バス・ルッテン  Jumping Splits

バス・ルッテン Jumping Splits

パンクラスでは打撃による「秒殺」を量産。また「打・投・極」の総合格闘技3要素の中でほぼ投げを省き「打・極」という新しいスタイルを確立させた。常に笑顔で明るくノリノリな一面と妙に礼儀正しい一面、そして戦いの中でみせるコワい一面。いろいろ興味深い人だけれど、心が大きくて強いのは間違いないと思う。


バス・ルッテン Bas Rutten

184cm93kg
極真空手2段、
テコンドー2段
キックボクシング、16勝(11KO)1敗1分
パンクラス、キング・オブ・パンクラシスト(18勝(2分以内の勝利14)2敗)
UFCヘビー級チャンピオン
今までの人生の最良のこと:
「赤ちゃんが未熟児で生まれたばかりのときガールフレンドと共にとても重い病気にかかったが命をとりとめたこと」
今までの人生の最悪のこと:
「ガールフレンドと赤ちゃんが瀕死の状態にありオランダの病院で付き添っていたため日本のリングに立てずパンクラスでタイトルを失ったこと」
尊敬する人:
「病気なのに健康な人でも達成できないような目標に到達できた人」
モットー:
「すべてはうまくいく」

すべてはうまくいく?

バス・ルッテンはオランダ南部の町ティルバーフで生まれた。
父は会計士、母はオランダ自然財団で公共関係の仕事をしていた。
兄は全国的に有名な弁護士である。
自身も現在ではファイターとして名声を得ているが、少年時代は重い喘息と全身の湿疹(皮膚病)に苦しんだ。
常に吸入器を持ち、夜は2度起こされて、ひび割れや出血を抑えるために皮膚に薬を塗り、手足に包帯を巻かなければならなかった。
その上、近視で分厚いレンズのメガネをかけなければならなかった。
重度の喘息のため、階段を歩くことや走ること、自転車に乗ることなど呼吸を困難にするようなことは何もできなかった。
たとえ静かに体を動かさないようにしていても、4週間のうち2週間はベッドで休み、1回の呼吸のために闘わなければならなかった。
6歳から14歳まで毎日24錠の薬を飲まなければならなかった。

スパイダーマン

.

病気と孤独の中、彼は漫画のスパイダーマンに夢中になった。
家の近くに小さな森があって、よくそこへ篭った。
何年かするうちに、木登りの達人になり、地に足をつけることなく、木から木に何百mも移動することができるようになった。

ブルース・リー

またバス・ルッテンはブルース・リーの映画を観てマーシャルアーツの魅力にとりつかれた。
ヌンチャクを自分でつくり、そして映画でみた技を練習した。

ずっと憧れていた「普通」の青年

これまでの彼は「普通の少年」ですらなかった。
喘息と皮膚病のため何日も部屋に閉じこもっていなければならなかった。
孤独で寂しく、肉体的にも社会的にもハンディを負った小さな少年だった。
しかしさまざまな出来事が重なり、彼はずっと憧れていた「普通の」青年になった。

病気の許す限り練習し、競技会にも参加した。
痩せた体に筋肉がつくまで時間はかからなかった。
17歳のとき
高跳び、204cm
幅跳び、724cm
100m走、11.2秒
槍投げ、56m
薬を服用しなくてもよくなったため、学習能力は高まり、進学を勧められた。
しかしそれはもう遅すぎた。

ナチュラルマーシャルアーティスト

めざましい回復の後、バス・ルッテンはディスコやバーに出かけた。
たくさんガールフレンドができ、踊ったり、楽しく過ごした。
そして彼は自分がケンカに強いことに気づいた。
過去の彼は、たくさんのいじめや侮辱にあってが、まともに相手をしなかった。
しかし今や、自分からケンカを売ることはないが、誰かに挑まれれば闘った。

バス・ルッテンは極真空手とテコンドーを習った。
彼は天性のマーシャルアーティストだった。
20歳で両方のマーシャルアーツで初段となり、23歳のとき、初めて78kg級のキックボクシングの試合に出た。
その後2年間で16試合をして、うち14回KO勝ちした。
2敗はいずれも強敵で、そのうち1人はフランク・ロブマンだった。

Bas Rutten vs. Frank Lobman

用心棒

バス・ルッテンはレストランが終わると、コックからディスコやナイトクラブの用心棒になって働いた。
用心棒の仕事の1日の給料は、コックの仕事の1週間分より高かった。
しかも休みがとりやすく、格闘技やトレーニングを続けることができた。

根っからのエンターテイナー

遊びで独自の空手をつくったこともあった。
伝統的な空手の動きを含み、かつレスリングやボクシングも組み合わさったものだった。

ギャンブルで借金

27歳のとき、再度、人生の大きな変化を迎えた。

バス・ルッテンはは他の町に移り、徐々に借金を返済しながら、またトレーニングを始めた。

パンクラス 秒殺&ルッテンジャンプで鮮烈デビュー!

チャンスは1年以内に訪れた。
クリス・ドールマンの道場でトレーニングしていたとき、日本の総合格闘技団体「パンクラス」の関係者が何人かがいて、バス・ルッテンを認めたのだ。
スパーリングでバス・ルッテンは、相手を瞬間的でハイキックで倒した。
日本人たちは、その速さと強さに驚いた。
4週間後の1993年9月21日、バス・ルッテンはパンクラス旗揚げ戦のリングに上がり、柳澤龍志を秒殺KOした。

そして彼は勝った喜びを、ジャンプして表現した。
これが「ルッテンジャンプ」である。

パンクラスのチャンピオン(キング・オブ・パンクラシスト)になる

1993年9月21日、東京ベイNKホール で柳澤龍志をKOデビューし
1995年9月1日、日本武道館で鈴木みのるをフロントチョークスリーパーで下しチャンピオン(第3代キング・オブ・パンクラシスト)となり
1996年9月7日、東京ベイNKホールで船木誠勝をKOし王座を防衛するまで
その軌跡を主な試合を動画で!

柳澤龍志を1R 0:43、掌打でKO

パンクラスのチャンピオン(キング・オブ・パンクラシスト)になる

冨宅飛駈を1R、2:03、ボディへの膝蹴りでKO

初代チャンピオン:ケン・シャムロックに挑戦するも1R 1:01 膝十字固めでタップアウト負け。

第2代チャンピオン、鈴木みのるに勝ち、バス・ルッテンは新チャンピオンになった。

伝説のキックボクサーにして、後にUFCのヘビー級チャンピオンとなるモーリス・スミスに勝利。

フランク・シャムロックを、顔面への膝蹴りから、フロントチョークで締め上げ、ドクターストップに追い込みTKO勝ち。

チャンピオンとして挑戦者:船木誠勝を凄絶な打撃で迎え撃ち、最後は膝蹴りでKOした。

パンクラスの王座を失う

1996年、残念ながらバス・ルッテンはパンクラスの王座を失った。

UFC

1997年、バス・ルッテンはとガールフレンドはアメリカに移住した。
ビバリーヒルズで格闘技のインストラクターをして、映画俳優としてもデビューした。
そしてケージ(金網)の中に入ってファイトするための準備を開始した。

1999年1月9日、UFC初参戦となったUFC 18のメインイベントで高阪剛と対戦。
パンチラッシュでTKO勝ちした。

1999年5月7日、UFC 20でケビン・ランデルマンと対戦。
2-1の判定勝ちを収めUFC世界ヘビー級王座を獲得した。

「私は待ち望んでいました。」

振り返って、バス・ルッテンは素晴らしい人生を送ってきたと感じている。

「最初の16年間 私は敗者でした 劇的な変化が起こること以外 いったい何を人生に期待できるたでしょう でも私は待ち望んでいました そしてすべてが意外にも変化したとき 私は人生を十分に生き抜くためにすべての好機を捕らえて飛び込みました それからバランスをとって それまでの生活に欠いていたものを補えたと思えるようになるまで 10年から11年かかったのではないでしょうか 最近日常生活にますます余裕があるのです 安定した関係や目標、すべてのものが心の安らぎとなっています ときどき年月を振り返って ものごとがどう変化したかみることはとてもいいものですね 1997年の春 小学校で6歳から11歳までの同級生との同窓会がありました 近視でやせっぽっちで喘息もちのビン底メガネだった私をいじめていた同級生です 男の子にとって私をいじめることはスポーツのようなものでした しかし同窓会までにはオランダ中の人は 国営テレビのスポーツ番組や新聞や週刊誌で私をみていました しかし明らかに何人かの同級生は チャンピオンのバス・ルッテンが あの弱くハンディを背負ったクラスメイトと同人物だとは信じられなかったようです 私は同窓会の会場に入りふざけて叫びました 「小さなバスだぞ さあ誰が僕を殴るのかな?」 彼らは本当に震えて仕返しをしたがっているのではないかと怖がりました 誰かの後ろに隠れたままの者までいたくらいでした 私は面白くて大声で笑ってしまいました でもある意味ではとても気持ちよかったのです」

レジェンド オランダ格闘家列伝

レジェンド~オランダ格闘家列伝~

フレッド・ロイヤース & クン・シャルンベルフ 著 単行本: 242ページ 出版社: 気天舎 (1997/11)

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