Tina Turner

ティナ・ターナー
ティナ・ターナーは「ロックンロールの女王」とも「セクシー・ダイナマイト」とも呼ばれる世界で最も成功した女性ロック・アーティストです。
8度にも及ぶグラミー賞に輝き、歴史上最も多くのコンサート・チケットを売り上げたソロ・ミュージシャンでもあります。
そして、アルバムとシングルの売り上げ枚数は、全世界で合計2億枚を超えているとされています。
今でも現役で活動を続けているティナ・ターナーですが、ミュージシャンとしての経歴は、アイク・ターナーのキング・オヴ・リズムのボーカルとして、1958年に「リトル・アン」の名義での活動から始まります。
ソロとしては1974年のアルバム「Tina Turns the Country On!」からで、栄光の80年代までを辿ります。
Ike & Tina Turner

アイク&ティナ・ターナー
ティナ・ターナーが注目を集めるようになったのは、1960年にアイク・アンド・ティナ・ターナー・レビューとしてのファーストシングル「ア・フール・イン・ラヴ」が発売されてからです。この曲は全米27位というスマッシュ・ヒットを記録し、翌年続いて発売された「イッツ・ゴナ・ワークアウト・ファイン」は全米14位となっています。
順調にシングルをヒットさせ、1966年と1969年にローリング・ストーンズのアメリカ・ツアーをサポートしたことで更に大きな成功へのチャンスを得ることになります。
1969年には、シングル「オウタ・シーズン」、「ザ・ハンター」とヒットを飛ばし、ティナ・ターナーは「ボールド・ソウル・シスター」ではグラミー賞ベストR&B女性ボーカルにノミネートされています。
アイク&ティナ・ターナーとして最も大きなヒットとなった曲は「プラウド・メアリー」でしょう。この曲は全米4位まで上昇し、グラミー賞も獲得しています。
1975年頃になると、アイク・アンド・ティナ・ターナー・レビューの人気は下降線をたどるようになり、同時にコカインの影響もありアイクのティナに対するDVが深刻になってしまったことで1976年にグループは解散してしまいます。
Private Dancer
アイク&ティナ・ターナー解散後、ティナ・ターナーはソロ活動に専念し、1974年「Tina Turns the Country On!」、1975年「Acid Queen」、1978年「Rough」、1979年「Love Explosion」とアルバムを発売していますが商業的に芳しい結果を得ることが出来ていませんでした。
しかし、1984年に転機が訪れます。当時は楽曲提供者もいないほど厳しい状況でしたが、5年ぶりに発売された「プライヴェート・ダンサー」がまさしく起死回生の一作となり世界的な大ヒットを記録したのです。

プライヴェート・ダンサー
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シングル「愛の魔力」は全米1位を記録しましたが、それ以外にも「レッツ・ステイ・トゥギャザー」、「ヘルプ」、「あなたのとりこ」、「プライヴェート・ダンサー」、「雨に打たれて」、「私に振り向いて!」と合計7曲もシングル・カットされそれぞれにヒットしています。
その結果、グラミー賞では「愛の魔力」が最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀女性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞の3部門を独占し、「あなたのとりこ」は最優秀女性ロック・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞しています。
ティナ・ターナーの80年代は劇的な復活から始まったのですが、当時既に45歳だったというのは驚きです。
Break Every Rule
翌1985年は、10年ぶりの映画出演となる「マッド・マックス/サンダードーム」に、アウンティ・エンティティの役で出演しています。この映画は、全世界で大ヒットし、ティナ・ターナーは全米黒人地位向上協会から主演女優賞を与えられました。
また、サウンド・トラックにも「ウィ・ドント・ニード・アナザー・ヒーロー」と「ワン・オヴ・ザ・リヴィング」の二曲で参加しています
「ワン・オヴ・ザ・リヴィング」ではグラミー賞の「最優秀女性ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞」を受賞しています。
そして1986年に満を持して発売されたアルバムが「ブレイク・エヴリ・ルール」です。本作にも「ティピカル・メイル」、「トゥー・ピープル」、「ウォット・ユー・ゲット・イズ・ウォット・ユー・シー」といったヒット曲が収録されており、このアルバムも全世界で大ヒットとなりました。
また、アルバムの発売に先立ち、自叙伝「私、ティナ」を出版していますが、この自叙伝はベストセラーとなり、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムの星を贈られています。

ブレイク・エヴリ・ルール
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Foreign Affair
ライブでの集客は前年に引き続き好調で、1988年1月には、ブラジルのリオデジャネイロ、エスタジオ・ド・マラカナンで、約18万4千人という入場料を支払って集まった中では過去最大のライブを成功させています。このライブはティナ・ターナーのギネス世界記録となっているとのことです。
そして1989年に発売されたアルバム「フォーリン・アフェア」は、セールス的には1984年の「Private Dancer」、1986年の「Break Every Rule」ほどの評価は得られなかったものの、ティナ・ターナーの代表曲の一つである「ザ・ベスト」が収録されています。
もっとも、評価は得られなかったとはいうものの、アメリカではゴールド・ディスクに輝いています。

フォーリン・アフェア
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充実した80年代を終え、90年代に入るとスタジオアルバムは1996年の「どこまでも果てしなき野性の夢」と1999年の「トゥエンティ・フォー・セヴン」のみとなってしまいます。
そしてそれ以降今日までティナ・ターナーの新しいアルバムは発売されていません。
90年代以降も活動は穏やかになったとはいえ、シングル・ヒットは出ていますしライブも行っており元気なところを見せてくれているティナ・ターナー。
ロックンロールの女王としていつまでも君臨して頂きたいものです。