プロレスラーになると決めたからには体をつくるしかない
ソフトボールと空手は続けていたから
あとは食べるだけ
弁当のほかに購買部で残ったパンを取っておいてもらったりして
必死に体重を増やした
身長160cmで体重は70kgになった
しかし間が悪いことに
その年の公式オーディションはもう終わっていた
長与は熊本のプロモーターに履歴書を送った
すると別枠でテストを受けることができるようにしてもらい
それまでは「自宅待機」となった
学校は受験勉強のシーズン
長与はお小遣いをためて
クラスの人数分=40本の鉛筆を買って皆に贈った
やがて長与にも
全日本女子プロレスから合格の通知が来て上京することになった
長崎空港には40人以上の友人が見送りにきた
全日本女子プロレス
全日本女子プロレス道場跡地
目黒区にあった全日本女子プロレスは
4階建てのビルで
1階に道場と事務所
屋上に合宿所があった
長与は布団を担いで階段を上っていった
両親も来ていたが規則で入れなかった
合宿所は
焼け跡に建ったようなトタン屋根のバラック小屋だった
中は
2段ベッドが入った四畳半が3間
小さなキッチン
リビング
追いだき式の古いお風呂
長与は声を失った
考えていたのとはあまりにかけ離れた光景だった
練習
トレーニングが始まった
朝は6時に起きてランニング
縄跳び
練習用のリングは
コンクリートの上に厚手のラバーが敷いてあるだけで
その上で徹底的にブリッジと受け身と股割り
押さえ込みと絞め技のみのスパーリングで
長与は何度も落とされた
「参った」の仕方も分からないし教えてくれないから
本当に落ちるまでガマンするしかなかった
2日目の練習の後
動けずグッタリしていると
コーチ(男性)がいった
「全員裸になれ」
15歳の長与を含む全員が上半身裸になってリング上にうつぶせになった
コーチはサロメチールを塗ってくれた
八百屋で野菜の切れ端を10円で
米とトイレットペーパーだけは支給
あとは自腹だった
長与は入寮する時
両親から5万円もらって
その後も月1万円、仕送りしてもらっていた
そんな生活と練習の合間に
電柱に貼るポスター作りの手伝いや
山のように雑用をこなした
プロテスト
大宮スケートセンター
入門から1ヶ月、
興行先の試合会場で会社からいわれた
「プロテストを受けろ」
はじめて上がった試合用のマットは想像以上に軟らかかった
コーチと先輩レスラーが見守るなか
数人でブリッジやスパーリングをした
長与は合格した!
【連載】長与千種「レジェンドの告白」
巡業先では
朝6時に起きて
朝練を1時間半
先輩たちの食事の用意
バスへの荷物運び
会場に着いたらリングづくり
売店の設置
などを行った
デビュー戦
デビュー戦の相手は大森ゆかりだった
年間8試合
デビュー戦を終えたものの、
その後、なかなか試合がなかった
2リーグ制が廃止されA、Bチームが1つに統一され
たとえ年間200大会行われても
選手が多すぎるために
新人が出場できる機会は少なかった
長与は1年で8試合しか出られなかった
長与は寮を出て4畳半で家賃2万円のアパートを借りていたが
家賃滞納で2度追い出された
デビル雅美と長与千種
救ったのはデビル雅美だった
「みっともないからこれで家賃を払ってうちに来なさい」
とお金を渡し
長与を自分のマンションに住まわせた
ライオネス飛鳥とケンカマッチ
ミミ萩原(中)をガードするライオネス飛鳥(左)と長与千種(右)
プロ入り3年
長与は不完全燃焼のまま日々を送っていた
そんなときライオネス飛鳥の持つタイトルへの挑戦が決まったのである
そのころ長与は
蹴りを主体にしたスタイルを完成させつつあったが
「体が小さい特長のないつまらない選手」
一方の飛鳥も、
「強いけれど平均的でつまらない選手」
という評価しかなかった
試合前日、
長与は飛鳥に持ちかけた
「今までにない試合をしよう
嫌かもしれないけど殴って蹴って絞めて反って投げる
どんなにやられても私は立ち上がるから」
長与は
もしずっとこのままなら
プロレスをやめたほうがいいと思っていた
もしかすると飛鳥もそうだったのかもしれない
彼女は答えた
「わかった」
長与と飛鳥の試合は
顔面を張り合い
蹴り合い
投げ合い
関節を極め合う展開になった
まるでケンカだ
場内は異様なムードに包まれた
長与は試合には負けたが
かつてなかった熱狂と興奮を感じた