションを維持する重要さだった。

桑江崇行

2004年2月29日、日本選手権4回戦、早稲田大学 vs ワールドファイティングブル。
ワールドは目標であるトップリーグのチームである。
前半、重いワールドフォワードに早稲田フォワードは低さで対抗した。
「フォワードがしっかり守ってターンオーバーすれば1発でトライが取れると思っていた。」
(桑江崇行)
桑江は、191cm。
高校のときU-19候補に呼ばれるも受験のため辞退。
しかし筑波大学に不合格。
一浪して太って体重111kgで早稲田に入学。
その後20kg減って91kgだった。
3分と26分に、早稲田はペナルティーゴールを決め、前半は6-5で早稲田リードで折り返した。
後半、重厚さで勝るワールドはモール攻撃を仕掛け、7分、12分にトライを奪って9-19。
観客は大きなため息をついた。
「そんなトライ気にするな。
ここからトライを取りに行け。」
(清宮)
しかしここから早稲田は一気のギアチェンジし高速展開で攻めた。
32分、ワールド陣内22mでペナルティーを得ると、ループからロングパスで相手ディフェンスを分断し、インゴールに飛び込みトライ。
ゴールキックも決まって16-19。
1トライ差まで迫る。
35分、早稲田は自陣内のラインアウトからアタックを仕掛けるが、ワールドはそれをターンオーバーしトライ。
このトライが試合を決めた。
その後もワールドがトライを重ね、16-26でノーサイド。
早稲田大学ワグビー部の2003年度シーズンは終わった。
目標だった「大学選手権優勝」、「打倒・トップリーグ」は果たせなかった。
しかし「世の中に夢と希望を与える」ことは最後まで堅持した。

清宮克幸 早稲田大学ラグビー部監督4 「荒ぶる」

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