広島に本塁打の花を咲かせるためにやってきたルイス・ロペス!

ルイス・アントニオ・ロペス(Luis Antonio Lopez)
ルイス・ロペスの獲得タイトルと主な表彰・成績
打点王:2回 (1996年、1997年)
最多安打:1回 (1997年)
ベストナイン:2回 (1996年、1997年)
月間MVP:1回 (2000年9月)
ルイス・ロペスのプレースタイルは?

勝負強い打撃で打点を量産する男
長距離砲として入団したロペスだが、決して本塁打にこだわったバッティングはせず、次につながる打撃。ランナーを本塁に戻す、チームプレイを重んじたバッティングをする選手です。
広島時代には5年在籍した中で、3度100打点以上を叩き出している結果は素晴らしいの一言に尽きます。
ロペスの日本球界に入るまでの軌跡
1983年にメジャーのドラフトで指名されて、ロサンゼルス・ドジャースへと入団を果たしたロペスは、メジャーで活躍した選手ではなく、なかなかメジャーで試合をするチャンスに恵まれない感じで過ごしていました。
1996年に、なかなかメジャー昇格できないロペスは、とうとう日本に来ることを決意して、広島東洋カープに入団します。
広島に来たロペスは
日本に来て、最初のキャンプから合流したロペスは、なかなかバッティングに成果が出ず、結果が出せずにいました。
シーズン中の活躍が危ぶまれたところ、当時の打撃コーチの山本一義コーチと一緒にスイングを矯正したところ、打撃センスが開眼!
1年目から打つわ打つわで、打率.312 25 109打点と大暴れの結果を出しました。打点においてはリーグトップの成績でタイトルも獲ることになるのです。
その2年目も112打点を叩き出し、堂々の2年連続打点王に輝くのです。

大暴れのルイス・ロペス
この来日から、2年連続で打点王のタイトルを獲り、3割100打点と言う記録を樹立した選手は、セ・リーグでただ一人。ルイス・ロペスのみなのです。
チームのためのバッティングに心がける真面目な青年だったが、時にはこんな情熱的な部分もあるのです。
交渉決裂・・・・。しかし、他球団へ。
2年連続で、大記録を叩き出したロペスが望んだその年の契約更改に事件が。。。
広島球団史上、最強の外国人選手とうたわれ、実績も積み、当然、相当な年棒が欲しかったロペスですが、なかなか、球団との折り合いがつかないのです。
素晴らしい記録を作った事実がありますが、そこは広島東洋カープという球団ですので、出したくても出せません。
その結果、当時、主砲を探していた福岡ダイエーホークスと契約し、広島を離れて、福岡に行ってしまいます。

しかし、福岡で、広島時代のような活躍は出来なくて、小久保の復帰に伴って、ダイエーを退団してしまいました。
そして、アメリカの独立リーグへと移籍してしまうのです。
古巣からのオファーに
2000年、長打力が欲しい広島が、ロペスに再オファーを掛けます。
すると、ロペスは復帰を決意し、3年ぶりに広島に。
セ・リーグがあうのか、広島があうのか、わかりませんが、93試合で3割20本塁打88打点と猛打を振るい、翌年には3割30本100打点越えを果たし、広島の主力選手へと見事な復活を遂げるのです。

そして、迎えた2002年シーズンには、打率が4割近い成績で好調だったロペスと前田の間に事件が起きます。
前田が走塁しなかったということで、ロペスが前田に掴みかかるほどの騒動へと発展するのです。
事態を重く見た球団は、ロペスの出場登録を抹消し、10日間の練習も禁止という厳しい処分を下したのです。
そこからか、好調だった打撃は低迷をかき、絶不調へと変わりました。
結果、シーズン途中で広島を退団することになったのです。
引退後のロペスは
引退後は、楽天の2軍打撃コーチなどを務めて、東北楽天や横浜DeNAなどのスカウトも務めた。
陽気な性格と、チームプレーを重んじる性格を広島ファンは愛し、今でも、史上最強の助っ人外人と称賛するほどである。
この後も、第2のロペスのような助っ人が入団することをファンは待ち望んでいるだろう。