世界タイトルへ挑戦
帝拳ジムは
ファイトマネーなどで交渉が困難なライト級(58.967 - 61.235kg)を回避し
S・ライト級((61.235 - 63.503kg)に標的をに変えた
そして浜田剛史の世界タイトル挑戦を発表した
相手はWBC世界王者、レネ・アルレドンド
長身で強打を持つKO率は9割近いボクサーだった
右膝損傷
このタイトル戦発表の直前
浜田は密かに右膝に手術を受けていた
休むことなく毎日行った20kmのロードワークのせいか
拳と同じく自らのハードパンチを打った疲労の蓄積か
右膝の半月板を損傷していた
最初、診た医者はいったという
「立っている事すら信じられない
ここまでどうやって来たの?」
右膝の関節としての安定性が失われ
以前のように強い踏み込みができなくなってしまい
がむしゃらに走ることもできなくなっていた
しかし浜田は右膝のことをトレーナーにも隠し通した
「たとえ拳が砕けようとも、その時、相手が倒れていればそれでいい」
「この試合が終わった後、自分の体がどうなってもいい」
「たとえ拳が砕けようとも、その時、相手が倒れていればそれでいい」
そういう浜田のコンディションは最悪だった
練習中に突然視力が低下し
ミネラルウォーターの栓も締められないほ筋力が低下
階段も四つん這いでしか昇れなくなった
重度のオーバーワークだった
世界戦の1週間前まで練習を禁止し
休養に当てた
浜田は1日22時間眠ったという
帝拳ジムのマネージャー、長野ハルはいった
「彼が世界チャンピオンになれないなら神はいない」
3分9秒の惨劇
膝に不安のある浜田は、
長引けば長引くほど不利であると
ゴングを合図に突進
サポーターをつけた右膝で踏み込んで
いきなり左拳をアルデドンドに突き刺した
そして連打で追い込んでいった
アルレドンドも強気で応戦したが
浜田の右フックが炸裂した
左が使えなかった2年間
変形するまで鍛え上げた右の拳が
空白の2年間の怒りを爆発させたようだった
この右フックが基点となり
連打が決まり
アルデドンドは意識を失いダウンした
わずか3分9秒で夢を叶えた浜田は
テンカウント後もロープに手を掛けたまま全く動かなかった
「膝が痛くて動けなかった」
という
初防衛 「判定勝ちはどんな大差であっても勝者であっても負け」
同年、
世界ランキング5位、ロニー・シールズと対戦
浜田はこれが最後の試合になるだろうと思っていた
それくらい右膝は悪かった
必ずKOで倒すと心に誓ってリングに上がった
しかし2R激痛が走った
右膝を痛めた浜田は思うように戦えず苦戦した
判定で勝ったものの
右まぶたの上を切り血だらけの不本意な防衛だった
試合後、浜田は右脚をひきずりながら走って控え室へ帰った
無様な姿をさらしたくはなかったのだ
その姿はまるで敗者のようであった
自分自身を納得させるため
もう1試合戦うことを浜田は決めた
相手はあのレネ・アルデドンドだった