ドラフト1位指名を受けた全球団に
【5月20日】1990年(平2) 宿命の同期・阿波野秀幸と西崎幸広 50勝に同日到達(野球) — スポニチ Sponichi Annex 野球 日めくりプロ野球5月
95年に巨人に移籍するが、巨人在籍3年間で勝ち星はなかった。
98年には横浜に移籍した。近鉄時代の投手コーチだった権藤博監督のもと復活を果たし4勝を挙げた。この年横浜が日本一を決めた日本シリーズ第6戦では勝利投手となった。
しかし、その後は目立った活躍をすることはできず、2000年10月に戦力外通告を受け現役を引退した。
近鉄のエースとしての記憶は永遠に!
バブル景気時代に都会の男女のライフスタイルを描いた作品群をトレンディドラマといった。登場するのは美男美女であり、視聴者に高い好感を持たれる俳優が出演した。
これに倣って、長身でスリムでイケメンな阿波野秀幸、西崎幸広は、”トレンディエース”と呼ばれた。
阿波野は、プロ入り4年目以降はその輝きを失うこととなったが、当時近鉄にいた鈴木啓示、野茂英雄よりも、近鉄のエースとしての存在感があったというファンの声は多い。
仰木彬監督は、91年に野茂ではなく阿波野を3年連続の開幕投手に抜擢した。また、仰木監督が近鉄で最後の指揮をとった試合でも阿波野を先発投手で使った。このことは、仰木監督は阿波野を信頼していたということの証しだろう。
近鉄ファンにとって「10.19」は永遠の記憶であり、そのマウンドで沈んだ阿波野だったが、翌年の優勝投手となったのも阿波野だった。
阿波野は、近鉄ファンの胸に深く、そして永遠に刻まれる存在である。