1964年の東京オリンピックは有色人種国家における史上初のオリンピックだった!!
1964年の第18回夏季東京オリンピック聖火点灯風景
なぜ、1964年の東京オリンピックで柔道が正式種目に選ばれたのか??
柔道の開祖・嘉納嘉納治五郎
当時は男子のみで階級も4階級(軽量級、中量級、重量級、無差別級)!!
日本武道館全景
柔道男子のクラス分け変遷図
柔道は各階級で国別に一人づつという制限がある。
昔からオリンピックの柔道を見ていて思ったことは、いくら世界レベルの選手でも、国内で勝ち抜いて、勝ち抜いてやっと頂点に立たなければ、オリンピックには出場できないという非情な現実であろう。フィギュアースケートなどは、規則はあるものの国ごとに複数の実力者が参加可能であるが、柔道は頂点にたった者ただ一人が参加できるのである。これはどうにかならないのでしょうかね??
柔道の一国一階級一人の原則はオリンピックの正式種目に決定された当時より変わっておらず、1964年の東京オリンピック時も下記4階級の4人が出場している。
軽量級(68kg以下) :中谷 雄英(なかや たけひで)選手
中量級(80kg以下) :岡野 功 (おかの いさお )選手
重量級(80kg超) :猪熊 功 (いのくま いさお )選手
無差別級(重量制限無):神永 昭夫(かみなが あきお )選手
柔道界は勿論のこと一般の大人から子供まで、日本の”お家芸”である柔道であるが故に、全階級の金メダルは当然の雰囲気と受け止めていたのである。
“広島の姿三四郎”の異名をとった中谷 雄英選手
東京五輪当時の中谷 雄英選手
マスコミから「昭和の三四郎」と称された岡野 功選手
東京五輪当時の岡野 功選手
壮絶な最後を遂げてしまった猪熊 功選手
東京五輪当時の猪熊 功選手
東京五輪当時の神永昭夫選手
ヘーシンク選手と神永選手の試合の様子
ヘーシンク選手の左袈裟固め