柔道に関する記事の一覧です。 あなたの記憶をくすぐる懐かしい柔道家・試合・エピソードなどを記事を紹介します。
柔道を語るとき頭に浮かんでくる言葉が「柔よく剛を制す」。この言葉は、講道館柔道の創始者でもある嘉納治五郎(かのう じごろう)の教えの一つです。嘉納治五郎は、明治~昭和にかけて日本にスポーツの道を開いた人物。講道館柔道を開いた他にも、柔道・スポーツ・教育分野の発展だけでなく、日本のオリンピック初参加にも尽力しています。その嘉納治五郎の遺志を継いだ若き柔道家たちが続々と誕生し、日本のみならず世界の人々に感動を与えています。
【訃報】「平成の三四郎」こと、バルセロナ五輪柔道金メダリスト・古賀稔彦さん死去。著名人から続々と追悼のコメントが集まる!
1992年のバルセロナオリンピック柔道金メダリストで、「平成の三四郎」の異名で知られた柔道家・古賀稔彦(こが としひこ)さんが、24日に神奈川県内の自宅で亡くなっていたことが明らかとなりました。53歳でした。
Conde Koma コンデ・コマ 前田光世 講道館を破門になっても海外でホンモノの柔道を続けた男
前田 光世という講道館黎明期の柔道家は、柔道の強さを証明するため、アメリカで異種格闘技戦を行い、皮肉にも、その行為により講道館を破門された。 しかし彼はひたすら自らの道を進み続け、世界を転戦。 最終地、ブラジルでは、グレイシー柔術の起源となった。 現在、海外で育ったホンモノの柔道は、日本に逆輸入され、前田光世の凄さを証明している。
オリンピックの柔道はまさに’64年東京オリンピックから歴史の歯車が回りだした!!
2020年の東京オリンピック開催まで刻々と時が近付いている今日この頃ですね。そこでやはり、日本の選手たちにはホスト国として中途半端な成績は残して欲しくはないと思いますが、とりわけ日本発祥のスポーツとしての柔道に関しては、なおさらのことでしょう。ところで、読者の皆様は、日本発祥のスポーツと言われている柔道が、いつからオリンピックの正式競技になったかご存知でしょうか? 勿論、ご存知の方が多いことと思われますが、実際にそれをご覧になった方は少ないこととお見受けします。そんなオリンピック柔道の黎明期を実際に見た者として、思い出をかき集めて見ることにしましょう。
【柔道】階級差を超えた伝説の戦い。古賀稔彦vs小川直也、吉田秀彦vs小川直也
古賀稔彦と吉田秀彦。二人のオリンピック金メダリストが重量級の世界チャンピオン小川直也と対戦した1990年・1994年全日本柔道選手権大会での活躍を振り返る。 世界を取った柔道家三人の関係値・因縁についても紹介。
吉田秀彦 相手がどんなに大きくても、またどんな格闘技でも逃げることなく真っ向勝負する柔道家
柔道では全日本体重別、世界選手権、オリンピックを制覇。全日本無差別でも2位。総合格闘技ではホイス・グレイシー、ドン・フライ、佐竹雅昭、ヴァンダレイ・シウバ、ミルコ・クロコップ、マーク・ハント、石井慧、菊田早苗、ジョシュ・バーネット、田村潔司、中村和裕らと対戦。そして43歳で柔道の現役に復帰!!!
古賀稔彦 必殺の背負い投げ、絶対に勝つという決意、そして挑戦者として自分と相手に挑み攻め続けた
小が大を制することができるのが柔道。しかしそこには小さな人間が大きな人間に挑んでいく勇気が求められる。古賀稔彦は「絶対に勝つ」と決意しつつも、安全な試合をするのではなく、挑戦者として相手に、そして自分に挑み攻め続けた。
全日本選手権9連覇、世界選手権3連覇、528勝16敗15分、203連勝、外国人選手には1度も負けなかった。