伊集院静と近藤真彦、井上堯之と萩原健一。
深い関係性をもつ二組の男たち。
この曲を作ると決まった時、伊集院静はかつての自分と重なる近藤真彦へ。
そして、井上堯之は自由奔放で危なっかしい弟分の萩原健一へ。
作詞家と作曲家が別々の相手への思いを込めて作った曲なんではないかと思える。
近藤真彦と萩原健一とでは支持していた世代も異なり、経歴などによっても好みが別れるところだろう。
どちらの方が好きだ、嫌いだ。どちらの方が上手い、下手だ。というのは簡単かもしれない。
しかし、この歌の詞と曲を作った男たちとの繋がりを知ったうえで改めて聴いてみると、また違った趣を感じることができるのではないか。
この文章を読み終えたとき、もう一度『愚か者』・『愚か者よ』を聴き比べてみたくなってもらえたら幸いである。
伊集院静の自伝的小説『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』
2014年に伊集院静が発表した自伝的小説『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』。
彼が『愚者』と呼ぶ男たちの物語は、歌の『愚か者(愚か者よ)』の世界観と通じるところを感じる。