臨時株主総会
1983年11月1日、
新日本プロレス事務所で臨時株主総会が開かれ
猪木は代表取締役社長に復帰
坂口も取締役副社長に復帰
大塚博美と山本小鉄は取締役に降格
望月和治はテレビ朝日に戻され
またテレビ朝日から岡部政雄取締役副社長、永里高平取締役専務の両氏が出向
ということになった
元の鞘に収まるかと思われたが・・・
こうして新日本プロレスは元の鞘に収まるかと思われた
しかし結局、
タイガーマスク(佐山聡)と新間寿は新日本プロレスを去り
大塚(営業部長)と加藤、玉木(営業部員)も新日本プロレスを退社
株式会社新日本プロレス興行を設立
これが後にジャパン・プロレスとなり
長州らの大量離脱へとつながっていく
UWF
UWF Universal Wrestling Federation ユニバーサル・レスリング連盟
1984年、
クーデターにより新日本プロレスを追い出された新間は
新日から選手を大量に引き抜き
新団体UWF
(Universal Wrestling Federation:ユニバーサル・レスリング連盟)
を立ち上げるという大胆な計画を立てた
私はすでに数十人のレスラーを確保しました
万里の長城を築く
メディアには
「私はプロレス界に万里の長城を築く」
「私はすでに数十人のレスラーを確保した」
というフレーズも刷り込まれ
出場選手として
猪木、タイガーマスク、長州、アンドレ、ホーガン、前田らの顔が並んでいた
「猪木さんが「俺も後から行くから、先に行ってくれ」と言われたので移籍した」
「猪木さんが「俺も後から行くから、先に行ってくれ」と言われたので移籍した」
(前田日明)
1983 長者番付プロスポーツ部門
1984年4月、
猪木は1983年度の長者番付でプロスポーツ部門で1位(納税額8,268万円)になった
猪木コール、長州コール、藤波コールが起こった
1984年4月11日、
UWFの旗揚げ興行が行われた
埼玉・大宮スケートセンターは観衆3100人(超満員)
しかし
リングにポスターに掲載されていた猪木、ハルク・ホーガン、アンドレ・ザ・ジャイアントなどはおらず
前田、ラッシャー木村、剛竜馬ら新日本プロレスのリングではセミファイナル以下のレスラーたちだった
リングには時に罵声が飛び
時に猪木コール、長州コール、藤波コールが起こった
嵐の船出
こうしてUWFは嵐の船出となった
旗揚げ後、しばらくUWFは路線も定まらない状態だった
しかし
藤原喜明が
高田延彦を引き連れて参加したあたりから方向性が定まり出した
それは道場で行われるスパーリングのような
関節技をかけ合う攻防を中心としたサブミッションレスリングだった
タイガー UWF参戦
タイガーマスク UWF参戦
メインは前田日明 vs タイガー
1984年7月23日、24日、
「UWF無限大記念日」大会に
引退していたタイガーマスク(佐山聡)がザ・タイガーとして参戦した
カールゴッチと佐山聡
そして
こうしてUWFメンバーがそろってみると
皆、カール・ゴッチを師事する男たちだった
UWFは熱狂的なファンを生み出した
UWFは
前田、タイガー(佐山)、藤原、高田、木戸修、山崎ら日本人対決を軸に壮絶な試合をした
ロープワークをしないし
相手の技も簡単に受けない
従来のプロレスのショー的要素を廃し
「キックが急所にまともに入ったら立っていられない」
「関節技がガッチリ極まれば絶対に逃げられない」
という格闘技色の濃いプロレスリングを展開した
UWFは従来のプロレスに飽き足らなくなっていた熱狂的なファンを生み出した
こうして一見、UWFは順調にいくかと思われた
一枚もののカレンダー
信念と理想と軋轢と確執
諸刃の剣
しかし佐山の参戦はUWFにとって諸刃の剣だった
まず佐山は参戦の条件として
一部のフロントの追放を挙げていた
新間寿追放
これにより新間は正式にUWFから身を引き
その後、新日本の裏方に戻った
タイガージム
また佐山はすでに自分の道場
(タイガージム(二子玉川)、後に移転しスーパータイガージム(三軒茶屋))
を立ち上げ
(金銭的に他のメンバーに比べ有利な状態だった)
「理想の新格闘技」を模索していた
会員証
それはしっかりしたルールに則った格闘技で
佐山はその格闘技を「シューティング」、
その格闘技の選手を「シューター」と呼んだ
ルールづくり
理想に燃える佐山はUWFのルールに口を出した
そして実際に
「ノーフォールマッチ」
「Aリーグ、Bリーグの2リーグ制」
リーグ戦の戦績から「ランキング導入」
「反則をより明確にする」
「フォールは体固めとブリッジフォールしか認めない」
「減点ポイント制を導入しロープエスケープを繰り返しポイントがなくなった時点で負けとなる」
「UWF認定のキック専用シューズ以外を付けてファイトする時はキック攻撃を行ってはならない」
など新ルールマッチが実験的に実行されていった
佐山聡と前田日明
しかし、
これは佐山以外の選手にとってはフラストレーションだった
彼らにしてみれば旗揚げから苦労を重ね、
やっとUWFが認知され始めてファンを獲得し
そこに後からポッと来た佐山が偉そうに次々と新しいことをやれと言ってくる
決して面白くはないはずである
UWFは佐山が加入したことで格闘技色が濃くなっていった
「UWFはプロレスではなくシューティングで自分達はシューター」
「自分はカールゴッチより強い」
佐山のこうした発言も
その他の選手の一部との確執が高めていった