MikeTyson マイク・タイソン 生誕から絶頂期までの記録

MikeTyson マイク・タイソン 生誕から絶頂期までの記録

最強だった。すべてがパーフェクト!神だった。平均寿命25歳の地域に生まれ、少年院でボクシングに出会い、カス・ダマトという師に学び、その拳ですべてをなぎ倒してきた。その生誕から全盛期といわれる1988年までの軌跡と数々の奇跡。


平均寿命25歳

1966年6月30日、
マイク・タイソンはアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区ベッドフォード・スタイベサントに生まれた
母ローナは暴力的な事が嫌いな心優しき人だった
父は未だに行方知れずという母子家庭だった
幼いころ家はイーストニューヨークブルックリン区内、そしてブルックリン区近隣のフォート・グリース等を転々とした
7歳のとき
ブルックリン地区ブローンズビルのアンヴォイ通りにある集合住宅の2階へ引越す
ここはアメリカ合衆国最悪のゲットーと呼ばれていた
ゲットー(Ghetto)とは専用居住区のことで
ニューヨークのこの地区には
ヒスパニック、アジア、黒人のゲットーがあった
アメリカは移民の国であり
アメリカ人とは
アメリカに生まれることではなくてアメリカ人になることなのである
しかしこの中で黒人は
自らの意志でこの国の土を踏まなかった人たちの子孫だった
その背負っている背景は依然として重い
60~70年代にかけて
アメリカ国内で「公民権運動」
そして「黒人の、黒人による、黒人のための・・・」というブラックパワー運動が起こった
80年代には
自らのルーツ(アフリカ)、アイデンティティに根差しすヒップホップやラップミュージックのブームが起こった
ゲットー、特に黒人ゲットーでは
失業、貧困、福祉への依存、勤労意欲の喪失、ホームレス化、犯罪の増加、ドラッグ、家庭の崩壊、未成年者の死亡、スクールドロップアウト、高い喫煙率、刑務所収容者の多さなどアメリカ社会が持つ問題が蔓延していた
ブルックリン在住の作家:デニス・ハミルによると
80年代のこの地域の黒人男性の平均寿命は25歳だという

幼少のタイソンは
大きな近眼鏡をつけた内向的な性格の少年だった
タイソンは動物好きで屋上に自分で小屋を作って鳩を飼っていた
幼いタイソンはその中で静かに過ごすことをこよなく愛する感受性の強い少年だった
近所の不良少年達は彼を嘲笑し虐めた
そしてタイソンが大事にしていた鳩を虐殺した
マイク・タイソンは怒りで我を忘れ
年上の不良グループの少年たちを殴り倒した
彼の拳は瞬く間に悪童達をKOした
そしてタイソンは自分自身の中に潜む強さに気付いた
この出来事以降
一変して悪の道へ転落しストリートファイターとなる
生活は荒み
9歳から12歳の間に51回も逮捕された
そして13歳のとき
タイソンは傷害事件を起こし
ニューヨーク州でも最悪の少年が収容されるトライオン少年院に収監された
ここでも並外れたパワーで3人の教官を次々とKO
両手に手錠をかけられてエルムウッド・コテージの監房に入れられる
ここでタイソンの運命が決定づけられる
ボクシングとの出会いである
監房でカウンセラーをしていたボビー・スチュワートは
1974年に全米ゴールデン・グローブ大会のライト・ヘビー級で優勝した事のあるアマチュアの名選手であった
それを知ったタイソンは彼に会うなり頭を下げた
「オレにボクシングを教えてくれ」
スチュワートの条件は唯一つだった
「真面目に勉強するなら教えてやろう」
スチュワートは
ボクシングを始めたばかりのタイソンの稀にみる非凡な才能に驚き友人に電話をした
その電話の相手がカス・ダマトその人だった

Cus D'Amato(カス・ダマト)

カス・ダマトは
ニューヨーク市ブロンクス区サウスブロンクス、
アイルランドやイタリアからの移民が多く住んでいた地区で育った
幼少の頃、ボクシングと出会い惚れ込んだ
そして街で喧嘩を繰り返すストリートボーイだった
12歳のとき
高校生と喧嘩をして
顔面を凶器で殴られ片目の視力を失った
22歳で
マンハッタン14丁目、ユニオン・スクウェアの近くにあるグラマシー・ジムで
若いボクサーのコーチを始めたとき
すでに白髪、片目、色盲だった
グラマシー・ジムは
ロッキー・グラジアノ、フロイド・パターソン、ホセ・トーレスなど名チャンピオンを多く生んだジムである
カス・ダマトはやがて独立し
自身のボクリング理論で
フロイド・パターソン(ヘビー級)、ホセ・トレス(ライト・ヘビー級)という2人の世界チャンピオンを育て上げた
またダマトが育てセコンドについたボクサーは
誰一人として
試合が原因で死亡したり
パンチドランカーなどの後遺症にはならなかった
ダマトはボクシングのトレーナーでありマネージャーだったが、
なにより良き教育者、ボクサーにとっては人生の師だった
71歳のダマトは
トライオン少年院の南80kmのキャッツキルの警察署の上に小さなジムを持っていた
ダマトはタイソンのスパーリングをみていった
「マイク
もし君がここで私の言う事を素直に聞けば
君は世界チャンピオンになれる」
数週間後、ダマトが保証人となってタイソンはそのもとに引き取られた
「今に欺かれるに決まっている」
それまで白人とつき合ったことがないタイソンは警戒していた
こうしてマイク・タイソン、カス・ダマト、
そしてカス門下生でトレーナー、ケビン・ルーニー による「3人4脚」が始まった

Never Say Can't!!

1981年、カスは法律上のタイソンの保護者となり親子の関係を確立させた
この頃になるとタイソンもカスをかけがえのない大切な人と思うようになった
昼は練習、夜は古今東西のボクシングの映像をみながら
闘う技術や心について語り合った
またカスはタイソンにボクシング以外の事、例えば人生や人間についても語った

「Never Say Can't!!(できないと言うな!!)」 

「高い次元においてリング上の勝敗を決するのは
肉体のメカニズムではなく精神力である」

「物を欲しがり過ぎてはいけない
堕落はそこから始まるのだ
車が欲しいと思う、洒落た家にピアノも欲しいと思う、
思ったが最後、したくない事までやり始める事になる
たかが物の為にだ」 

「ボクシングでは人間性と創意が問われる
勝者となるのは、常により多くの意志力と決断力、野望、知力を持ったボクサーなのだ」

「勇者と臆病者には、大きな違いはない
両者とも同じ様に倒されるのを恐れている
英雄だって、皆と同じように怯えているのだ
ただその恐怖に打ち勝つのが勇者
恐怖に負け逃げ出してしまうのが臆病者だ
英雄は逃げたりしない
最後までやり遂げようとする自制心を持っている
つまり、最後までやり遂げるかやり遂げないかで、人は英雄にも臆病者にもなるのだ」 

「子供にパンチの打ち方や避け方を教えるのは容易いことだ
誰にだって出来ることだ
勝ち負けは頭で決まる
力でも、スピードでも、体力でもない」 

「恐怖心というのは人生の一番の友人であると同時に敵でもある
ちょうど火のようなものだ
火は上手に扱えば、冬には身を暖めてくれるし
腹が空いた時には料理を手助けしてくれる
暗闇では明かりともなりエネルギーになる
だが、一旦コントロールを失うと火傷をするし死んでしまうかもしれない
もし、恐怖心をコントロールできれば芝生にやって来る鹿のように用心深くなることができる」
 
「私は全てのボクサーに同様のスタイルで教える
多くのトレーナーはこれに異論を唱えるが、私は基本原理は同じであるべきだと思う
違いはボクサーの受け取り方によってその後に生じるものだ」
 
「つまるところ、ボクシングの究極の科学というのは、相手が打ち返せない位置からパンチを打つことだ
打たれなければ試合に勝つからだ」 
 
「私の仕事は、才能の火花を探してきて火をともしてやることだ
それが小さな炎になり始めたら燃料を補給してやる
そしてそれを、小さな炎が猛り狂う大きな火になるまで続けてやり、さらに火に薪をくべれば、火は赤々と燃え上がるのだ」

「ボクシングでは人間性と創意が問われる
勝者となるのは、常により多くの意志力と決断力、野望、知力を持ったボクサーなのだ」

マイク・タイソンのトレーニング

マイク・タイソンのトレーニングは週7日

5:00
起床
ストレッチ
約5kmのロードワーク
ジャンプエクササイズ10回
ダッシュ10本
6:00	
エクササイズを終え
シャワーを浴び
再び寝る
10:00
起床
食事
(オートミール)
12:00
リングで練習
スパーリング10R
14:00
食事
(ステーキ、パスタ、フルーツジュース)
15:00
リングで練習
ミット打ち、ヘビーバッグ
エアロバイク60分
17:00
腹筋200回
ディップス25~40回
腕立て伏せ50回
シュラッグ30kg/50回
を10set
ブリッジ10分
19:00
食事
(ステーキ、パスタ、フルーツジュース)
20:00
エアロバイク30分
21:00
TVを観て就寝

1987年に
マイク・タイソンはフランク・ブルノの試合を観戦するため会場を訪れた
そのときのインタビューで上記のトレーニング内容を話した
その際、リポーターがいった
「ブルノはボディビルダーの様なトレーニングをしているよ」
タイソンは答えた
「ウエイトより床運動や自然なエクササイズの方が良い
自分のパンチ力は、ヘビーサンドバッグを殴って作り上げたものだ
ウエイトトレーニングなんてチーズケーキを殴ってトレーニングする様なものさ」
カス・ダマトは13歳のタイソンに非常に重いサンドバッグを叩かせた
そして徐々にサンドバッグを 重くなっていき
18、19歳の頃には大の大人が叩いてもビクともしないような重いサンドバッグになっていた
タイソンは13歳の時、
腹筋は50回もできず
腕立て伏せも13回しか出来なかった
しかし20歳になると
腹筋2000回、
腕立て伏せは500回を毎日こなすようになっていた
マイク・タイソンがウエイトトレーニングを本格的に始めたのは
1991年に刑務所に服役された間のことで
全盛期といわれる1988年まで偉業はウエイトトレーニング無しで達成されたことになる

14歳でアマチュアデビュー

マイク・タイソンは14歳でアマチュアデビューした
そして全米ジュニア・オリンピックで全試合KOで優勝
15歳になると
余りにパンチが強いためスパーリングパートナーに苦労した
そこで当時の世界ヘビー級チャンピオン:ラリー・ホームズのスパーリングパートナーを雇った
そのスパーリングパートナーから15歳のタイソンに出された雇用条件は
タイソンは20オンスの大きなグローブを着用し
スパーリングパートナーは通常の14オンスのグローブを着用というものだった
週給1000ドルという賃金は
カス・ダマトの後援者でありマイク・タイソンの未来に期待したビル・ケイトンやジム・ジェイコブスが負担した

ロサンゼルスオリンピック

そしてロサンゼルスオリンピック(1984年)の金メダルを狙った
しかしアメリカ国内の最終選考会の決勝戦でダウンを奪いながらも判定負け
オリンピック参加は叶わなかった
アマチュアボクシングでは1発の有効打と1回のダウンが同じ1ポイントであり
そのためにダメージやダウンよりポイントを奪い合うポイントゲームになりやすい
タイソンの常にノックアウトを狙う荒々しいファイトスタイルはアマチュアに合わない面があった
タイソンに勝ちロスオリンピックに進んだヘンリー・ティルマンは金メダルを獲得した
2人は後にプロのリングで再戦することになる
タイソンのアマチュアボクシングの戦績は52戦47勝5敗
(この記録外にUSアマチュアボクシング連盟の管理下にない非公式の試合も多く戦っている)

18歳でプロデビュー、カス・ダマトの死

1985年、18歳でプロデビュー
ヘクター・メルセデスに1RTKO勝ち
初戦を白星で飾った
その後11連勝
早い時は9日間で2試合
4ヶ月間で6戦しすべて1RKOで勝った
カス・ダマトには野望があった
それは自分が育てたフロイト・パターソンが持つヘビー級史上最年少チャンピオン記録:21歳11ヶ月を
タイソンが破るという事だった
デビュー当時タイソンは18歳9ヶ月
約2年で世界タイトルを奪取しようというのである

しかしカス・ダマトは
タイソンのチャンピオンベルトをみる事無く肺炎のため他界した
77歳だった
「彼のためでなかったら私は多分もう生きてはいなかっただろう
私は、こう思う
人間は生きてゆく間に心に掛ける人々や喜びの数を増やしていく
それから自然がそれを1つまた1つと奪い去ってしまう
自然はそうやって死への準備をしてくれるのだ
私にはもはや何の喜びも残っていなかった
友人たちは行ってしまった
耳も聞こえないし目もよくみえない
みえるのは思い出の中だけだ
だから私は死ぬ用意をしなきゃならんと思っていた
そこへマイクがやってきたのだ
彼がここにいて、そして今やっていることをやっているという事実が私に生き続ける動機を与えてくれる・・」 
(死の直前のインタビュー)
タイソンの指導はケビン・ルーニーが引き継いだ
ケビン・ルーニーはカス・ダマトにファイターとして、又、トレーナーとしてもコーチされた男であり
タイソンを史上最年少世界ヘビー級チャンピオンに育てるべくコーチを引継いだ
タイソンのデビュー年の戦績は
15戦15勝15KO、そのうち11が1RKO
突然現れたKOボーイはたちまちマスコミの寵児となる

Ali(アリ)とTyson(タイソン) 

ボクシングのヘビー級は世界最強の男を決める場である
だから脚を止めて打ち合い
どちらのパンチが強いかどちらがタフなのかを比べ合った
他の軽い階級においてはスピード、タイミング、フットワークなど技術革新が進んでいたが
それに比べヘビー級は純粋なボクシングの原点を守っている反面、技術的に遅れていた
モハメド・アリは
そういう力まかせに殴り合うヘビー級にスピードを持ちこんだ
リングを大きく縦横無尽にフットワークし
スピードパンチをタイミングよく打ち
蝶のように舞い蜂のように刺した
マイク・タイソンは
そのアリによりスピード化されたヘビー級ボクシングに
本来のヘビー級の醍醐味、倒すか倒されるかというパワーをからめた
スピードはアリのようなリング内を縦横無尽に廻るフットワークではなく
アグレッシブでパワフルなスピードを体現した

デビュー2年目

1986年、
数年の下積みが常識のヘビー級において
キャリア2年目のタイソンはバクチに打って出た

1月11日、デーブ・ジャコ、1RTKO勝ち
1月24日、マイク・ジェームソン、5RTKO勝ち
2月16日、ジェシー・ファーガソン、6RTKO勝ち
3月10日、スティーブ・ゾースキー 、3RKO勝ち
5月.3日、ジェームス・ティリス、判定勝ち
5月20日、ミッチ・グリーン、判定勝ち
6月13日、レジー・グロス、1RTKO勝ち
6月28日、ウィリアム・ホシ-、1RKO勝ち
7月11日、ロレンゾ・ボイド、2RKO勝ち
7月26日、マービス・フレージャー、1RKO勝ち
8月17日、ホセ・リバルタ、10RTKO勝ち
9月6日、アルフォランゾ・ラトリフ、2RTKO勝ち

世界ランカーだったスティーブ・ゾースキー
ポストモハメド・アリと呼ばれていたジェームス“クィック”ティリス
ジョー・フレージャーの息子マービス・フレージャー
タイソンはヘビー級のホープアイドルたちに挑戦しいずれにも勝った
(28連勝)
そしてWBC世界ヘビー級チャンピオン:トレバー・バービックに挑戦状を叩きつけた

vs Trevor Berbick(トレバー・バービック) 史上最年少世界ヘビー級チャンピオンになる

バービックは
無敗の新星グレグ・ペイジを倒したり
アリを破って引退に追い込んだりした大物食い野郎である
試合前の賭け率は1:5でタイソン有利
タイソンは常に黒のトランクスをはくので
バービックは嫌がらせで黒のトランクスをはいて登場した
ルールではトランクスの同色は認められず
色が重なった場合は王者優先である
タイソンは無視して黒のトランクスをはいて登場し罰金処分となった
試合は一方的な展開となった
タイソンの常識外れのパワー、テクニック、スピードの前に
バービックは動くこともパンチを出すこともクリンチすることもできず
僅か335秒で昏倒した
マイク・タイソンはWBC世界ヘビー級王座獲得した
これでデビュー後29連勝
20歳と5ヶ月という史上最年少世界ヘビー級チャンピオンには
ケビン・ルーニーという世界チャンプを育てた史上最年少トレーナーがついていた
ダマトの夢が実現した

vs James Smith(ジェームス・スミス) 2冠王となる

1987年、
マイク・タイソンは2つ目の世界タイトルを獲りに行った
ファンの期待はタイソンが何ラウンドでKOするかだけだった
試合開始のゴングと同時にチャンピオン:ジェームス・スミスは逃げまわり
タイソンが懐に入るとクリンチでかわすという展開になったが
結局タイソンの判定勝ち
WBAヘビー級王座獲得
2冠制覇
タイソンは無類の女好きで
多いときには一晩で24人もの女性と寝たという
前戦のトレバー・バービック戦やジェームス・スミス戦は淋病の治療中だった

vs Pinklon Thomas(ピンクロン・トーマス)

元WBC世界ヘビー級王者、ピンクロン・トーマスに6RTKO勝ち

vs Tony Craig Tucker(トニー・タッカー) 3つ目のタイトル、IBF世界ヘビー級タイトル獲得、統一王者となる

トニー・タッカーに判定勝ちし
3つ目のタイトル、IBF世界ヘビー級タイトル獲得
WBC、WBA、IBFの3団体統一に成功
名実ともにたった1人の世界最強の男となった

vs Larry Holmes(ラリー・ホームズ)

ラリー・ホームズは
かつて無敵を誇った元WBC・IBF世界ヘビー級王者
ニックネームは「イーストンの暗殺者(The Easton Assassin)」
しかしマイク・タイソンは4RKO勝ちした

Robin Givens(ロビン・ギブンス)と結婚

元ファッションモデル、女優のロビン・ギブンスと結婚
(3か月後、タイソンの暴力を理由にロビンは離婚を申請
当時のタイソンの資産は5000万ドルと言われ、資産目当ての結婚ではないかと噂されたが
最終的に1000万ドルの慰謝料で離婚が成立した)

vs Tony Tubbs(トニー・タッブス) 東京ドームで戦う

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