実は競作だった『愚か者(愚か者よ)』
デビューから7年、アイドルから大人の歌手へ変貌途中だった近藤真彦が歌い、日本レコード大賞を受賞した曲として知られている『愚か者』。
だが、この曲は『愚か者よ』というタイトルで同時期に萩原健一もリリースしていたことはあまり知られていない。
飲んだくれの歌であり、どこか『ワル』の匂いを感じさせる『愚か者(愚か者よ)』。
アウトローとして強烈な個性を放った両者の歌唱動画と、この曲にまつわるエピソードを紹介。
近藤真彦『愚か者』
ヤンチャなアイドルというイメージだった近藤真彦がオトナの歌手へ路線変更することに挑戦した一曲。
何度も候補にあがりながら逃していた念願の日本レコード大賞をこの曲で受賞。
この『日本レコード大賞』受賞の際に、前年に事故死した母親の遺骨が墓から盗まれ、返してほしければ「レコ大受賞を辞退せよ」と脅迫される事件が起きた。
マスコミに発表したのは翌1988年の年初で、遺骨は未だ近藤の元に返ってきていないという。

近藤真彦『愚か者』
【アイドル界のアウトロー】近藤真彦

『3年B組金八先生』出演時の近藤真彦
「ロケ先のホテルに暇だからビリヤード台を入れさせた」、「寮の玄関から自分の部屋までバイクで移動した」など数々のマッチ伝説を「そういうこともありましたね…」と認めている。
人気絶頂期にレーサーへ実質的に転身し、数々の実績を残した。
【動画】近藤真彦の歌う『愚か者』
それまでの若さや勢いを強調したアイドル風の曲とは異なり、丁寧に歌い込んでいる近藤の姿が印象的であった。
この曲をきっかけにその後も6月に「さすらい」、9月に「泣いてみりゃいいじゃん」と大人の男を強調した曲を発表し、アイドルからの脱皮を遂げた。
萩原健一『愚か者よ』
近藤真彦が『愚か者』をリリースするより約3週間後の1987年1月21日にリリース。
タイトルは『愚か者』ではなく、『愚か者よ』。
また、歌詞の一部と編曲者が異なり、萩原の『愚か者よ』は井上堯之が作曲と編曲を兼ねている。

萩原健一『愚か者よ』
【芸能界のアウトロー】萩原健一

『太陽にほえろ!』出演時の萩原健一
萩原健一のアウトロー具合は桁が違う…。
破天荒すぎるショーケンは道徳や法の枠すらはみだし、過去に何度も事件や事故を起こしている。
1983年04月 自宅で大麻使用。懲役1年、執行猶予3年。
1984年02月 酒気帯び運転による人身事故で業務上過失傷害で逮捕
1985年12月 フライデー記者に暴行。告訴されるも不起訴処分。
2004年10月 車でバイクをはね重傷負わせる。業務上過失致傷で現行犯逮捕。
2005年02月 映画出演料めぐる恐喝未遂で逮捕。
また、2010年にモデルの冨田リカと結婚した萩原健一だが、小泉一十三(モデル)、いしだあゆみ、ヘアメイクの女性、さらに事実婚だった倍賞美津子を含めると5度の結婚を経験している。
<追記>
2019年3月26日、消化管間質腫瘍(GIST)のためお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。
【動画】萩原健一の歌う『愚か者よ』
初めてショーケンの歌を聴いた人はビックリしたに違いない。
何度聴いても「おおぉ…」と言葉を失うぐらいの破壊力がある。
Youtube上のコメントにおいても「神がかってる」「理屈じゃない」「元祖カリスマ」から「いまじゃ放送事故レベル」「ただの下手くそ」「聴いてがっかり」まで賛否が完全に別れている。
かつて、萩原健一はジュリーこと沢田研二とオールスターバンド『PYG』でツインボーカルを張っていた。
その相棒・沢田研二と自身を比較して、『(沢田研二は)ぼくのように決して自ら自己主張せず、誰かが創作した歌を与えられ、それを誠実に歌う・・・・歌の貴公子です。おれは違う。自分のイメージは自分でつくって、たとえ与えられた歌でも歌いたいように歌いたい。自分は創作家であって、創作をしたかった。』と自著で語っている。
『愚か者(愚か者よ)』はどちらがオリジナルで、どちらがカバー?
近藤真彦の方がリリースが早く、レコード大賞受賞などで著名であった印象から、萩原健一がカバーしたという認識の人も多い。
しかし、リリースが早いと言ってもたった3週間ほどであり、近藤の歌を聴いた萩原が「この曲いいじゃん」と思ったとしてもレコーディング期間やリリース準備等を考えれば、到底間に合う期間ではない。
お互い相手がこの歌をリリースすると知っており、どちらがオリジナルでどちらがカバーとは言えない完全な競作だと考えるのが妥当だと思う。
では、どちらのために作られた歌なのか?
それを調べていくと作詞、作曲をした二人と近藤真彦・萩原健一との深い関係性が浮かび上がってくる。
作詞した伊達歩(伊集院静)と近藤真彦との関係性
『愚か者』を作詞をした伊達歩とは、作家・伊集院静の作詞用ペンネームである。
伊集院静はこの『愚か者』の前にも、近藤に『ギンギラギンにさりげなく』、『情熱☆熱風☽せれなーで』、『真夏の一秒』などを提供している。
二人の付き合いはかなり古く、近藤が16歳の時「スニーカーぶる~す」でデビューし、いきなりミリオンヒットを飛ばした。
そのデビューシングルのB面が「ホンモク・ラット」を作詞したのが伊達歩(伊集院静)であった。

伊集院静(いじゅういん しずか)

2015年12月、NHK『SONGS』で対談した二人
作曲した井上堯之と萩原健一との関係性
『愚か者』を作曲した井上堯之は、萩原健一も参加したバンド『PYG』のリーダーであり、萩原が俳優として出演したテレビドラマ『太陽にほえろ!』・『傷だらけの天使』のサントラを手掛けるなど二人の関係はとても深い。
萩原が歌った『愚か者よ』では編曲も行い、先に紹介した動画二つにおいてもギター演奏で参加している。

井上堯之(いのうえ たかゆき)

PYG時代の井上堯之
1990年頃、井上堯之が表現者としての悩みから音楽活動を辞めると宣言した際、萩原健一は「冗談じゃね~!もう歌ができね~じゃないか!」と激怒。
「井上堯之がいなかったら歌えないし、歌う意味がない。」と以降、井上堯之との再会ステージをやるまで13年間も歌の活動を停止していた。
男が男に送った”想い”が詰まった歌、それが『愚か者』
伊集院静と近藤真彦、井上堯之と萩原健一。
深い関係性をもつ二組の男たち。
この曲を作ると決まった時、伊集院静はかつての自分と重なる近藤真彦へ。
そして、井上堯之は自由奔放で危なっかしい弟分の萩原健一へ。
作詞家と作曲家が別々の相手への思いを込めて作った曲なんではないかと思える。
近藤真彦と萩原健一とでは支持していた世代も異なり、経歴などによっても好みが別れるところだろう。
どちらの方が好きだ、嫌いだ。どちらの方が上手い、下手だ。というのは簡単かもしれない。
しかし、この歌の詞と曲を作った男たちとの繋がりを知ったうえで改めて聴いてみると、また違った趣を感じることができるのではないか。
この文章を読み終えたとき、もう一度『愚か者』・『愚か者よ』を聴き比べてみたくなってもらえたら幸いである。
伊集院静の自伝的小説『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』
2014年に伊集院静が発表した自伝的小説『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』。
彼が『愚者』と呼ぶ男たちの物語は、歌の『愚か者(愚か者よ)』の世界観と通じるところを感じる。