アーネスト・ホースト  まるで踊るようにリズミカル、しなやかで流れるような動き。そして戦慄のKOシーン。

アーネスト・ホースト まるで踊るようにリズミカル、しなやかで流れるような動き。そして戦慄のKOシーン。

アーネスト・ホーストは違う!!ヘビー級のパンチとキックが唸るリングで、まるで踊っているようなリズミカルでリラックスしたしなやかな動きと流れるような技、芸術的コンビネーションで戦慄のKOシーンをみせてくれた。あんな動きができる選手は他にいない。


蹴ることが好きだった

多くのオランダの子供ががそうであるように子供時代のアーネスト・ホーストもサッカーに熱中していた。
サッカーをはじめたのは8歳のときだった。
それはオランダのザーンダムという街に家族で引越してきたときで、以後、サッカー漬けの日々だった。
タイ式ボクシング(キックボクシング)を知ったのは13歳のときだった。
すぐにやってみたいと思ったが、近くにジムがなかった。
アムステルダムにあるジムに通いたかったが街を出てアムステルダムに1人で住むことを親父は許さなかった。
結局、地元にジムができるまで2年間待たねばならなかた。

アーネスト・ホーストの両親はオランダの旧植民地、スリナムからの移民だった。
家族をとても大切にし、
子供には学校でよい成績をとり、夜は遊びに行かず家族で過ごすように教えた。

ソクドージム( Sokudo Gym)

地元にソクドージムができて通うことが許されると、すぐにアーネスト・ホーストはこの豪快なスポーツに魅了された。
サッカーで適用された運動神経はキックボクシングでも発揮された。
しばらく練習するを積むとすぐに試合に出るようになり、10連勝した。

PKA(Professional Karate Association、プロ空手協会)3連敗

PKA(Professional Karate Association、プロ空手協会)から試合のオファーが来た。
PKAはアメリカに本部を置いた組織で
ルールは腰から下への攻撃は禁止
肘と膝による打撃の禁止
ロングパンツとスネ当ての着用も義務づけられていた。
アーネスト・ホーストは試合に備えてトレーニングしたがアーネスト・シモンズに敗れてしまった。
シモンズとの試合の後、PKAのスーパーミドル級世界チャンピオン、ジョ・ニーヴ・テリューのマネージャーから試合のオファーがきた。
数多くのKO記録を持つ百戦錬磨のワールドチャンピオンに試合経験11試合、10勝1敗のアーネスト・ホーストは判定負けした。

ロブ・カーマン

そして続いてロブ・カーマンから試合のオファーが来た。
ロブ・カーマンの生涯獲得タイトルは、
WKA世界ジュニアライトヘビー級チャンピオン、WKA世界スーパーライトヘビー級チャンピオン、IMTA世界ライトヘビー級チャンピオン、ISKA世界ライトヘビー級チャンピオン。
本場タイに乗り込んでムエタイのチャンピオンに勝ち、
対角線の攻撃、必殺のローキック、
独特の風貌、そして車を貸した友人が強盗をしたとき、その友人を反省させるために代わりに刑務所に入るという人間的魅力から、
「キックの帝王」と呼ばれる生けるレジェンドである。

判定で負けたものの、相手は当時、すでにタイ式とキックボクシング界で伝説となっていたあのロブ・カーマン。
相手になろうはずがない若者は周囲の予想を裏切って善戦しカーマンを手こずらせた。

ボスジム Vos Gym

このロブ・カーマンとのファイトの後、アーネスト・ホーストはソクドージムを離れ、ボスジムへ移った。
後にK-1で戦うピーター・アーツがいるチャクリキジムは合わなかった。
目白ジムは理想的だったが、再戦の可能性があるカーマンの在籍しているので無理だった。
ボスジムで良質なスパーリングパートナーに恵まれ、ホーストはさらに実力をつけていった。

サバット(Savate、フレンチボクシング )ヨーロッパチャンピオン

ヨハン・ボス

ボスジムへの移籍は、サバット(フレンチボクシング)との出会いでもあった。
ボスジムのヨハン・ボス会長は、サバットの第1人者で、ホーストはサバットのテクニックを実戦を交えながら身につけることができた。
1988年にはヨーロッパチャンピオンになった。

伝説のロブ・カーマンとのリマッチ

ホーストは着実に試合をこなし実力を上げていった。
しかしロブ・カーマンの影が消えることはなかった。
世界のムエタイの頂点に君臨するロブ・カーマンにリベンジしたいと燃えていた。
そしてそれがついに現実となった。
1990年11月、ロブ・カーマンとの再戦が決定した。

試合はファンが期待していた以上のものとなった。
両者は激しく打ち合った。
ロブ・カーマンはパンチとローキックでアーネスト・ホーストをスリップさせ
アーネスト・ホーストはパンチと膝蹴りでロブ・カーマンを圧倒し、ハイキックをその首にからまるシーンもあった。

判定になったら恐らくアーネスト・ホーストが勝っていた。
しかしロブ・カーマンは強かった。
最後のゴングが鳴るほんの数秒前、アーネスト・ホーストはロブ・カーマンのパンチで倒された。
初めてのKO負けだった。

K-1グランプリ ’93 準優勝

1993年4月30日、アーネスト・ホーストは、K-1の初興行「K-1グランプリ ’93」に出場。
1回戦でピーター・アーツに判定勝ち。
準決勝でモーリス・スミスに左ハイキックで失神KO勝ち。
このKOシーンは日本に衝撃を与えた。

しかし決勝でブランコ・シカティックに右ストレートでKO負け。
準優勝となった。

K-2グランプリ優勝

ライトヘビー級(-85kg)の選手を対象にしたトーナメント、K-2グランプリに出場。
1回戦、マンソン・ギブソンに延長R判定勝ち。
準決勝、アダム・ワットを1R右ハイキックでKO勝ち。
決勝では、チャンプア・ゲッソンリットを4R右ハイキックでKOし優勝した。

189cmで85㎏、K-1では軽すぎる

「K-1 LEGEND 〜乱〜」でブランコ・シカティックと再戦するも、再び2Rに右ストレートでKO負け。

トレーニング

アーネスト・ホーストはスーパーヘビー級(101kg~)、ヘビー級(~100kg)の選手に勝つために休みなくジムに通い、体をつくり、技を磨いた。

月曜日 スパーリングとテクニックトレーニング
火曜日 筋力トレーニングと走りこみ
水曜日 スパーリング
木曜日 休養日
金曜日 ウエイトトレーニングとスパーリング
土曜日 ヨハン・ボスとのミットトレーニング
日曜日 ロードワーク、10階建てのビルの昇り降りをしながらアムステルダムの街を走る

剛腕、マイク・ベルナルドをパンチでKO

K-1 BRAVES '97で、マイク・ベルナルドにダウンを奪われた後、芸術的なコンビネーションで逆転KO勝ちした。

K-1グランプリ ’97優勝(初優勝)

K-1グランプリ’97。
準々決勝で、ジェロム・レ・バンナを右ストレートで1RKO.
準決勝は、フランシスコ・フィリオに3R判定勝ち(2-0)
決勝は、アンディ・フグを3R判定勝ち(2-0)しK-1初優勝を果たした。

拳獣との対決

K-1グランプリ'98では、サム・グレコにパンチで出血させられ2RTKO負け。

一撃、フランシスコ・フィリォのリベンジ

K-1 REVENGE '99でフランシスコ・フィリォに1R失神KO負け。

K-1グランプリ ’99優勝(2度目の優勝)

K-1グランプリ ’99。
準々決勝でアンディ・フグに3R判定勝ち(3-0),
準決勝でジェロム・レ・バンナを右フックで2RKO,
決勝ではミルコ・クロコップを3R左ボディパンチでKOし2度目のK-1優勝。

K-1グランプリ 2000優勝(3度目の優勝)

K-1グランプリ 2000で3度目のK-1優勝
準々決勝、ミルコ・クロコップを延長R判定勝ち(3-0)
準決勝、フランシスコ・フィリオに3R判定勝ち(3-0)
決勝、レイ・セフォーに3R判定勝ち(3-0)

ボブ・サップに2連敗しながら4度目の優勝

K-1グランプリ2002の予選でボブ・サップと対戦。
1Rにサップのパンチをダウン。
立ち上がったものの顔面から出血があり、ドクターストップがかかって1RTKO負け。
しかしセーム・シュルト欠場したため決勝トーナメントに代理出場することになる。
そしてグランプリ決勝トーナメント、準々決勝でボブ・サップと再戦。
ダウンを奪うも2R2分53秒でKO負け。
しかし勝ったボブ・サップが右拳中指骨を骨折し棄権。
代わりにホーストが準決勝に進みレイ・セフォーにKO勝ち。
決勝ではジェロム・レ・バンナにKO勝ち。
見事4度目の優勝を果たし、4タイムス・チャンピオンとなった。

セーム・シュルトとの新旧王者対決

2005年はアトピー性皮膚炎と膝の怪我のため、K-1グランプリのトーナメントを欠場。
そして2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!で11月19日にK-1王者になったばかりのセーム・シュルトとの新旧王者対決。
1Rにシュルトの膝蹴りでダウン。
立ち上がったものの左目尻をカットし出血していたためドクターストップがかかり無念のTKO負け。

波乱のオランダ引退試合

2006年5月13日、K-1グランプリ2006 in アムステルダムでアーネスト・ホーストのオランダ国内引退試合を行われた。
しかし対戦予定だったボブ・サップが試合直前になってボイコット。
地元テレビの解説者として来ていたピーター・アーツが急遽、代理出場することになった。
セーム・シュルトのトランクスを借りてリングに上がったアーツにホーストは判定勝ちした。

5タイムス・チャンピオンならず引退

2006年7月30日、
「9月に行われるグランプリ開幕戦を経て12月2日のグランプリ決勝大会で優勝し、5タイムス・チャンピオンになった上での現役引退を目指す」
と発表。
グランプリを優勝したら引退、またそれまでに誰かに敗れても引退するという。
そしてK-1グランプリ2006の決勝トーナメント準決勝でセーム・シュルトに3R判定負けした。

引退後も Mr.パーフェクト?

Mr.パーフェクトは引退後も忙しく日々を過ごしている

「23年間、 私はトップスポーツマンとして生活しようと決心していました 毎日、2、3時間トレーニングをし 十分に栄養を摂取し 数時間休みました 度を越すようなことなど全くしませんでした 時々は酒を呑みましたが呑みすぎることは本当にありませんでしたよ 二日酔いからの回復には時間がかかりますから、呑みすぎることに価値はありません 2006年、私は戦うことをやめましたが それでも体の絞込みは私にとって優先的でした 実は3kg太ってしまったのですが その数値は問題ではありませんでした そのときの太った尻や腹こそが受け入れがたいものだったのです 多分、単なる虚栄心だと思いますが 私の気持ちとしては、まだトップアスリートだったのですね もちろん、現役当時ほどキツイダイエットをしているわけではありません 引退こそしましたが、私はまだまだ忙しいですよ 何人かのファイターのコーチをしながら、セミナーやトレーニングセッションなどを開いています 昨年、私はこれまでにないほど長く家を空けました 家族は嫌がりましたけどね 引退したアスリートは、何もやることがなくなって憂鬱になってしまうことがあるのですが 私の場合はやるべきことがたくさんあります コーチとしては、選手のパフォーマンスが気になりますよ 選手の結果次第で、自分の評価も左右されてしまいますからね まだね、アタマの中では現役なんですよ 体の動き、攻撃、試合、対戦相手を「読む」 そして、勝つ まだ忘れられないのです 私はリングの中が好きだった だけど、もう十分やってきたわけです 私は素晴らしい時間を過ごし、多くのことを成し遂げ、自分自身を楽しんできたのですから 自分の求めるすべてを達成したのです まだK-1では4度王者になった選手は出ていませんから十分すぎる成果でしょう スポーツの世界でハイレベルを肉体的に維持するのは大変ハードなことです 私が幸運だったのは、大きな怪我が少なかったことですね 小さな怪我としては、慢性的な足の痛みや、肘がある程度以上曲がらないことや、肋骨や向こう脛の痛みもあります それから、時々忘れっぽくなることもあります 何度も試合で殴られたことが原因なのか 単に年齢的なものなのか・・・・・・ 後は、肌がトラブルの元ですね 肌の病気になってからというもの、かゆみがひどくて でも、これらの小さな怪我は徐々に良くなっているんです なぜなら、今は身体に過度の要求をしなくなりましたし、休息も取っていますから」

レジェンド オランダ格闘家列伝

レジェンド~オランダ格闘家列伝~

フレッド・ロイヤース & クン・シャルンベルフ 著 単行本: 242ページ 出版社: 気天舎 (1997/11)

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