【本名不詳】謎のシンガーソングライター・森田童子

森田 童子(もりた どうじ)

芸名「童子」は『笛吹童子』が由来
ラジオの深夜放送ではサイモン&ガーファンクルをよく聴いていた。
学園闘争が吹き荒れる1960年代後半に高校生になり、東京教育大学の学生運動と交流があった。
だが、1970年に高校を中退、胸の病によって北海道で転地治療することに。
多感な思春期、そして青春時代に『自分は何もできなかった』。
森田童子の歌に漂う空虚感・孤独感はこの時の経験がベースになっている。
そして1972年の夏、20歳の時に友人の死を知らせるはがきが届いたのをきっかけに森田は歌い始める。
この亡くなった友人をモチーフにした曲がデビュー曲となる「さよならぼくのともだち」である。
1975年、アルバム「グッドバイ」、シングル「さよならぼくのともだち」でデビュー。
以後主にライブハウスを中心に活動し、1983年までにアルバム7枚、シングル4枚をリリース。
レコーディングの編曲、演奏はアコースティックギターの第一人者石川鷹彦(元六文銭)が担当した。
森田童子のプロデュースを手がけた松村慶子は、「本人は髪型をポニーテールにして、どこにでもいる少女のような印象でした。でも作品には、聴いているとイメージの扉を開かれて慰撫されるような唯一無二のフィーリングがあったので、絶対に何かある、これは行ける!と直感しました。ただし、その独特の世界は本人が歌わないと響いてこないので、あんたが歌ったほうがいいと説得したんです」と当時を振り返っている。
その松村に対しても、森田は私語をほとんど発することは無かったという。
一部ではカリスマ的な人気を博しつつも森田のファンは全国的に見れば少数で、森田本人がメジャー化を望んでいなかったこともあり、その作品はマスコミなどに表立って紹介されることもなかった。
松田聖子や中森明菜らアイドルが音楽業界を席巻する中、1983年の新宿ロフトでのライブを最後に、森田童子は引退を宣言することなく活動を休止。
当時の所属レコード会社の宣伝プロデューサーだった市川義夫は、「80年代になると、もう自分の居場所はないと思ったのか、新曲を作らなくなった。その意味では、溶けていくように消えていなくなったというのでしょう」と語っている。
活動休止から10年後、ドラマ『高校教師』主題歌に「ぼくたちの失敗」が起用され注目を浴びる。
1993年、テレビドラマ「高校教師」の主題歌に森田童子が1976年にリリースした「ぼくたちの失敗」が使われる。
か細いつぶやくようなボーカルに切ないメロディー。
ドラマが放映される17年も前にレコードへ吹きこまれていた曲だったが、あまりにぴったりはまっていたため、書き下ろしの新曲と思い違いした人も少なくなかった。

ドラマ【高校教師】
【ドラマ最終回シリーズ!】高校教師
男性教師と女子高生が禁断の恋に落ちて行く物哀しいドラマは、レイプシーンなどもあって話題となったが、同時に「この主題歌を歌っているのは誰?」と森田童子が一躍脚光を浴び、レコード会社には連日問い合わせが殺到した。
「僕たちの失敗」は約100万枚の大ヒットを記録。
中高生を中心に新たに多くのファンを獲得し、カラオケでも裏声を出し物真似で「僕たちの失敗」を歌う若者が急増した。
それに伴って発売されたベスト『ぼくたちの失敗 森田童子/ベスト・コレクション』もチャート1位を記録、約27万枚を売り上げた。
しかし、本人はこの騒ぎに対し、現在は主婦業に専念しており、音楽活動を再開する気は全くないとだけ発言し、以降は完全に沈黙を守った。
なぜドラマ「高校教師」の主題歌に森田童子『ぼくたちの失敗』が起用されたのか?
森田童子「ぼくたちの失敗」は、ドラマ「高校教師」の脚本家・野島伸司とプロデューサー・伊藤一尋によって主題歌に使われることになった。

脚本家・野島伸司(のじま しんじ)
森田童子のベスト盤CDに掲載された野島伸司の寄稿文
また、プロデューサーの伊藤一尋は、
「最近、いかにも歌を売らんかなという状況があって、鼻につくものがあった。二人とも学生時代に森田童子を聴いていて、単純に好きだから、という理由で決めた」
「人の弱さをいとおしむように歌う森田童子の音楽の世界観が、ドラマのそれと、まさに共鳴し合っていました。野島さんも、聞きながらドラマの構想を練っていると、イメージがあふれ出てきそうだと意気ごんでいた」と語っている。
森田童子の歌に感じる『闇』や『陰』
友人の死をきっかけに歌い始めたという森田童子の歌には、ひたすら暗く湿った印象がつきまとう。
透明感のあるか細い声、抑揚のない独特な歌唱方法、淋しさと切なさが散りばめられた文学的な歌詞。
そして、素顔が全く見えないビジュアル。
森田童子は、神秘さを飛び越えて、怖さすら感じさせる世界観を持っている。
だが、同時にどことなく懐かしく身近にも感じる不思議な歌手である。

退廃的なジャケットビジュアル
(左)マザースカイ ~きみは悲しみの青い空をひとりで飛べるか~
1976年11月21日リリース
十字架が砕け散るデザイン。
(右)a boy ア・ボーイ
1977年12月10日リリース
倒れた森田童子の腕はロボットのように機械になっている。
死や犯罪の香りが漂う森田童子の歌詞
女性でありながら全て『ぼく』という一人称から歌が始まる。
『ぼく』は必ず漢字でなく、『君』は必ず漢字である。
こうしたところにも森田童子独特のこだわりが垣間見える。
文学的かつ抽象的な表現の歌詞中に、死や犯罪に関するワードをススッと散りばめてくる。
切なさと弱さを感じさせる声で放たれるこれらのショッキングな言葉は、一瞬にして聴く者の心を深淵に繋ぎ止めて離さない。
森田童子 Youtubeセレクション
森田童子の復帰や現在について
2003年、主演・上戸彩によるドラマ「高校教師」の新作が放送され、再び「ぼくたちの失敗」が主題歌として起用された。
これに伴い発売されたベストアルバム「ぼくたちの失敗 森田童子ベストコレクション」に、極秘レコーディングを行った曲が含まれている。
その曲は『海が死んでもいいョって鳴いている』(アルバム「ラスト・ワルツ」)収録の歌詞を一部変更して新規に録音された「ひとり遊び」。
自宅でギター、ピアノ、ハーモニカといった楽器もすべて独りで演奏し収録したという。
20年前とほとんど変わっていない歌声に音楽関係者を始め多くに人間が驚かされた。
20年ぶりに音楽活動を再開した森田童子がメディアに登場するではないのかと期待された。
しかし、この時も森田童子が表舞台に上がることはなかった。
2010年に朝日新聞の記者は、森田童子の消息を知る人を介して「ぼくたちの失敗」がヒットした時に、なぜ再び歌おうとしなかったのか真意を知りたく、対談したいと打診してもらった。
森田の返答は、『とても親しかった人との唐突な死別と自らの病で手紙すら書けないほど憔悴している』というものだった。
以降、謎多きカリスマ・森田童子のコメントや活動内容は全く報じられていない。