中小牧場の夢をのせて
サニーブライアン
父 ブライアンズタイム 母 サニースイフト
父は初年度産駒から歴史的三冠馬ナリタブライアンやオークス馬チョウカイキャロルを輩出するなど
日本の大種牡馬である。
母サニースイフトは現役時代に準オープンクラスまで出世し、オークスにも出走している。
甥には日本ダービー2着のサニースワローがいる
サニーブライアンの故郷、村上ファーム

村上ファームは北海道浦河町にある牧場である。当時、生産馬から重賞勝ち馬を輩出していたが、並外れた成績を出しているわけではなく、いわゆる中小牧場であった。そんな中、「いつかダービーに生産馬を出走させたい」っという牧場関係者の想いが現実になったのが、1987年の日本ダービーだった。生産馬のサニースワローが日本ダービーへと駒を進み、しかも22番人気の低評価を覆し2着に入線した。勝ち馬のメリーナイスから大きく離されたが、村上ファームの人々に大きな喜びと感動を与える出来事であった。
渾身の配合

村上氏はサニーブライアンの母サニースイフトに繁殖牝馬としての大きな可能性を感じていた。そんな期待感もあり、サニースイフトを競走馬として送り出すときに、馬主の宮崎氏に「走ろうが、走るまいが必ず牧場に戻してほしい」と伝えたと言われている。
そんなサニースイフトが繁殖牝馬として村上ファームに帰ってきて、初年度の種付け相手をどの種牡馬にするか迷っていた。そんな時に、親交のあった調教師から「初仔が一番母親の能力を受け継ぐ」という助言と均整の取れた馬体の種牡馬ブライアンズタイムに出会う。当時、ブライアンズタイムは併用から4年目で種付け価格が下落していたといえども、中小牧場である村上ファームにとっては賭けとも思われる種牡馬であった。しかし、その馬体と血統背景に村上氏はブライアンズタイムを種付けすることを決断する。
そうして、生まれてきたサニーブライアンはしっかりとした体つきと全身を大きく使って走る美しい走法に今までにない手ごたえを感じた。
デビュー~クラシック路線へ
村上氏の期待を一身に背をったサニーブライアンは、叔父のサニースワローと同じ馬主の宮崎氏が購入し、調教師も同じく中尾調教師のもとに入厩が決まった。初めてサニーブライアンの走りをみた中尾調教師は「サニースワロー以上の素材だ」っと感じたという。身体的な面でも優れていたが、最も優れていた所は人に従順で素直な気性であった。どんなに優れた能力を持っていても気性が荒すぎて能力発揮できずに引退を迎える競走馬は多い。この従順さが後の偉業への最大の要因となった。
そして、サニーブライアンの主戦騎手には大西直宏騎手となり、牧場・馬主・調教師・騎手の夢が復活したのであった。

大西直宏 - Wikipedia
デビュー戦
サニーブライアンのデビュー戦は東京競馬場の芝1800m戦だった。このレースには日本ダービー馬ウイニングチケットの全妹スカラシップも出走していたが、スタートしてそのまま先頭に立ち逃げ切り勝ちを収めた。主戦騎手の大西騎手はそのレースぶりと根性にクラシックへの手応えを感じた。
遠い2勝目
新馬戦を快勝して、陣営の期待も高まったがその後2勝目を挙げるのに苦労をする。デビュー後2戦目は当時「ノーザンテースト最後の大物」と話題だったクリスザブレイヴ、格上挑戦の府中3歳Sでは「芦毛の怪物」スピードワールドにっと敗戦を続けた。明けて4歳になってもコンスタントにレースを使われていたサニーブライアンは1月のジュニアカップでスタート後先頭に立つとそのまま逃げ切り勝ちを収めた。デビュー戦以来の逃げを見せて2勝目を挙げた。この勝利で大西騎手はある事を確信する。サニーブライアンは道中脚を溜めようとするより、多少無理に逃げてもバテる事無く、ジリジリ脚を使う事が出来る。
「逃げ馬」としての資質を確信したのであった。
前哨戦
ジュニアカップで賞金を加算した次走は皐月賞トライアルの弥生賞であった、この弥生賞ではランニングゲイルの3着となり優先出走権を獲得した。しかし、サニーブライアンはさらに若葉Sにも出走をする。この経緯に関して、調教師の中尾は馬体が絞りにくいためだとしているが、賛否両論がある。
しかも若葉Sでは1番人気で4着と人気を裏切る形となり、その評価を落としてしまう。
皐月賞
大舞台皐月賞の前に、思うような結果を出せなかった事により、周囲では鞍上のせいという風潮がで始めていた。当時の大西騎手はベテランの域であったが成績の面ではマイナー騎手の域を出ていなかった。また、馬主の宮崎氏も毎年数頭を持つ程度の個人馬主で、この時はサニーブライアン1頭のみの所有であり、出来れば有力騎手を乗せ少しでもクラシック制覇への確率を高めたいと思うのは当たり前と思われていた。もちろん、大西騎手と師匠の中尾調教師共にその覚悟を決めていたが、馬主の宮崎氏は「サニースワローの頃からお世話になっている。いい馬が来たからと言って乗り替わりは申し訳ない」と言い、逆に激励をした。
幸運を味方に
今までの経験から皐月賞では「逃げ宣言」をしていた大西騎手は、更に枠順についても外であれば外であるほど良い、出来るなら大外でっと思っていた。一般的には逃げ馬の大外枠は出遅れたときのリスクなどが高く歓迎されないことが多いが、デビュー戦より手綱を取っている大西騎手は虎視眈々と狙っていた。そして、希望通りの18番を引く。幸運もサニーブライアンに味方し始めていた。
予想通りの展開
この年の皐月賞は1番人気にメジロライアンの初年度産駒のメジロブライト、2番人気に父にランニングフリーという渋さに鞍上が武豊のランニングゲイルと父内国産馬が人気となっていた。サニーブライアンは臨戦過程などが嫌われ、11番人だった。
理想ともいえる18番を獲得したサニーブライアンと大西騎手はスタート直後ダッシュ良く飛び出す。1コーナーでは先頭を奪いった。がここで掛かったテイエムキングオーが外から競りかけてくる。大西騎手は相手が掛かっていることを確認すると一度2番手に下げ、相手の脚が上がってきた3コーナー手前で再び先頭に立つ。有力馬は軒並み後方でけん制しあい動くに動けないなか、従順なサニーブライアンだけが理想的なレースを進めていた。4コーナーになってもやっと後続が動き出す。直線にはいり
父親譲りの豪脚で外から追い込むメジロブライト、馬場の真ん中からシルクライトニングと追い込んでくるがサニーブライアンの余力は十分。2着シルクライトニングをクビ差抑えてクラシック制覇を果たす。
口下手で成績が上がらない大西騎手にとって、デビュー18年目にして初重賞が初G1しかもクラシック戦となった。
日本ダービー
皐月賞を制したものの、11番人気での逃げ切り勝ちは「レース展開のアヤ」「フロック」とする声が多く、ダービーへの最有力候補とされることはなかった。そんな中今度はダービー前にプリンシパルSに出走する事が陣営より発表された。皐月賞馬がダービートライアルに出走する事は異例であり、また世間を騒がせた。因みにこの出走に大西騎手は反対であり、体を張ってでも止めるつもりだったと後に語っている。実際にはレース前に他の馬に蹴られ外傷を負った為、出走回避しダービーへ直行となった。
新たなライバルの登場

日本ダービーを前に新たなライバルが登場した。サニーブライアンが出走回避したプリンシパルSを快勝したサイレンススズカだった。サイレンススズカはデビュー時より非凡なスピード能力で大差の逃げ切りを演じており、ダービーでもこの馬が逃げるのではないかと言うものもいた。皐月賞同様「逃げ宣言」をしていたサニーブライアンにとっては他のどの馬よりも同型のライバル出現は恐ろしい存在であった。
勝つための闘い
サイレンススズカというライバル出現に対し、大西騎手はあえていろいろなところで「逃げ宣言」を強調した。また、レースが近づくにつれて強気な発言を繰り返した。サニーブライアンの低評価を逆手に取ったこの作戦は思いのほか成功し、サイレンススズカ陣営は無理に競りかけることを止め、他の陣営にも余計なマークをさせず、2400mの単騎逃げを可能にしていく。
そして、皐月賞と同じく運もサニーブライアンの二冠制覇を後押しする。皐月賞同様18番枠を希望していたが、金曜日の抽選時に大西騎手自身の手で18番を勝ち取る。こうして、レース前から始まる闘いをへて、手応えを感じていた。
確信の日本ダービー制覇
こうして迎えた日本ダービー。大西騎手はパドックでサニーブライアンを見てさらに勝利への手応えを感じたという。「中間順調さを欠いたように見えない完璧な仕上がり」で、それは中尾調教師の執念に近い渾身の仕上げであった。サニーブライアンは6番人気。皐月賞馬としてはあまりに評価が低かったが、サニースワローの2着から10年、生産者の村上氏、馬主の宮崎氏、中尾調教師、大西騎手は悲願達成が近いことを感じていた。
逃げられないサイレンススズカ、後方のままの有力馬
スタート後、大外からサニーブライアンが先手を奪う。続いてサイレンススズカが追う。しかし、それ以上は追いかけず抑え込みにかかる上村騎手、そして皐月賞同様後方に待機をしてけん制しあう有力馬陣営正に、レース前から始まっていた「勝つための闘い」をしていた、大西騎手とサニーブライアンにとって100%の展開となった。サイレンススズカ騎乗の上村騎手はレース後に「なぜ逃げなかったのか?」という質問に対し「サニーブライアンは絶対に退かないと思った、競りかけたら共倒れだと思った」と語っている。
3コーナーを過ぎ後続の馬たちもさすがに動き出す。しかし、マイペースで無理をしていないサニーブライアンは直線を向いても抑えたまま後続を突き放すほどの手応えだった。残り200mを過ぎラストスパートを開始し、最後外からシルクジャスティスは猛追するが半馬身迫ったところがゴールであった。寡黙な大西騎手がゴール板を過ぎ大きくガッポーズを見せた。それほどうれしいものだった。
馬主席でみていた宮崎氏、村下夫妻も抱き合って喜んだという。10年の時を経て関係者全員が喜びを爆発させ分かち合った。
おわりに
ダービー制覇後に骨折が判明し、その後もレースに出走することなく引退したサニーブライアン。小柄で美しいフォームで果敢に逃げる姿は頭から離れない。そして、サニーブライアンの周りには昔ながらの「人」と「人」のつながりを大切にする関係者の想いを感じる。近年は時代も変わり、有力馬の乗り替わりは当たり前となっている。しかし、競馬本来の魅力はサニーブライアンのような血と血の繋がりや、人と人との繋がりなど、一頭に関わる様々な想いがファンを魅了するのだと私は感じてしまう。