【訃報】「平成の三四郎」こと、バルセロナ五輪柔道金メダリスト・古賀稔彦さん死去。
1992年のバルセロナオリンピック柔道金メダリストで、「平成の三四郎」の異名で知られた柔道家・古賀稔彦(こが としひこ)さんが、24日に神奈川県内の自宅で亡くなっていたことが明らかとなりました。53歳でした。
第一報はこちらです!
古賀さんは1967年、佐賀県出身。小学生の頃から柔道を始め、柔道私塾講道学舎に入門。めきめきと頭角を現し、1988年にはソウルオリンピックで五輪初出場を果たしました。そして1992年のバルセロナオリンピックでは、直前に怪我に見舞われる不運の中、痛み止めを打ち見事金メダルに輝くという快挙を成し遂げ、「平成の三四郎」の異名で柔道界のスターとして君臨しました。その後2000年に現役を引退後は指導者となり、2004年のアテネオリンピックでは愛弟子の谷本歩実が金メダルを獲得。指導者として日本の柔道界を牽引していましたが、昨年より癌のため闘病生活を送っており、このたびの訃報となりました。
著名人から続々と追悼のコメントが!
90年代の男子柔道界を代表する存在であった古賀さん。その突然の訃報には、国内外から多数の追悼のコメントが寄せられています。「YAWARA!」で有名な漫画家・浦沢直樹は「古賀稔彦さんの柔道がなければYAWARA!はありえませんでした」と、古賀さんの柔道に影響を受けていたことを告白。室伏広治も「柔道界のみならず、スポーツ界に残された功績は計り知れません」と、故人の生前の功績を振り返っていました。さらに開幕戦の始球式でご縁があったという川崎フロンターレは、チームの公式ツイッターで古賀さんの冥福を祈りました。
「平成の三四郎」の遺志を継ぐ、子供たちの活躍!!
日本の柔道界に多大なる功績を残した古賀さんですが、3人のお子さんがおり、長男の颯人、次男の玄暉、長女ひよりはそれぞれ柔道の道へ進み、颯人は2015年の東アジア選手権団体戦73kg級で金メダル、玄暉は2019年のアジアパシフィック選手権60kg級で金メダルをそれぞれ獲得しています。長女ひよりも2019年の関東柔道大会52kg級で3位に入賞しており、着々と実力を伸ばしています。
古賀颯人
古賀玄暉
このように、古賀さんの3人の子供が着実に力を伸ばしている現在の柔道界。「平成の三四郎」が亡くなっても、彼らが父の遺志を継ぎ、これからの日本の柔道界を牽引していく存在になることは間違いないでしょう。古賀さんのご冥福を祈るとともに、子供たちの今後の活躍にも期待したいものです!
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